人間関係の悩みは色眼鏡をはずすことから。
わたしは、ある人から言わせると、怖い人だそうだ。
だけど、多くの人たちは、わたしを怖い人という色眼鏡で見ているということだ。
逆に、わたしはわたしで、みんな、わかってくれていないじゃないか、という不信感という色眼鏡をいつもかけているのである。
だが、そういうマイナスのイメージがついてしまうと、なかなかそれを払拭することができないのが人間という生き物の面倒くさいところだ。
そして、それどころか、マイナスの感情はますます濃度が高まっていきます。
人間とはじつにやっかいな生き物です。
ささいなことでも、そのときの感情はその相手の一面から受けたものでしかないのに。
しかし、そこで色眼鏡という先入観を持ってしまう。先入観なんてアテになるものではないのだけど、根強く心に棲みついてしまいますね。
たとえば、あの人は気難しいと評判だよ、とか
あの人は心の性と身体の性が一致しない性同一性障害の人だよ、とか
初めて会う人の情報が周りから入ってきて、もういけません。気難しい、心の性と身体の性が一致しない人に対する配慮云々・・・、そこで、その人の人物像がわたしの心の中で確定してしまいます。
だけど、どんなに懐の深い人であっても、その相手の「真」の姿を見抜くことは難しいことなのだそうです。だけど、結局、先入観に縛られて、腫れ物に触るような対応に終始し、相手を不快にさせてしまったり、不快になったり。
もっと自然にお話してくださいよ、とか、
先入観が心に棲みついてしまうと、どうしてもうまく話が運びません。
禅では、色眼鏡をかけない、という言い方をするそうです。
「一切衆生、悉く仏性有り」
あらゆるものは、仏性という美しい心が備わっているということです。
仏性とは、なにか?お坊さんのなかでもこの言葉の説明に苦慮されるんですが、
いちおうここでは、その人が生まれながらに持っているやさしさ、思いやり、あたたかさ、
包容力といったもの、としておきます。
だから、色眼鏡をはずせ、というのは、それは、自分が接したのは相手の一面にすぎないので、今度はその相手のなかの仏性を見つけよう、という戒めで、相手の中の美しいところを見ようとする姿勢でいたら、必ず、胸に響いてくるものがあるよ、ということなのですね。
先入観のみで、人を判断することを強く戒めているのだ。
情報だけで、あるいは相手の一面だけを見て抱いた嫌な感情、マイナスの思いを持って
相手の人間性を決め付けてしまったら、その人を見誤ることになりますよ、ということ。
まずは、自分から、色眼鏡をはずすことです