草原をどこまでも歩いた。

 

 

歩けば歩くだけ、日常の”人間”としての生活から遠ざかっていく・・・そして自然界の音が広がり、鳥たちのさえずりや風が草木を揺らす心地よい音色が響いてくる。

 

「もうどのくらい、ここにはヒトが足を踏み入れていないんだろう・・・」

 

細いトレイルがあったはずなのに、今は雑草が膝辺りまで生い茂り、人間が歩いた痕跡も消されている。そしてあたかも何事もなかったかのように、蝶やハチが嬉しそうに飛び交っている。きっと人間が地上から消え去ったなら、こんな風に植物が人類の爪痕を癒して、動物や昆虫たちが過去を忘れて自分たちの生活を育んでいくんだろうな・・・そんなことを考えながら、ヒトの歩いた跡の消えたトレイルを先へ先へと進んでいく。

 

うさぎがいる。僕を見ても逃げない。真ん丸い純粋な目をこちらに向けて、じっと僕の顔を見ている。

 

 

「人間を見たら逃げなきゃダメだよ。面白半分でキミたちの命を奪う人たちだっているんだよ」

 

そう心のなかでうさぎに伝えて、また先を進む。ヒトの文明から離れれば離れる分だけ、自然界の全てが疑いを知らないうさぎの目のような純粋さで僕を迎えてくれる。

 

なんて優しいエネルギーなんだろう・・・

 

僕は草原の真ん中で立ち止まり、瞳を閉じて空を仰いだ。そして両手をすこし広げて身体の中に自然の優しい空気を取り込んだ。全身を巡るその空気を人間のこの体から空に向かってはーっと吐きだす時に、少しだけ涙がいっしょに出た。

 

そして、ふたたび先へ進もうと足を前へ踏み出そうとすると、そこには花が咲いていた。健気で小さな黄色い花。小さいのによく見ると、とってもとっても美しい形をしている・・・。

 

 

僕はしゃがみ込んで花に言った。

 

「どうしてそんなにきれいなの・・・?どうしてそんなに嬉しそうなの?もしかしたらここで誰にも見られることないまま、一生を終えてしまうかもしれないのに。僕がこうして気付いてあげなければ・・・僕がこうして『きれいだね』って思ってあげなければ、君たちは自分が美しいということに何の意味も持たずに枯れていくだけだったかも知れないのに・・・。なのに、何でそんなに誇らし気なの?なんでそんなに幸せそうなの・・・?」

 

 

『それはね、かわいいパンツだよ』

 

・・・・・・・?

 

『自然界の美しさっていうのはね、言ってみたら人間にとってのかわいいパンツのようなものなんだよ』

 

・・・・・え・・・と、・・・き、聞き間違い・・・かな?

 

『聞き間違いじゃないよ』

 

「・・・って、え?・・・あれ??なに、花が答えてきてるのかと思いきや、PK-PNじゃん!!ってか何なの、“かわいいパンツ”って・・・ふざけてんの?」

 

『ふざけてなんかないよ』

 

「じゃあ一体なんなの・・・こっちがせっかく詩的なイイ感じで浸ってたのに、台無しじゃん!!」

 

『いやキミ、詩的もなにも、現実的には蚊にあちこち刺されて腕とかボッコボコだし、ジーンズだってダニでいっぱいだよ?』

 

「ヒィ~~~・・・😱一気に現実世界に引き戻された~(せっかく体中痒いのも我慢してたのにぃぃぃ😭)」

 

『っていうか、そもそも地球出身じゃない人間が、地上の自然界の一部になってキレイごと言おうとする方が無理があるんだよ。地球上で裸足で生きていけないのは人間だけなんだし、それ一つ見たって、人間が地球の自然界の一部となって生きていくことの難しさがわかるでしょ?』

 

「え・・・でも人間の中にも裸足で生活している人いるよ?YouTubeとかで見たことあるもん」

 

『それは「Free Your Feet, Free Your Mind(足を自由に、心も自由に)」とかの“Free Life(自由な人生)”の信念を掲げている人だったり、アーシングのように素足で芝生や土、砂、石なんかの自然の地面と直接触れたり、ビーチ、公園、庭、森など、好きな場所で裸足になって自然のエネルギーを受け取ることをしている人たちの話でしょ?』

 

「ま、そんな感じ・・・だったような・・・?じゃあ、話が出たついでに訊いちゃうけど、靴を脱いで素足(素肌)で自然と触れあうことで、身体にとどまっている電気を放電して体内の電気バランスを調整して、健康に良い効果を与えるって言われているのは本当なの?」

 

『YesアンドNoだね。つまりそれをする場所や時間によって、本当にそう言った効果を得られることもあるし、逆に全くそんな効果を得られない(エネルギーの出ていない)場所でやっても、まぁ無意味とは言わないけど、期待するような結果にはならないよね。ともすれば人体に害のあるエネルギーを出している場所や時間帯にアーシングをすることで、体内に悪いエネルギーを取り込むことだってあるんだよ』

 

「え?そうなの?・・・っていうか、なんかそれ自体でも“ついで”レベルじゃない情報だね・・・。ま、でも確かに言われてみたら、海とか公園とか芝生とか庭とかビーチとかじゃなくて、僕が今まで散々行ってきたような超大自然のなかで、人間がゴツゴツした岩肌とか、ぐちゃぐちゃに滑(ぬめ)ってどんな虫たちが生息しているか分からない沼地とか、尖った草が延々と生えている所とか、ナイフのように鋭い石がゴロゴロ転がっている場所を素足で歩くのは無理だよね」

 

『本当はそんな場所でこそ、本来のアーシング効果が得られるんだけどね。ま、とにかく動物たちや昆虫たちは、そんな過酷な場所でもフツーに素足で生活できる。中には蹄なんかがもともと備わっている動物もいるけど、とにかく人間だけがクツ(プロテクト用に作られたもの)を履かないと生きていけない。クツを脱いで立っていることくらいは出来るだろうけど、いざ逃げたり追いかけたりしなきゃいけない状況になったら、人間なんて1ミリのチャンスもないよね。まぁ人間はそういう“人工的に作られた”平べったい場所で誕生したから仕方ないんだけどね・・・。あ、ついでに補足しておくけど、初期から中期くらいまでのネアンデルタール人はクツを履いていなかったんだよ。でもホモサピエンスが入り込んできたくらいからHuman(後期ネアンデルタール人とホモサピエンス)はクツ・・・というか草履とかモカシンなんかを履き始めた・・・と考古学的には言われているみたいだけど、実際には現在の元となる“靴”というものは、紀元前1500年前後のメソポタミアのカッシート時代(バビロン第三王朝の頃)に誕生しているんだよ』

 

「うわっ!また出た“紀元前1500年”・・・!!確かガンとかの病気もその頃から地球上に発生したって話だし、何かと色々怪しい紀元前1500年だねぇ🤔」

 

では、ちょっとここでノンモのプチ知識♡⇒紀元前1500年頃といえば、中国で「干支」が生まれた時代でもあるのですが、干支はもともとはバビロニア十二宮がルーツと言われているそうで、紀元前1400年~1500年にバビロニア天文学を起源とした干支が中国に伝わった頃には、まだ現在のような「干支」とか「十二支」とは呼ばれておらず、「十二辰」と書かれていたそうです。言わば12星座の全てが「辰🐉」だったわけですね😆

 

ちなみに”星座”と言っても、今みたいな星の組み合わせではなく、古代バビロニアでは天球を12の区画に分けてそれぞれに名前を付けたものが”Zodiac(星座)”だったとか。当時のバビロニア黄道十二宮の名前は「雇われ人、星、双子、蟹、ライオン、溝、天秤、蠍、パビルサグ、ヤギ魚、偉大な者、尾」だったそうで、現在の「おひつじ座、おうし座、ふたご座、かに座、しし座、おとめ座、てんびん座、さそり座、いて座、やぎ座、うみがめ座、うお座」と異なりますし、干支の「「子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)」とも違いますよね。

 

ところで、この干支の12の動物も、実は当時の中国人がもっと身近に感じて覚えやすいように「それぞれの干支の漢字に動物の絵を当てはめた」ことが由来と言われているので、実際にはその年の”動物”自体には特別な意味はなさそうですね・・・🤔いずれにしても、この干支もやっぱり”紀元前1500年”前後が関係しているんですねぇ✨✨


 

『まぁ紀元前1500年は、八多さんが今執筆を始めている「地球物語」の重要なキーとなる時代でもあるからね。とにかく、自然界の花が美しいのは、いわば「かわいいパンツ」みたいなもんなんだよ』

 

「と・・・飛ぶねェ~!!!ブーメランばりにグルっと一回り飛んで、一気に本題に戻ってきたねェ・・・!!なんかさっきまでの詩的な自分も一気にぶっ飛んだよ。…んで、誰にも見てもらえないかも知れないのにこんなに美しい花と、かわいいパンツにどんな関連性があるの?」

 

『つまりね、パンツってさ、比較的他人に見られる確率が低くて、ともすれば自分以外の人に見られることがないまま“パンツ人生”を終えるものだってたくさんあるでしょ?

 

なのにパンツって、デザインからスタイルから柄から色に至るまで、とにかく星の数ほど色々バラエティーに富んでるじゃない。シャツとかジャケットとかズボンとかスラックスなんかと違って「人が見ること」を意識に入れて着るんじゃなくて、人に見られることが殆どないにも関わらず、自分の好きなパンツを穿くよね?

 

それって、言ってみたら究極なる「自分の、自分による、自分のための」喜びなんだよ。他人を意識せずに、自分の中だけで完結できる「満足感」なんだ。

 

もちろん「人に見られるかも」っていうシチュエーション(デートの時とか?)を考慮して選ぶ場合もあるし、中にはわざとパンツを見せるようなファッションもあるけど、そういった場合には「人に見られるかも」とか「見てもらう」ことを意識してパンツを選ぶわけだから、100%「自分の、自分による、自分のための」とは言えない・・・とは言っても、別にそれは全く悪いことじゃないし、むしろ人に見られることで楽しかったり喜びを感じているんだから、他人に迷惑さえかけてなければ全く問題はない』

 

「いや、見たくないパンツ見せられる方もちょい迷惑な時もあるけど・・・ね😅(←ノンモの心の声♡)」

 

『ただ、他人の目や意見を気にせずに、また迷惑もかけずに、自分だけが100%楽しんだり満足を感じることが出来るといった意味では、パンツこそが正真正銘“無エゴ”アイテムなんだよ。

 

多くの人は自分の好きなものを買ったり、身に着けたり、使ったりする際に、知らず知らずのうちに「誰かの目を意識して」選んでいる場合が多い。それは着るものに限らず、持ち物も、住む家も、レストランで注文するメニューも、聴く音楽も、車も、仕事も学歴も、ともすれば恋人や結婚相手でさえ「人目や世間体を気にして」選んでいる時がある。ま、さっきも言ったように、他人に見られる or 見てもらうことで敢えて喜びや満足感や心の高揚を感じている人もいるけど、そういうケースを除けば、殆どの場合において、人のやることなすことには、良くも悪くも大抵エゴが入ってしまっている。

 

でもね(揚げ足取ったウンチクは置いといて)パンツだけは別なんだよ。パンツだけは自分がそのスタイルが好きだから、その柄や模様や色が好きだから、そのデザインが好きだから「自分の、自分による、自分のための」満足のためだけに穿くんだよ。そして(揚げ足取ったウンチクは置いといて Part.2)パンツだけは誰にも迷惑かけずに自分だけが楽しめる。

 

つまり“かわいいパンツ”こそ、神が人々に伝えたい「本来の幸せの意味」を込めたアイテムなんだよ。ま、実際には「かっこいい」でも「セクシー」でも何でもいいんだけどね。

 

 

ちなみに、反対にボロッボロなパンツを穿くのだって、言ってみたらそれはそれで人目を気にせずリラックスできている(素のままの自分でいられている)わけだから、そう言った意味でもパンツは最強アイテムだよね。

 

似たようなことを色んなバージョンにしてちょくちょく言ってるから、もう“耳タコ”かも知れないけど、それだけ神はみんなに「人目を気にしない」=「自分の、自分による、自分のための」喜びや幸せを生活の至るところに花咲かせてもらいたいと願っているんだよ。他人に迷惑をかけない、他人を傷つけない、他人を巻き込まない、他人に(自分のエゴを)強制しないといったことをベースにおいて、着るものも、持ち物も、住む家も、レストランで注文するメニューも、聴く音楽も、車も、仕事も学校も、恋人や結婚相手でさえも、“かわいいパンツ”のように自分の喜びと幸せのために選んでもらいたいんだ。つまり人の目を気にした自分じゃなくて、自分の好きな本当の自分でいてもらいたいんだ。

 

それが「キミたちが自らをトランセンドさせていく」上で、とっても重要な鍵になっていくんだよ・・・』

 

 

わたしたちはね、ここにさきたいからさいているのよ。

 

ちいさなきいろいはなになりたいからなっているのよ。

 

きれいとかうつくしいってことばはよくわからないけど、わたしたちはわたしたちのなりたいままになって、ありたいままにいて、それがとってもしあわせだから、このしぜんがとってもここちいいの。ちきゅうがとってもここちいいの。

 

このちきゅうではね、みんな、じぶんでいることがとってもたのしいし、じぶんでいることがとってもうれしい。たとえはなびらが、となりのはなよりすくなくても、むこうのはなよりちいさくても、そういったことは「しらない」の。きにならないんじゃなくて「しらない」の。しっているのは、ありのままのじぶんだけ。ありのままのよろこびだけ。だからみんなありのまま、しあわせなの。

 

ちきゅうはね、みんなのこせいがすき。

 

ちきゅうはね、みんなのじゆうなすがたがすき。

 

ちきゅうはね、ありのままのあなたがすき・・・。

 

はだしになることよりも、じぶんのすきなふくをきて、じぶんのすきなくつをはいて、じぶんのすきなありのままのじぶんで、ここでいっしょにわたしたちとかぜにゆられてみて・・・。たいようのひかりをかんじてみて・・・。まわりをみまわしてみて・・・。

 

みえるでしょ?

 

きこえるでしょ?

 

かんじるでしょ?


 

ほら・・・しあわせでしょ?