ワークショップ 第4日 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

第4日

核分裂とは?


まず、前回に続いて 用語の定義を。

ブリタニカによると


「質量数」
原子または原子核の質量は原子量単位ではかるときわめて整数に近い値をとる。この整数を 質量数という。

質量数はその原子核を構成する陽子の数と中性子の数の和に等しい。

原子質量単位:原子核物理学で用いられる質量の慣用単位。 1u は炭素原子12の1原子の質量の12分の1、つまり近似的に1.6605402x10-27kg
1962年以前は酸素16の質量の16分の1を単位とした。


原子核反応には2種類ある。
自発的核反応:放射能をもった不安定な原子核が自発的に核反応を起こして他の原子に変わる。
原子番号が変化して化学的に別の元素に変わる「核化学反応」


それと中性子が関与する崩壊がある。
中性子は電荷をもたないので電気的な反発を受けず、容易に原子核に近寄り吸収される。
その結果、核の重さ(質量数)がひとつ増えるが、原子番号は変わらない。
しかし、一般的には、その原子核は不安定になって放射性元素となり、「ベータ崩壊」や 「アルファ崩壊」をして元素の種類が変わってしまうことが多い。

「核分裂反応」の場合には、たとえばウランが中性子を吸収して分裂し、原子核の重さが100あたりと140あたりの二つの元素に割れる。

この核反応に伴いエネルギーが発生する。「原子核化学反応エネルギー」と呼ぼう。
原子核が変化に伴い核の質量が変化する。
質量の総計が減った分だけエネルギーとなって放出される。


「質量不変の法則(または質量保存則)」
1774年にラヴォアジェが発見した「化学変化の前後における諸物質の質量の総和は不変である」という法則。

アインシュタインが創唱した質量とエネルギーの等価性
等価原理:慣性質量と重力質量とが等しいという原理。一般相対性原理の最も重要な基礎。



核分裂

核分裂は極めて特異な核反応の一種。

天然に存在する最も重い元素はウラン(U、原子番号90)。
そのうちの235の重さの同位体(ウラン235)は核分裂を起こしやすい。
その原子核は92個の陽子と143個の中性子からなる。

これらの粒子は核内で液体中の分子のようにザワザワと動いている。

そこに外からもう1個の中性子が飛び込んでくると異常な現象が起こる。
受精したばかりの卵子を思い浮かべて欲しい。

核が不安定に踊り始め、突如、卵子が割れるように、中央がくびれ、2~3個の中性子を放出しつつ ほぼ真っ二つに割れる。
正確には真っ二つではなく、重さ85~110くらいと130~150くらいの2群の原子核に分かれる。


ウラン235の核分裂により放出された中性子は、まだ分裂していないウラン235に吸収され 連鎖的にそのウラン235の核分裂を引き起こす。

この連鎖反応が継続できるようにコントロールされた状態を「臨界」と呼ぶ。

臨界を超えた制御不能な暴発的連鎖反応を兵器に利用するのが原爆。

連鎖反応の過程で、ウラン238からプルトニウム(Pu。原子番号94)・アメリシウム(Am、原子番号95)などのウランより重い人工の放射性元素が生まれる。



用語の定義ばかりじゃ退屈なのでここで世界史を変えることとなった核分裂関連の歴史を少し↓

「マンハッタン計画」

1939年8月2日付でアインシュタインがルーズヴェルト大統領に宛てた勧告書が機になり原爆製造をドイツに先んずるために「ウラン諮問委員会」が設立された。
1940年からUSAと英国の間で研究情報の交換が始まった。
原爆計画担当となった米政府の科学研究開発局は1941年12月に同計画を本格的に拡充、強化することを決定、42年8月陸軍工兵団のなかに「マンハッタン管区」という暗号名で原爆製造担当部門を設置、L.グローブス大佐が最高責任者に選ばれた。

科学研究開発局と陸軍との共同管理は43年5月に終わり、その後は陸軍のマンハッタン管区が管理した。
42年12月2日シカゴ大学の「冶金研究所(暗号名)」は原子核分裂の連鎖反応実験に成功、原爆を完成する研究、製造はニューメキシコ州のロスアラモスの原子力研究所(1943年春設立、所長J.オッペンハイマー)で行われた。1945年7月16日ニューメキシコ州アラモゴードで史上最初の原爆実験に成功した(プルトニウム239を使用)。

マンハッタン管区は戦後の46年末に廃止され、その任務は47年1月にできた原子力委員会に引き継がれた。

「オークリッジ」

テネシー州中東部、ノックスビルの西約30kmの距離にある都市。 テネシー河谷に位置し電力が豊富なところから、1942年にマンハッタン計画本部所在地に選ばれ、以来原子力工業都市として発展した。巨大な濃縮ウランの製造工場や原子力博物館がある。人口2万7千人(1990年)。


(以上の2項はブリタニカ百科事典からの引用です)

クリントン研究所

1942年、アメリカ陸軍工兵隊は、テネシー州ノックスビル郊外の丘にクリントン研究所をつくった。
この研究所はマンハッタン計画を推進する三つの主要な研究開発センターのひとつとして役割を果たした。

クリントン研究所は、原子爆弾の製造のもととなる核分裂性物質をまかなう任務を受け、みごとな成果を収めた。
開発された原爆はその後、ニューメキシコ州のトリニテイー実験場で炸裂し、広島と長崎に投下されることとなった。


(上の2項はリチャード・マーチン著野島佳子訳「トリウム原子炉の道」(38頁&148頁

クリントン研究所は現「オークリッジ国立研究所」の前身なのです。

(つづく)