イジメ対策で小学校であだ名禁止令が広がってるらしい | 皆見つかさ 公式ブログ 〜ソロアーティストの脳内と日常

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この記事は4601文字です。(読破予想時間:約10分57秒)

 

全国の小学校で「あだ名禁止令」が広がっていると言う記事からです。

 

◇いじめ解消につながる?小学校での「あだ名禁止令」は妥当か

 

この記事の内容を要約すると、あだ名はいじめにつながると言う理由からあだ名を禁止して「君付け」「さん付け」で呼び合う事を学校が決めて、児童にそれを守る様に指導していると言う事に賛否両論があると言う記事です。

 

今回は、この記事を読んで、これとほぼ同じ様な小学校での体験が僕にはあると言う事を思い出したので、まちょっと語ってみようかと思ったのが今回のブログ記事です。

 

前置き(まえがき)はこれくらいにして、ぼちぼち語ろうと思いますのでよろしくお願いします。

 

 

僕が小学校3、4年生の頃の話だ。

 

僕の場合、学校ではなかったが、クラスであだ名禁止が決まり、クラス替えがなかった三年生と四年生の2年間、クラスメイトへの「君付け」と「さん付け」がルール化された事がある。

 

敬称をつけて呼ぶのがルールと言う事は、当然、呼び捨ても禁止である。

 

僕の場合は、丁度その頃に嫌なあだ名で苦しんでいた頃だったので、僕としては凄く嬉しく大歓迎なルールだった。

 

先生の指導による決め事だったのか、学級会などで生徒が自主的に決めたルールだったのかはハッキリと覚えていないが、うっかりあだ名で呼んでしまった生徒に先生が厳しく指導していた事から察するに、おそらく先生による指導だったのではないかと思う。

 

きっと、クラスの生徒や保護者からの訴えがあっての対応だろう。

 

あだ名と言ってもいろいろあって、横文字にするとニックネームと言う事なのだが、本人も納得してたり当たり前の様に慣れ親しんだ呼ばれ方から、明らかに苛めだろうと言うものまで様々だ。

 

決して一括りに出来るものではない

 

僕の場合は、イジメと言うよりは、面白いからとか呼びやすいからと言う理由で、とあるきっかけで呼ばれ始めたあだ名で、僕本人は凄く嫌だったあだ名だ。

 

仲がいい連中に対して嫌だとアピールしても、「もう慣れたし呼びやすいから今更他の呼び方は違和感があって呼びにくい」だとか何とか言ってこちらが嫌がるあだ名で呼び続ける。

 

寧ろ、からかおうとしてる連中よりタチが悪く、こう言う連中は悪びれもせず、本当に自然にサラッとあだ名で呼ぶのだ。

 

それを更に指摘しても、酷いのになると「俺だけはいいだろう?親友じゃん」みたいな事を言う。

 

今までに、このたぐいの台詞を何度聞かされたか分かりゃしない程だ。

 

こんな事を言う奴には、子供ながらに、「お前、マジでバカだろ?」と本気で思ったものだ。

 

誰か一人があだ名で呼び続けて、「一人だけ特別」で済む訳ないだろう!

 

最初はたった一人からこう言ったものは始まるのだ。

 

その一人を残すと、悪性のウィルスの様に増殖していくのが、こう言った話の核心なのだ。

 

大人になって、皆、子供の知能レベルと言うのを忘れてしまっている人が多いが、子供でもこのくらいの事は普通は分かるものなのだ。

 

こんなバカな事を言う奴は間違いなくどうしようもないバカなのだ。

 

ただバカなだけならいいが、誰か迷惑をかけたり誰かを傷付けたりしても平気で気付かない、最もタチの悪いバカなのだ。

 

そして、いろいろあった結果、結局、改めようとしてくれた奴はほぼ皆無だった。

 

勿論、最初からそんなあだ名で呼ばずに普通に呼ぶ者もたくさんいる。

 

そして仲がいい連中と違った意味でタチが悪いのは単純に面白がってる奴らで、面白がってそう呼ぶ同級生は、「やめろ!」とこっちがムキになればなるほど余計に面白がってそのあだ名を口にする

 

そうなると、今までそう呼んでなかった人間までそう呼ぶ様になったり、そんな呼び方を知らない他のクラスの人間にまで広がる事になる

 

最初長い間ムキになって「その呼び方やめろ!」と言ってみたり、あだ名で呼ばれても返事をしなかったり無視したりといろいろ抵抗してみたのだが、結局、逆効果なので抵抗するのをやめたのだ。

 

そのせいで僕のあだ名は広がりまくって、結果、中学を卒業するまでそのあだ名で呼ばれる事になる。

 

厳密に言うと、卒業後も付き合いのあった友達が数人いたので、その付き合いが途切れる二十代半ばまで、そう呼ばれ続けた事になる。

 

今もし、そのあだ名で呼んでた人間と、何処かで再会したとしてもそいつと交流を再開する事はないだろう。

 

それは恨んでるとかって意味ではなく、同級生と再会した場合、当時の呼び方で呼ばれる事はまず間違いない事だからだ。

 

 

実際にクラスで「あだ名禁止令」が出来て、確かにクラス内でそう呼ばれる事はほとんどなくなったのだが、法律で言うと、これはいわば条例の様なものなので、他所のクラスの生徒には通用しない。

 

なので、あだ名で呼ばれる頻度こそ減ったが、ゼロになった訳ではない。

 

中には学校を一歩出れば関係ないとばかりに、急にあだ名で呼び始める奴もいる。

 

そして、学年が変わってクラス替えが行われて担任の先生が変わった瞬間、そのあだ名はあっと言う間に復活するのだ。

 

僅か1年か2年程の間、クラスと言う狭い範囲だけでルールを決めて実行しても、あだ名は一時的に影を潜めるだけで、しっかり影では生きていて最終的には息を吹き返すので、決定的な効果は期待出来るものではない。

 

そして、あだ名を禁止にすると言うルールを作るそのやり方が生徒達への教育としても一切役に立っていないと言う事がその事からも明らかだ。

 

それでも、強制的にやめさせてくれさえすればそれでいいと言うのが、僕と言う被害者の生の声だ。

 

そんな経験から思うと、クラスだけのルールではやはり不十分で、学校全体でそのルールを作った方が絶対にいい

 

賛否両論の否の意見の持ち主は、「学校が決める事ではない」「あった方が親しみやすくなる」「コミュニケーションを円滑にするからいる」「嫌なあだ名がついたら「嫌だ」と言う力を養う事も必要」などと言うのが主な所らしい。

 

これを見る限り、ルール化否定派は、あだ名で嫌な気分を味わう深刻さを体験していない人達だろうと推測出来る。

 

確かに、「あった方が親しみやすくなる」「コミュニケーションを円滑にする」と言う一面はあると思うし、実際に、僕も普通に今まで呼び合っていたニックネームまで一括りにされて、もの凄く親しい間柄でも、バカ丁寧に「君付け」「さん付け」で呼ばなければならないのは物凄く違和感があったし、確かにコミュニケーションを疎外していると言えなくもないと感じていた。

 

でも、それより何よりあだ名で呼ばれる事が減った事の方が、僕にとっては遥かに大きな事だった。

 

「嫌だ」と言う力を養う事も必要とか何とか言うのは、本当に机上の空論で、経験者の僕に言わせれば、一切体験してない頭でっかちな意見だと言える。

 

先述の通り、「嫌だ!」「やめろ!」といくら言おうが無理なのだ。

 

「嫌だ」と言える力をつけるとかつけないとかそんな次元の話ではない。

 

それこそ、本気で殴り合いの喧嘩でもすればいいのかもしれないが、あだ名を口にする相手は少数ではなく、いちいちその度に喧嘩などしてはいられない。

 

ちなみに僕は、けっこう喧嘩はしてきた方で決して気が弱い訳でもなく、嫌な事に「嫌だ」と言えない子供ではなかったのだ。

 

しかし、結果はこんなものだ。

 

どんな事を言おうが何をしようが、本人の力だけで止める事などほぼ不可能なのだ。

 

その体験者である僕が学校主導でそのルールを決めてくれて指導してくれれば本当に有り難いと心の底から感じているのが現実なのだ。

 

その現実も知らないで、頼んだ訳でもないのに反対派は一体何の為にしゃしゃり出てくるのだろうか。

 

人の立場に立つ事も、心ないあだ名で呼ばれる側の人間の気持ちを慮る事も出来ない、そんな想像力すらない頭でっかちの奇麗事なんて一切不要だ。

 

口を出さずに黙ってろと言いたいくらいだ。

 

口を出すのならいろんな立場の人間の意見に耳を傾けて理解してから口を開けと言いたくなる。

 

僕なんかこれでもマシな方だ。

 

もし、何も言えない様な内気な性格の子だったとしたらと考えるだけで僕は胸が痛くなる。

 

僕の場合は、僕が嫌だと思っていたあだ名だと言うだけで、何も知らない大人が耳にしても、単なるニックネームにしか聞こえないであろう単語だからだ。

 

中には、例えば「バイキン」だとか、明らかにイジメだろうと分かるくらい酷いあだ名をつけられて僕以上に苦しんでいる子だっている。

 

こう言う子が不登校になったり、最悪の場合、自殺をしたりしているのも現実の話だ。

 

こういう事例を他の事に例えるなら、弁当屋のメニューを開発した弁当の中から数種類に絞り込んだり、内容を精査して決定しようと言う時に、どの弁当も食べていない人が意見を言ってる様なものだ。

 

 

確かに規則化にあたっては、難しいとは思うけれど、一括りにせず、いろいろ細かく考えて緻密に積み上げていった方がいいとは思う。

 

でないと、さっきもチラリと触れたが、例えば長年あだ名や呼び捨てで呼び合っている仲良しの友達や、学校へ通う前からよく知っている幼なじみにまで、今まで慣れ親しんだ呼び方を捨てて、「君付け」「さん付け」で呼ばなくてはならないと言う、違和感が生じる事になるだろう。

 

そうなると、学校にそこまで干渉される謂れはないと言う気になる人間が出てきても不思議ではないのも確かだ。

 

しかし、いくら正そうとしてもどうにもならない人を傷付けるあだ名については、学校をあげての規則化が助けになると僕は思っている。

 

優先すべきは、経験を伴わない理屈より、体験者の声だろう。

 

 

僕の小・中・高と言えば、今なら大問題だと言う様な体験もたくさんしてきたし、特に教師から受けた理不尽な扱いや虐待や暴力は酷いものでした。

 

勿論、皆がそんな目に遭っていたと言う意味ではなく、あくまで僕個人の体験であり、僕の様な人間が少なからずいた時代であると同時に、そう言う被害に遭ってる子供達がなかなか救われる様なシステムも社会の意識もなかった時代だったと言う話です。

 

中には深く傷付いて今でも理不尽だと言う思いが強く忘れる事が出来ない体験も多々あったりもしましたが、当時は、「ま、そんなものだろう」と言う思いも同時にあって、親に訴える事もせず自分の中で抱え込んでいたものでした。

 

前にもどこかに書きましたが、昔の教育とその体験談を記事にしたらどうかと迷ってたりするのですが、僕の様な体験は、今時はもうない様な話ですし、読んだ人の気が滅入るだけの様な気がするので今の所止めています。

 

今後の参考になる様な話なら迷わずに書くんですけどね。

 

今回の話は、その中でもかなり軽い体験なのですが、ちょっと目にした記事を読んで「今でも同じ様な話がまだあるんだ」って思い、気になってつい筆をとってみた次第です。

 

でも僕の時代には1つの学級内での話だったのが、今では、学校レベルでそこを考えられる様になったのは進歩と呼べるかもしれません。

 

そういう意味では、少し期待ですね。

 

また、気が向いたら昔の教育について、書くかもしれませんので、その時は読んで頂けると嬉しいです。

 

 

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*

 

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