カウンセリング(1)
クライアント(相談者):オレ悪い人間なんで。
カウンセラー:そんなことないですよ。○○さんは、いいところがいっぱいありますよ。
クライアント:そういったって、オレ悪い人間なんで。
カウンセラー:○○さん、こないだこんないいことしてたこと私見ましたよ。
クライアント:だから、オレ悪い人間だっていってるだろ。
カウンセラー:私は、○○さんはいい人だと信じています。そんな悲しいこと言わないでください。
クライアント:うるさいなあ、本人が悪い人間だっていっているんだから、いい人だと言う事なんてやめてくれないか。
カウンセラー:(何も言えなくなる)
カウンセリング(2)
クライアント(相談者):オレ悪い人間なんで。
カウンセラー:なるほど、○○さんは自分を悪い人間だと思っているんですよね。では、ぜひ武勇伝など聞かせてくださいよ。
クライアント:そうそう、中学の頃は……をして、高校になると……をして、少年刑務所にも行ったんだ。
カウンセラー:凄い経験をなさってきたのですね。
クライアント:そこで先生に折り入った相談があるんだが……娘に、おとうは(お父さんは)嫌いだと言われてね。どうしたら、娘に親として認めてもらえるか。なんか良い方法なんて、都合のいい話なんでしょうが、これでも悩んでいるんです。どうか、良いお知恵貸してくれませんか。
カウンセラー:(ここからは、おうむ返しの、「エコー」を多用し、クライアントの言葉の鏡となって、クライアントの気付きを待つのみとなる。)
(1)では、クライアントが興奮してしまって、カウンセリングにはならなかったのだが、(2)では、腹を割ってじっくり話ができている。(1)では、理想的な人間像をクライアントに押し付けて失敗しているが、(2)では、クライアントのありのままの状態を受け止めている。これを繰り返しているうちに、クライアントはカウンセラーに嫌われたくないという気持ちを持てるようになるので、自然と良くなりたいという気持ちが湧いてくるのである。
カウンセリングでは、クライアントの心の病を治してあげるなどと考えてはいけない。あくまで、クールダウンさせるための技法と考えるべきである。たとえば、障害者施設で暴れる利用者を落ち着かせるとか、老人ホームで悪態をつく利用者を静かにさせるといった具合で、静かな日常を取り戻すために生きる技術である。根本的に治ってはいないので、何度も同じことを繰り返すのだが、その都度、落ち着けてあげるようにするのである。カウンセリングは、これで十分に役割を果たしていることになる。
根本治療となるカウンセリングとなると、たいへん危険なカウンセリングといえる。つまり、クライアントの激しい感情転移を受ける覚悟がないとできないからである。それを覚悟の上で行うとするなら、(2)のやり方で、クライアントの現在の立ち位置を示してあげることから始めなくてはならない。お世辞も、その場しのぎの褒め言葉も一切なし。少々残酷ではあるが、ありのままの現実を示してあげる。修羅場の一つや二つは乗り越えなくてはならない。ある意味、クライアントとカウンセラーの知恵比べとなっていく。カウンセラーが、クライアントにとって腑に落ちる言葉を提示できたことが決め手となり、修羅場が心地よい時間へと変わっていく。
クライアントは、ありのままの現実を受け止めた時、そしてその現実をカウンセラーと共有できた時、これまでにない安心感につつまれる。そして、このカウンセラーとなら歩んでいけると考えられるようになる。同時に、このカウンセラーだけには嫌われたくないという気持ちも芽生えてくる。そして、ここの地点から新しい第一歩を踏み出してみようと決意できるのである。
そこまでいけたなら、後はクライアントが来るたびに応援してあげることとなる。応援できるということは、実は簡単なことではないのだ。クライアントがカウンセリングの言葉を素直に聞けるようになっていているという段階に達してこそできることだからだ。普通には当たり前のようなことが、心の病んでいる状態の人には、時間を掛けなくては得られないことなのである。
ここ1ヵ月いろいろあった。岩手県小・中・高校書写書道作品コンクールや、北光・後期段試験で、子どもたちを頑張らせたこと。滝沢市立鵜飼小学校と盛岡市立高松小学校の学習発表会を見に行ったこと。第6回と第7回目のシュタイナー教育を行ったことなどなど。そのことは、来週の記事に書きたいと考えている。
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