ついてる男たち〜きっとリターン〜

ついてる男たち〜きっとリターン〜

イサオの脱鬱コラム・映画批評&アツシのイラスト。きっと週1更新。

【このブログの大枠ルール】2014/04/20
① 映画批評:毎週末更新 → 文 イサオ /絵 アツシ

② コラム:随時更新 → 文 イサオ / 絵 アツシ
③ ◯◯の連載:随時更新 → イサオ or アツシ
④ ◯◯の徒然更新:随時更新 → イサオ or アツシ

アーカイブはテーマごとにまとめていきます。
画面右の【テーマ】参照。
Amebaでブログを始めよう!




2年間続けてきましたこのブログ、本日をもって終了~

ブログのタイトルはスチャダラパーの初期名曲【ついてる男】より拝借。
「どんな状況でも視点を変えれば幸せだ!」という僕の人生訓そのものであります。




映画って他人の数奇な人生を疑似体験するようなもので、
時には猟奇的な殺人者に、時には伝説のホテルマンに、時には月に取り残されたり。
成りえない誰かの姿に刺激をもらえる。

でも結局こう思うのだ・・・


「地味で不満もあるけどサラリーマンの自分は幸せなのかもしれない。」


旅行から帰ってきて「自宅が一番だな~」と同じ。
幸せは脳がコントロールしていると信じている。
羨んだり妬んだりするくらいなら、自分が置かれた今を誇るべきなのだ。

シャワーを浴びていても後ろに気配を感じない幸せ。
車のエンジンが掛かる幸せ。布団の中に白い子供がいない幸せ。
ヤクザに撃たれない幸せ。役者として挫折して気が狂うことのない幸せ。

スーパーマンにはなれなくても、
スーパーで普通に買いものできるマンにはなれる幸せ。

アンパンマンにはなれなくても、
アンパン食えるマンにはなれる幸せ。

地味に思える平凡な人生も視点を変えれば幸せだらけ。
それを再確認する為に映画を観・・・ているわけじゃないけど、
割と真剣に、映画に影響を受けてより良い自分になろうと思えることはある。

というわけで、最後にこのブログで取り上げた映画の中から、
「この映画にはコレを教わった」をいくつかお届けして終わりたいと思います。



【世界最速のインディアン】



『夢を追うのに年齢は関係ない。夢を持つということはそれ自体が価値。』

いとうせいこうが老いるということは経年劣化ではなく経年変化だ・・・
・・・と話していたけど、まさにそれを感じました。



【ビッグ・フィッシュ】



『人生はただそれだけで楽しいものじゃない。楽しもうとするものだ。』

前述した【ついてる男】にも共通するけど、
僕自身本当にこういう影響を受けて生きてきたので、
周りを見てると人よりストレスが少ないように感じます。

「悲劇は後の喜劇」これは僕がいま作った言葉ですが、
何か残念なことが起きても、時間が経てば笑えるもので。
その余裕があればたいていのことは笑い飛ばせます。



【グランド・ブダペスト・ホテル】



『徹底された美意識は個性になる。』

この映画でウェス・アンダーソン監督のファンになり、
仕事(雑貨の企画開発)でも彼が多用するフォントをわざわざ使ったり。
影響というより支障が出ています。



【そこのみにて光輝く】



『環境とは場所を指すのではなく、人間関係を指す。』

【桐島、部活やめるってよ】でも同じことを思ったけど、
つくづく人生を左右するのは人間関係だなと。
逆に言えば人間関係さえ良好であれば、どんな状況にも立ち向かえる。
人間の弱さと強さを再認識させられました。



あぁ~、他にも書き出すとキリがないのでこのへんで。

イラストを毎週描いてくれた盟友アツシ君、
そしてこのブログを“意外と”読んでくれていた読者の方々、
コメントやメッセージ、別コミュニティーサイトでも感想をいただいた皆様。
本当にありがとうございました~!

【キッズリターン】をもじって付けたサブタイトルの「きっとリターン」

「オレたち終わっちゃったのかな~」
「バカヤローまだはじまっちゃいね~よ!」

・・・とばかりに、タイミングがあえばまたなんかやるかもしれませんが、
最後はあの言葉で締めたいと思います・・・


いやー、映画って本当に良いもんですね~
さよならさよならさよなら

監督: 北野武
製作年度:1996年  製作国・地域: 日本  上映時間: 108分




【※ネタバレ含みます。知りたくない人は右上のバツを押すべし。】


************************************

いつもつるんで、学校に行っては問題を起こしていた
18歳のマサル(金子賢)とシンジ(安藤政信)。

ある日、カツアゲした高校生の助っ人にKOされてしまったマサルは、
ボクシングに目覚め、ジムに通い始める。
付き合いでシンジもジムに入門し、2人はボクシングに没頭する。

ある夜、ヤクザに絡まれた2人は、若頭に助けられ、
その迫力にマサルは感動する。

高校生活も終わり、いつの間にかシンジはボクシング界の逸材に
成長していたが、ジムにはマサルの姿はなく・・・。



************************************

「たけしはもう終わった」

バイク事故で芸能生活、ビートたけしの終焉をささやかれていた頃。
「おいらはまだ終わっちゃいね~」とばかりに復帰作として上映された本作。

それまでの暴力描写が突出したヤクザ映画ではなく、
高校生の青春映画を描くということで、
「バイク事故が死生観や作風を変えたのでは?」と言われていたらしいけど、
北野武本人はこれを否定。

「元々やりたかったテーマであって、
 本当はもっとめちゃくちゃな映画を撮りたかったけど、
 このタイミングでそれをやると『たけしは狂った、おしまいだ』と
 言われると思って、復帰作はしっかり丁寧なモノをと思っただけ。」

・・・というような趣旨の発言をしていて、
以前は「そうは言ってるけど絶対影響あるだろ」と思っていたんだけど、
いまになって思うと、本当にそうだったのかもしれない。

この映画を見直すと、たけしの哲学そのものというか。
ブレてないな~と思ったわけです。

たしかに復帰作で【TAKESHIS'】を公開してたら、
きっとオレも「たけし終わった」って思ったはず。

映画を壊すには、映画を作れないといけない。

【キッズ・リターン】があるからこそ、
北野武監督は【TAKESHIS'】みたいな映画を撮ることも、
作品の良し悪しは別として、北野武個人史としてアリになってくる。

このことを松本◯志監督に理解してほしいと思うし、
松本◯志なりの【キッズ・リターン】を撮るべきなんですよね本当。

脱線してしまいました。

映画の話に入る前に、前述したたけしの哲学について簡単に。
この人は本当に核心をつく名言を残していて、
個人的には哲学者として憧れる面があるんだけど、
彼は昔からこんなことを言っています・・・


「人も羨む『輝ける明日』なんてものはいつまで経ってもやってこない。
 
 夢なんて叶えなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで
 人生は大成功だと、心の底から思っている。
 
 ただ生きることが一番大切であって、負け続けることも大切だと思う。
 思ったことが全て叶っちゃったら、人生はつまらない。」


他でも「夢は必ず叶う!」という言葉を大嫌いだと公言しています。
要するに人生の残酷さに目をそむけて夢に逃げるなという価値観。
明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」にも通ずるとこがありますよね。

この映画のラストシーンを未来に溢れたハッピーエンドと
捉える人も多いと思うけど、そう単純じゃないからこそ重く深いのです。

前置き長くなりましたが、映画の中身の話に入っていきます。

主人公は18歳の2人。
体格とルックスが良く、おそらくそれまでの人生も、
強者としての学生生活を送ってきたであろうマサル(金子賢)。
そんな彼を兄貴分として慕うシンジ(安藤政信)。

学校の授業にも出ず、校庭を自転車で変則的な2人乗りをして
暇をつぶすようにぐるぐる回っている。

マサルが荷台に座りハンドルを操作し、
シンジはマサルと対面するように後ろ向きで立ち漕ぎ。
ふらふらと不安定ながら2人だけの世界の中でバカ笑い。

ここがもう上手いんですよね!

マサルは雑に言えばいきがっているだけの不良で、
狭い世界の中ではヒエラルキーは上だけれど、
一歩外の世界に出れば、実力が伴わずにすぐに投げ出す薄っぺらな人間。

シンジは才能を秘めているのに主体性がなく、他人に依存する性格。

マサルとシンジは互いを認め合うことで、依存し合うことで、
自分たちの学生生活を保っているわけです。不安定な歩みのまま。

これを自転車のシーンだけで演出できてしまっているんですよね。
シンジは自転車を漕いではいるけど、ハンドルはマサルに委ねている。

結果、ボクシングジムに通うようになるのも、
先にボクシングを始めていたマサルの一方的な勧誘の末。

しかし、ボクシングの実力に精神的な上下関係は存在しない。
隠れた才能を持っていたシンジは、皮肉にもマサルをKOしてしまう。

ここから少しずつ運命の歯車が狂っていく。

シンジはボクシング界の期待の新星へ成長する一方、
マサルはヤクザの世界に足を踏み入れていく。

主観ですが、この映画のテーマは
“何者かになりたい自分”と“実際になれる自分”とのギャップに苦しむ人間、
そして、成功は努力によって必ず得られるモノじゃないという現実・・・

要するに国民の99%が共感できる、青春時代の闇と光だと思います。

登場人物を紐解いてみます・・・


・マサル
不良からヤクザになり、その世界でそこそこ成し上がるも、破門にされる。

・シンジ
不良からボクサーになり、将来を嘱望されるも、
落ちぶれた先輩ボクサーにそそのかされ、腕が落ちて試合に負け、
その後ボクシングの道を諦めて米屋の配達員として生活。

・喫茶店でウェイトレスを口説いていた男
当初はうっとうしがられていたものの、その後、恋が実り結婚。
サラリーマンになるも上手くいかずタクシー運転手に転職。
職務中に交通事故により亡くなる。

・下っ端の不良A
軽い気持ちでシンジに続き、ジムに入門するが、シンジに一発でKOされる。
シンジがボクシングを諦めた頃には頭角を現し、女も連れてイケイケ。

・同級生の漫才コンビ
高校でもウケず、舞台でもウケず、
才能のなさをマサルに吐き捨てられるような2人だったが、
夢は叶い、舞台を満席にする人気漫才師に。

・下っ端の不良B
その漫才師のマネージャーとして2人を支える。


こうしてみると、「こいつはダメだろう」と思ってた奴が成功してたり、
若くして成功していた人間が“普通”に収まっていたりする。

努力の数に比例して何かを得られるわけじゃなく、
運や出会いが人生を左右するという、人生のリアルな残酷さ。

この作品、唯一の救いが漫才コンビですよね。
彼らはたけしが嫌う「夢は必ず叶う!」を体現した存在であり、
これもまた“そういう現実もある”という側面だったりします。

涙の数だけ強くなれるかもしれないけど、
涙の数だけ上手くいくわけじゃない。

そして、邦画史に残るラストシーン。

高校時代から時は経ち、ヤクザを破門になったマサルと、
ボクシングの道を諦めたシンジが、映画冒頭同様に
自転車で2人乗りで母校へ向かう。

授業中に校庭をぐるぐる回る。その様子を在校生が教室より眺める。

このとき2人は対面の変則2人乗りではなく、
シンジはしっかりとハンドルを握り、力強く漕いでいる。
ふらふらと不安定に走っていた過去とは違い、スムーズに自転車は回る。
マサルは横座りをして身体をシンジに預けている。

そして、シンジがマサルに問う・・・

「オレたちもう終わっちゃったのかな?」
「バカヤロー!まだはじまっちゃいね~よ!」

これ深いんですよ!

まず視点の問題。
シンジはしっかり前を見据えている。
マサルは進行方向とは違う方向を観ている。
でも2人は1つの自転車に乗っている。

大人になるっていうのはこういうことなんですよ。
それぞれの人生が始まって、観ている方向も変わってくるけど、
オレたちずっと同じ自転車乗ってるんだぜ的な。

でもこのシーンがただのハッピーエンドに見えないところが良い!

ヤクザの世界に踏み入ってしまった挙げ句に、
全身入れ墨だらけで腕切られて破門になったマサルと、
ボクシングの道を諦めて、米屋の配達員として日々を消化するシンジ。
シンジもきっと生活の為に米屋で働いているわけで、
それがやりたい仕事ではないと思うんですね。

マサルの陰に隠れていて、ふと見落としがちだけど、
シンジはシンジで不良ですから。
授業にも出ずに高校の頃からカツアゲ・酒・タバコ。

この2人の未来が現状明るいなんてまったく思えないし、
きっとかなりの高確率で、“社会的には”負けるんじゃないでしょうか?

「オレたちもう終わっちゃったのかな?」
「バカヤロー!まだはじまっちゃいね~よ!」

さっきと響き方違いません?
強がり、もしくは2人で言い聞かせているよう。

仮にもっとマサル目線で踏み込むと、
ヤクザ者の自分の未来が明るくないことは自覚していて、
「オレたち」と問われているのに・・・

「バカヤロー!(おまえは)まだはじまっちゃいね~よ!」

・・・という風にも見えたり。
額面通りに受け取れば、未来は明るいというラストなんだけど、
もう少し人間社会や人生は複雑で残酷だ。

でも、バカ笑いをしていたあの頃とは違って、
2人ともその事実を身をもって体験してきたんですよね。
だからこそ見えない未来に対しても、笑っていられる。
落ち着いた穏やかな笑顔の2人を映して幕は閉じる。

で、ラストの久石譲の音楽がまた良い!
エンドクレジットに移るタイミングで曲も転調。
映画の余韻をここまで盛り上げる演出もなかなかないです。

また、この物語のテーマって、映画の中だけじゃなくて、
自分自身にも言えることなんですよね。

毎日不安で仕方ないから、「バカヤロー!まだはじまっちゃいね~よ!」と
自らを鼓舞して生きているんです・・・死ぬ、その時のために!

というわけで、青春映画の名作の1つであり、
社会人として生きるいま見直しても響く映画でした。



キッズ・リターン
[Blu-ray]/バンダイビジュアル
¥4,104
Amazon.co.jp

次回はブログ総括!最終回です!

監督: クエンティン・タランティーノ
製作年度:2012年  製作国・地域: アメリカ  上映時間: 165分




【※ネタバレ含みます。知りたくない人は右上のバツを押すべし。】


************************************

1858年、アメリカ南部。
奴隷のジャンゴ(ジェイミー・フォックス)は、
元歯医者の賞金稼ぎキング・シュルツ(クリストフ・ヴァルツ)の
手によって自由のみとなり、2人は協力し、賞金稼ぎとして成功する。

その後、奴隷市場で離ればなれとなってしまった妻を捜すジャンゴは、
農園の領主カルヴィン・キャンディ(レオナルド・ディカプリオ)の元に
妻がいることを突き止め・・・。




************************************

ジャンゴォ~♪が頭から離れない。

マカロニ・ウェスタンを愛するタランティーノが挑んだ
現代ver.の西部劇ってことでしょうか。

そもそもマカロニ・ウェスタンという言葉を
ざっくりと「西部劇のこと」くらいに捉えていた自分は、
この作品の何割を理解できているのかわかりませんが、
それでも十分楽しめました。

<※ マカロニ・ウェスタン>
『 1960年代前半からイタリアの映画製作者が
 主にスペインの荒野で撮影した西部劇の総称。
 ただしこれは日本だけでの呼称で、イギリスやアメリカでは
 スパゲッティ・ウェスタンなどと呼ばれているらしい。』

要するに当時の西部劇には、日本の時代劇よろしく、
お決まりや、いわゆるお約束のような展開があり、
そういったオマージュなどが各所に散りばめられているっていうね。
その辺りを理解できる人はより楽しめたことと思います。

・・・とはいえ!前述した通り、そんなこと知らなくても大丈夫!
面白いです!かっこいいです!

物語の冒頭、奴隷商に鎖で繋がれ列をなしてあるいている奴隷たち。
その前方から現れる一人の白人。
元歯科医の賞金稼ぎキング・シュルツ(クリストフ・ヴァルツ)である。

彼は奴隷商に紳士的に奴隷を1人購入したいと申し入れる。
奴隷商は疑いながら聞き入れない。
暗い森の中でここはどう決着つけるんだろうな~・・・と思った刹那。

バン!ドサッ!ガッ!

オレ「ファッ?!」
一瞬にして奴隷商をしとめてしまうシュルツ。
か、か、かっこいい!

とにかくアクションシーンに緩急、メリハリが効いていて、
「こいつできる」感がものすごく伝わってくるわけです。

このキング・シュルツが凄腕の賞金稼ぎとして銃の扱いに秀で、
肉体的にも強く、さらには振る舞いやマナーにも長けていて、
法を立てにして言葉でも負けない。
女性がというより、同姓の男が惚れる男なんですね。

正直、主役のジャンゴ(ジェイミー・フォックス)や
悪役のカルヴィン(レオナルド・ディカプリオ)以上に、
光っていたと思います。

奴隷制度時代の黒人は人としてみなされていない時代に
シュルツのような考え方って異端も異端。
現代人のような感覚で世界を観ているわけ。
実際にこんな人物ありえないし、絶対に裏があるんだろうなと思いきや、
最後までこの人良い奴なんですよね。

ここがリアリティーに欠けてちょっとな~・・・と思ったりもしたんだけど、
実際にそんな男が日本にもいたじゃないかと彼を思い出す・・・

そう!坂本龍馬です!

未来からやってきたのかこの人は!というくらい、
現代人の感覚を持って、極めて合理的な考え方をする男。
史実に、しかも日本にそんな男がいたことを思い出して、
自分の中で急にシュルツの役を受け入れられたのは余談も余談。

その後はただただシュルツファンです。
言動や振る舞いがいちいち紳士的でかっこいい。

鑑賞中、ずっと漫画【ジョジョの奇妙な冒険】の世界が広がっていました。
荒木飛呂彦先生は間違いなくタランティーノと話合うだろうな~と。

そして、主役のジャンゴを演じるジェイミー・フォックスね。
タランティーノは彼と会ったときに「彼がジャンゴだ!」と
確信したそうですが、何となくわかる気がします。

他の奴隷たちと比べて、知性を感じさせる面立ちをしているんです。
そして、奴隷という立場にありながら心が折れてない感じ。

肉体的な強さは言わずもがな、
シュルツと協力して賞金稼ぎコンビになったときの無敵感。
鑑賞者をワクワクさせてくれる2ショット。

序盤は彼らが次々と賞金首をしとめていく様に痺れさせられます。

で、ある程度稼いでジャンゴは目的を果たすことを決意する。
奴隷市場で離ればなれになってしまった妻の奪還である。

その話を聞いたシュルツはこの話に乗り、
決闘用の黒人売買を行うプロモーターと自分の身分を偽って
ジャンゴの妻がいる農園の領主・カルヴィンに接触する。

ジャンゴは決闘用の黒人の目利きとして、
黒人の心も捨て去ったシュルツの相棒として連れ添う。

カルヴィンのファーストショットは
黒人同士に決闘(殺し合い)をさせて、賭けて興奮する姿。
この時代に生きるド畜生そのものといった感じ。

このカルヴィンを演じるレオナルド・ディカプリオがまた最高。
この人は年を重ねる毎に汚れ役を演じることで、
役者としての格が上がったように思います。

【ウルフ・オブ・ウォールストリート】でも見事でしたもんね。
若い頃はいわゆるかっこいい役ばかり演じていて薄味な印象だったけど、
悪い役やらせたらどれも本当によくハマる。

キム◯クが殻を破れないのはそういうところだろうな。
ある意味、昔のディカプリオはキム◯クだったんだから。

話逸れました。

とにかくこのカルヴィンの悪役然としたキャラクターが
シュルツ&ジャンゴコンビとのVS感を盛り上げます。

それまでビジネス相手として友好的な関係を築きつつも、
途中でシュルツとジャンゴの目的に気付き、
カルヴィンが怒りに狂うシーン。

黒人の頭蓋骨を取り出し、目の前でその頭を割ってみせる。
それまでは怒りを隠しながらプレッシャーを与えるような語り口。
そしてテーブルをガンッ!指輪をはめていたからか血がダラダラ。

あれ一瞬ハプニングかと思いました。
それくらい血の出方が自然も自然で。
その血をジャンゴの妻の顔にすりつけるっていうね。

こういう抑えた怒りから爆発させた怒りを表現させたら
ディカプリオはピカイチ!ゾクッとくるものがある。

というわけで、物語の主軸となる3人が
各々の立場で超絶的に魅力があって、観ていて退屈しません。

アクションシーンの爽快感はタランティーノ節満載。
個人的にはただただドンパチが続くのって観てられないんだけど、
メリハリが効いてて画になるシーンが多いので楽しめました。

そして最後の結末も多くは言いませんが、良い意味で大味で、
ちょっと笑えるところがタランティーノ映画ってところでしょうか。

「あ、いまタランティーノの映画を観てるな~」っていうね。

フルコースの最後にチャーハン出てくる感じ?
(ちょっと伝わりづらいでしょうか。)

題材は古くても、見せ方で新しくしてしまう。
さらにはそこに固有の作家性を爆発させる。

タランティーノってやっぱり鬼才である前に実力者ですよね。
映画を壊すには、映画史の文脈を知らなければならないわけで。
その点、そもそもが映画オタクのタランティーノの場合は、
下地が出来上がっている上で、やりたいことやってるから、
エンターテイメントとして成立してるんでしょうね。

次回作が楽しみです。


ジャンゴ 繋がれざる者
[SPE BEST] [Blu-ray]/ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
¥2,571
Amazon.co.jp


次回、このブログを締めくくる最終回。

更新予定の映画タイトルは
【キッズ・リターン】です。


キッズ・リターン
[Blu-ray]/バンダイビジュアル
¥4,104
Amazon.co.jp

すでに観た人、観てない人、
これきっかけで観てみ。