前の記事で書いたように、輪廻転生というか、生命の連鎖は、自然の法則といえるような気がする。
輪廻転生と言うと、どうしても宗教的になってしまうので、あえて「生命の連鎖」と言うことにする。
現在の自分は、身体的には、父と母の遺伝子を受け継いだものであることを多く認めることができる。
しかし、魂に関しては父でも母でもない自分を見つけることができる。多くの場合、思春期以降、特にそのことが表面化していくようである。
ただ前世の自分の名前を思い出せるのなら、前世という存在を疑いなく認められるのものなのだが、「思い出す」作業の中に、主語(名前)に当たる部分が見当たらないため、魂の性質のみが蘇っているのだと考えられる。
「お前はバカだ」と言った場合、お前はの部分は消されてしまい。バカだの部分が残るわけで、ネガティブな言葉を使っていると、どんどん魂が汚れていくわけである。この法則で、前世の自分の名前を思い出せないわけである。
自然の法則に従うと、生命力が増していき人生が好転し、自然の法則に反すると、生命力を失い、重い病になるなどして身を亡ぼすこととなる。
そう考えると、人間的な「形ある神」とは違い、自然の法則は、法則そのもののような気がする。
つまり、「形の無い存在」なのだ。
だから、「どうか私に恵みをください」と熱心に祈ったとしても意味がないのである。
自然の法則には、特別扱いということは一切ないからだ。
ただひたすら法則に従っているだけなのだ。
なので、≪私たちがその法則を理解し、法則を導入した生活を送ること≫が最も優れた生き方といえると考えられる。
将来において科学は、いずれこの法則を解き、明るみにしていくことだろう。
明るみになると、人は、宗教に代わって、自然の法則によって自分を律するようになっていくことだろう。
残念ながら、まだ時代は、そこまでは来てはいないのである。
ところで、先週の土曜日に私の母がキッチンで転倒し腰を強打して圧迫骨折してしまった。
救急車で、救助員3人がかりでタンカで運ばれたのだが、入院を拒否されてしまった。
寝たきり状態で全く動けない母を、どうやって家に連れて帰れというのだろう。不親切にもほどがある。
そこで、お世話になっているケアマネージャーさんに電話をかけて、某グループホームさんに緊急入院させてもらうことになった。
3人の職員さんがタンカで運んでくれた。病院は、こういった手配はしてくれないのである。
2日後の昨日、救急病院から紹介状を持って某グループホームさんのリフト付きの車で運んでもらい、某整形外科医院で診察を受けたが、そこでも入院を手配してもらえなかった。どうやら、紹介状を持っていく医院を間違えたようである。後になって、数人の人の経験談から受け入れてくれそうな病院について知ったのだが後の祭りであった。本当についていない。
私には、グループホームさんに入院させておくだけの経済力がないので、入院は5日が限度。レンタルベッドを手配し、家で介護することになった。全くの寝たきり状態なので、食事の世話や下の世話、体を拭いたりすることなどをしなくてはならない。
父も痴呆症なので、何もできない人である。
このことは仕事に大きく影響が出そうなので、頭を痛めているところである。
厳しいが、大いに魂を鍛えることができそうである。
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