この記事は3155文字です。(読破予想時間:約7分30秒)
赤ちゃんの段階で既に、男の子と女の子はいろいろ違うと言う話をよく聞く。
赤ちゃんの段階どころか、お母さん達にとっては、お腹の中にいる時点で女の子は女の子らしいし、男の子は男の子だと大体分かると言う話も聞く。
その辺りから考えても、男女と言うものは、初めから全く違うものだと言う事なんだろう。
ま、普通に考えれば、違うからこそ2つ存在するのだろうし、存在意義もあるのだろう。
僕は、男として生まれたが、女性になりたいと思った事があるかと言えば、それはある。
でも、それは一度体験してみたいと言う意味であって、女性の方が良かったと言う意味ではない。
よくある問いで「生まれ変わったら、男女どっちになりたい?」ってのがある。
僕は、この問いには、子供の頃から「生まれ変わっても男!」といつも答えてきた。
子供の頃に何故、そう答えていたかは凄く単純で、女の人は子供を産む時、物凄くお腹が痛いのだと聞いていたからと言うのが理由だ。(((( ;°Д°))))
世の中のお母さん達がよく使う「お腹を痛めて産んだ」と言う表現を聞いて、想像するだけで青ざめてしまう程怖くて、結果「男で良かったぁ~。( ̄▽ ̄)=3」と言う流れになっただけの話だ。(^▽^;)
今は、特に女性だと嫌だとか言う点も思い浮かばないし、男でないとダメな点も特に思い浮かばないが、それでも、今も同じ問いには「生まれ変わっても男」と答える。
それはどうしてか、ふと、思った事がある。
それはきっと、男として生まれて、男として何も達成してないからなのではないだろうかと言う事だ。
僕は未だに結婚経験のない独身だし、子供もいないので父親の経験も当然ない。
その他諸々、男性ならではのもので達成したと言えるものは何もないからこそ、このままでは終われないと言う思いが強いのではないだろうかと思ったのだ。
男性として何もかも達成して、男性として満足感一杯で人生を終われたのなら、次は女性がいいと思えるのかもしれない。
昔、僕は音楽を聴くのに男性アーティストだとか女性アーティストだとか意識はしていないにも関わらず、憧れてたミュージシャンは圧倒的に男性が多かった。
女性ミュージシャンだと、その人の歌声が聴こえてきても、一緒に口ずさむとキーが合わずにしんどいと言うのもあるし、女性の奏でる音の特徴は、自分には絶対に真似の出来ないものだと、本能で分かると言うのもあったのだろう。
そして、やっぱりガキんちょの頃の自分には、女性の感性は理解し難く、女性達が可愛いと思うメロディーや、女性同士で共感出来るといってる歌詞なんて、ほとんど理解出来ないもので、言うなれば、幼なじみの女の子のママゴト遊びに、無理して付き合っている時のあの感じに近いものがあったのだ。
それでも、好きな女性アーティストは勿論いたが、数の比率で言うとそんなに多くはなかった。
ところが、今はどうだろう。
今は、いいと思うものはことごとく女性アーティストの作品で、その比率は逆転してしまっている。
この現象が起きたのは、定かでないが、おそらくまだ30歳にはなってなかった頃だと思う。
自己分析によると、自分も長い間音楽をやって、憧れる段階はきっと過ぎたのだろうと言う事だ。
結果、自分にないものを求める様になったのだろう。
実際に、昔は、好きで好きでたまらないアーティストが常にいて、「好きなアーティストは?」の問いにも即答出来たが、今は、そこまで情熱的にのめり込んでいるアーティストはいない。
素晴らしいと思うアーティストはたくさんいるが、昔、憧れて止まなかったあの熱い感じとは違って、今は、もっと静かなリスペクトだ。
自分にとっては今更感がある話題だが、「男女間の友情は成立するのか?」と言う問いがある。
この問いに対する自分なりの結論は、随分前にとっくに出ている。
その結論とはこうだ。
あくまで、男女関係のない間柄で、その間に流れる親しい者同志の感情を友情と呼ぶのなら、「男女の友情はある」であり「成立する」が答えだ。
しかし、男女の友情と言うものを、同性同士と同じものを指すのなら、その答えは「ない」である。
そもそも、男として女としてそれぞれこの世に誕生して生きている限り、自分が相対する相手が、男であるか女であるかを無視してはいけない筈だ。
その人の性別も含めて、その人の人格である筈だ。
それを、「自分には異性の親友がいるので、男女の友情はある」とか何とか言いながら、「男として見てなくて友達だから男女の関係には絶対ならない」などと言う意見を聞くと、どうしても、矛盾を感じずにはいられない。
そもそも、「男として見てない」だとか「男を感じない」なんて失礼な事を平気で口に出してる時点で、そいつとは、信頼関係なんて絶対に結べない。
そして、好きな相手でなくても、男である事を否定されるとやはりいい気分ではないし、傷付く。
人として女性として、素敵な人だと思えるからこその女友達だ。
人として、女として、どちらか一方でも魅力が全くない人と何を育めと言うのだろう。
その人と過ごす時間に何の意味があるのだろう。
女性としての魅力を感じながらも、安易に手を出さない、相手を大切にする気持ち。
そして大切に出来るかどうか。
これが大切なのであり、これを男女の友情の1つの形とするのなら分かるが、男性・女性の尊厳を木っ端微塵にする様な価値観の元では、友情どころか、人間関係の成立も難しいと僕は考えている。
ここで一つ、女性としての魅力とは根本的な女性らしさの話であり、当然、見た目だけの話ではない事を断っておきたい。
勿論、自分達は、それでも男女を超えた友情で結ばれてるって人がいるのは構わないし、それをどうこうしようとは思わない。
特に、僕が迷惑を被る訳でもないし、その考えを否定するつもりもない。
しかし、僕に対してそういう台詞や考えを押し付けるのは、気の悪い思いをするので、やめて欲しいと思うだけだ。
あくまで、僕の考え方であり、僕の価値観の話だ。
同じ考え方の人間を増やす為の布教活動をする気など毛頭ない。
SNSで知り合った異性と、初めて会うなんて時には、ついどんな人か想像に花を咲かせてしまったりするものだが、仕事で、会った事のない異性と電話やメールでやりとりしてても、初めて直接会う時でも、そんな想像に花を咲かせるなんて事はない。
何かお店や企業に問い合わせの電話などをした時でも、異性だからとドキドキしてしまうなんて事はない。
お店のカウンター越しに何かの手続きをしたりしてる時などでも、よっぽど奇麗な女性でもない限り、異性を意識して話すなんて事はまずない。
こういう状態では確かに、性別を意識していないと言っても差し支えないのかもしれない。
しかし、本当に全く意識してないかと言えば、それは違う。
やはり、相手が異性であるかぎり、無意識の内にも、どこか常に相手を性別を尊重して行動をとっているのが普通である。
普通の男性は、どんな場面でも女性として尊重はしているものだ。
そして、普通の女性は、同じく、自然に男性である事を尊重してくれている。
だからこそ、人間関係が円滑にいく訳で、男女混ざった健全な社会なりコミュニティーが形成されるのだ。
人として誕生した限りは、人としての尊厳を傷付けず尊重し、その人を人として扱う。
どこかの国や民族に生まれた人は、その国や民族の人として尊重すべきで、尊厳を傷付けるなんて事はしていい筈がない。
全てがそうだ。
性別だけは特別で無視していいなんて事はある筈がない。
男女をテーマに話を進めると、本当に尽きないので今回はこれくらいで勘弁しておくとします。( ̄^ ̄)イバリン!
次回、いつ続編が登場するか分かりませんが、その時はまた、よろしくお願いしますね。ヾ(@°▽°@)ノ
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
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