この記事は2976文字です。(読破予想時間:約7分5秒)
誰しも音楽を始めた頃は、どんな事をしたいかとかどんな音を出したいかなど、明確な目標と希望があったと思います。
僕もそうでした。
でも、いつの間にか、他人の出す音や音楽性に惹かれたり、友達の圧倒的なサウンドに自信を砕かれたりで、本来目指していたスタイルも忘れて、あっちへフラフラこっちへフラフラとぶれまくったなんて経験はありませんか?
そして、自分が一体何をしたかったのかも分からなくなってしまう。
「今まさにその現在進行形の状態だ!」って人も、きっといるでしょう。
僕にもそんな経験があります。
そして、今でもたまにぶれそうになります。
今日は、そんな体験談を交えていろいろ語るつもりです。
それでは、お付き合いよろしくお願いします。
僕が音楽を始めたばかりの時、自分ではそこそこ音楽に詳しいと言う意識はあった。
しかし、音楽を始めてどんどん広がる音楽を通しての交友関係の中で、やがて、自分の見識の狭さや浅さを思い知らされる事になるのだが、そうなるまでにそんなに時間はかからなかった。
世の中、上には上がいくらでもいるもので、自分より見識の広い人間とたくさん知り合って、良い意味でも悪い意味でもたくさんの影響を受けて来た。
最初の頃は、憧れのアーティストも何人か明確にあり、自分でどんな演奏をしてどんな風に歌いたいのかもハッキリとわかっていて、それに向かってどんどん突き進むだけだった。
それに少し変化が現れたのは、ある程度技術も身に付き、人前で歌と演奏を聴かせる事に慣れ始め、どんどん格上の音楽仲間が出来始めた頃だったと思う。
今まで、ほとんど聴いた事のない音楽や興味を示さなかったジャンルも、ラジオなどから流れてくる加工された音源と違い、そこそこ上手な生演奏を目の当たりにすると、そのジャンルへの物の見方が大きく変わるのだ。
友達が何気なく奏でるフレーズも、それとなく弾くコードも、いろんな物が新鮮で自分が今まで目指して来たものより、数ランク上の音楽に聴こえてしまうのである。
特に僕は、そこまで複雑な音楽を目指してた訳ではなく、けっこうシンプルで泥臭い音楽が主だったので、他人がやっている小難しく聴こえる音楽やおしゃれに聴こえる音楽などに、何故だか自分の音が劣ってるかの様な、負けているかの様な気分にもさせられたりしたのだ。
実際には、どのジャンルが上だとかどのジャンルが下だとか言うのはない。
そんな事も分かってはいたのだが、自分の出来ないジャンルに対して一種のコンプレックスの様なものを抱いてしまったのだ。
そして、今まで弾いた事もないコードを真似して使って曲を作ってみたり、友達の弾いてたフレーズを練習してみたりと、そんな奮闘をする日々を繰り返す。
その努力自体は無駄ではなかったと今でも思う。
その頃に覚えたフレーズやコードは自分の幅を広げた事は確かで、今でも自分のエッセンスとして、自分の中にしっかりと息づいているのを感じるからである。
そういう周りからの影響と言うものは、何物にも代え難いものがあり、音楽人生の中で必要な物だと振り返ってみて思う。
しかし、必要な事とは言え、それは明らかに遠回りでもあるので、本来の道へ帰って来れなくなるくらいの迷子にならない様に注意する事も必要な事だ。
ただ、その中であまり意味がなかったのは、友達の使うコードワークを真似して曲を作ろうと何度も何度も試みた事だ。
けっこう長い期間、何年もこんな事にチャレンジし続けたが、どうしてもその真似た友達っぽさから脱却出来ない。
それを影響と狡い言い回しで逃げる事は可能だが、その実態はそうではない。
そのコードワークの本質を理解しない事には、絶対に自分のものになる事なんてない。
「何かカッコいいから真似しましてみました」では、その言葉の通りやはり「真似」のままなのだ。
そのコードワークが、ジャズ理論に乗っ取ったものならジャズ理論を理解する必要があるし、それがブルースから来る進行だとすれば、ブルース進行を理解する必要がある。
以前、別の記事で同じ様な事を、「クリシェ」と言う技法を例にあげて書いたが、それと同じ事なのだ。
その内容を簡単に要約すると、レッド・ツェッペリンの『天国への階段』と言う曲に使われているクリシェと言う技法を知らずに、『天国への階段』の様な曲を作りたいと似た様な曲を書いた人間を何人か知っているが、その曲が『天国への階段』のパクリだと言う事は誰が聴いても一目瞭然ですぐに分かる。
それはクリシェの用法も本質も知らずに作るからそうなるのであって、しっかりクリシェを理解して作られた曲は、作者の本来の個性が出る。
その証拠に、同じクリシェを使った有名な作品では他に、ビートルズの『ミッシェル』と言う曲があるが、この二曲は似ても似つかない曲である。
そんな内容の記事だ。
だから結局、友達の使うコードワークや技法の本質を知らずに真似て工夫をいくら加えた所で、所詮はモノマネの域を出る事はないと言う事なのである。
それは友達に限らず、プロのアーティストが相手でも同じである。
何かお洒落だなとかって意味も分からずそれっぽく表面だけを真似て曲を作ったり演奏したりしても、それはモノマネの域を出る事はないし、そのアーティストが出している音の本質を理解して初めてそのアーティストの音を自分の物として消化して取り込まれる様になるのだ。
僕は今までそんな寄り道をしてきた訳だが、僕は結局、原点に戻ってそこからの広がりで音を広げていくのが一番スムーズだと感じた。
そして、その寄り道で得た「寄り道エッセンス」を投入してあげればより世界は広がると言う話である。
僕に限らず、多くのミュージシャン達がいろんな寄り道を経験してる事でしょう。
その中でも僕の場合は、寄り道が過ぎて迷子になってた時期がかなり長いので、もうこれ以上寄り道してる場合じゃないと言うのがありますが、寄り道そのものは決して無駄ではないと思います。
しかし、僕の場合は長過ぎた。
そして、無駄な部分が多過ぎた。
文中でも同じ事を既に述べましたが。
今も時折、自分の本筋を忘れそうになってふらふらと寄り道しそうにはなりますが、流石に今は、けっこう制御出来てます。
他人のやってる事を追っかけても、いわゆる「後追い」ってやつで、人から認められる域にはなかなか到達しないものです。
それより結局、自分の本道を突っ走る方が早いし、満足度も高いし、いい事尽くしって感じですね。
他人のしている事がどうしても気になる場合は、それを「凄いな」って素直に認めるだけでいいんだって言うのが結論です。
後を追う必要もなく、不思議とそう思うだけで自分の本道を真っ直ぐに進んで行ける様になったりするものです。
他人のものを欲しがる必要なんてないって事ですね。
勿論、いろんな人から影響を受けるのは生涯あり続けた方がいい事です。
ただし、他人の物を欲しがってパクるのと影響を受ける事とは全く違う事です。
前にも書きましたが、何事もモノマネから始まる事は確かなんで、アーティストを目指してる間はどんどん他人のモノマネをしていくべきではあるので、自分の今の位置をしっかり掴んでこの判断をする事も大事です。
アーティストとして世間に作品を発表しようって人がまだモノマネでは、それは流石にパクりだろうって話ですからね。(;^_^A
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