めのおの少年時代 その⑩ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

昨日は、パリとフランス全土で今までより激しい、黄色いチョッキ・デモと治安部隊との衝突がある筈なので見逃せないと早起きしてテレビとインターネットを点けたのだが接続できなかった。機動隊の動員人数を増やし装甲車まで用意した治安部隊がどんな動きをするか見たかったのにトラブルのメッセージばかり。十回以上もいろいろ試して悪戦苦闘したが虚しく諦めるしかなかった。

 

そのうち、まてよプロヴァイダ―の Orange はかつて「フランステレコム」で国営だったから、今度も黄色いチョッキ同士がスマホで連絡取り合うのを妨げようと通信を切ったんじゃないか?と邪推するに至った。

 

ま、そんなことしたら後で散々な目に遇うのは目に見えてるからそれはないだろう、と言い含めてラジオのニュースを聴いた。午前中は平穏だったデモが日没後荒れだし、パリではシャンゼリゼの外にもレピュブリック広場やサンラザール駅周辺、オスマン通りなどで商店の破壊が始まった。地方ではマルセイユ、ボルドー、トウルーズで激しく衝突した。今日買い物に行くと道路は閑散としてスーパーも客がまばら。いつもはクリスマス前のかき入れ時で賑わうのにこれじゃ景気後退だ。カーラジオのニュースが唯一の情報源となった。それによると昨日デモ参加者は全国で12万人。うち逮捕(拘束)者1700人。警察監置1200人。うちパリが900人という数字だった。マクロン大統領は週明けに国民に話しかけるということだ。

 

テレビもインターネットも繋がらないのでストーヴの前にノートパソコンを持って行き「少年時代」の続きを書きました。

 

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「めのおの少年時代 その⑩」

 

 

めのおが十歳の時、おたま婆さんが死んだ。隣の蛭間のお婆さんが教室に飛び込んできて、めのおの「おばあちゃんが危篤なのよ!」と叫んだ。「すぐ帰りなさい」先生が帰してくれ、めのおはおたま婆さんの枕元に座った。「お水をあげて」大人の誰かに指示されてめのおは水を含ませた綿をおたま婆さんの唇にあてた。それから間もなく、ぐうっと胸を持ち上げるように大きく息を吸い込んだと思うとぐったり延びて動かなくなった。それがおたま婆さんの臨終だった。

 

肉親の死という初めての出来事に呆然としてめのおは独り塀の外へ出て公園の入り口の路地に 佇んだ。「死」という子供には不可解な出来事に遭遇して戸惑ってもいたが、その戸惑いの一部には家を覆っていた薄暗い雲が晴れてゆくような明るい兆しがあるのを感じていた。おたま婆さんが居なくなることは明らかだ。二年ほど前におたま婆さんは脳溢血で倒れ寝たきりの姿になっていた。寝床からめのおや兄に向って「ショウチュウ買ってきてくれ」と命じることが続いたし、厠へも行けず母が半身を支えて連れてゆく様子をなんども見ていたから寝たきりの婆さんは子供にとっても意地悪ばあさんだったし、母親に苦労を掛け通しだったので薄暗い陰を引きずった人が居なくなるのが明るい兆しに思えたのだった。

 

朝鮮半島のどこかで駅長をやっていた人、それがめのおの父の父、祖父にあたる人だということだけは話に聞かされていた。めのおの父が満州で生まれたことも聞かされていた。満州鉄道が朝鮮半島にも走っていたことはめのおはずっと後になって知ったことだ。とにかくめのおの祖父にあたる人は満洲鉄道の朝鮮半島のどこかの駅で駅長をしていた。その人は「事故で亡くなった」とめのおは長い間信じていた。戦争の時代のことだから事故の責任を感じて自殺したとまでめのおは悲劇的に空想を膨らませてもいた。事故じゃなく「病気で死んだんだ」と父の口から聞くことが出来たのはめのおが還暦近くなり父が九十歳を迎えるほど高齢に達してからだった。「その頃のこともっと聞かせてくれない」と父にせがんだが「小さかったからなんにもおぼえてない」と言ったきり父は口をつぐんでしまった。辛い事なので話したくないのだなと理解できたがその頃はめのおも日本と朝鮮半島、満州や中国との関係をもっと知りたかったからなにも話してくれない両親には至って不満だった。父も母もその頃のことはなにも語りたがらなかったのは戦争に負け暗い時代を潜り抜けてやっと明るい世界へ抜け出ることが出来、いまさら後戻りはしたくない思いが過ぎ去った時代のことを思い出したくなくさせていたのだろう。それと父が職を変えて、アメリカで流行っている新しいビジネス、経営コンサルタントの道を選び、たびたびアメリカ詣でをするようになっていたこととも関係している。「スミスさんがくるんだ」と父は興奮気味に語り、買ったばかりの8ミリカメラで撮影した映画を見せてくれた。

 

父がおたまばあさんと二人きりになり朝早くに起きて朝食の支度をしたという話はなんどか聞かされていた。父の話はそれからすぐに学生時代に跳び、金沢で「前田の殿さんのご家老の家に下宿して毎朝ご家老と向かい合って膳を置いて食べてたんや」という話になった。めのおはだから父が朝ごはんの準備をして苦労したあと割とすぐにおたま婆さんは再婚し父も養子に貰われていったのだと理解していた。

しかし、めのおは父が九十六歳で亡くなり、紀伊勝浦に高校の同級生だった人が住居を提供してくれたのを機に帰郷の準備をしようと日本とフランスをなんども往復しはじめた5年から3年前(2013~2015年)に手に入れた戸籍謄本からおたま婆さんが再婚し父が養子に貰われていったのは父が17歳の時だったと知って愕然とした。おたま婆さんはそれまで女手ひとつで父を育て大学(旧制)の学資まで出したのだった。「よねやまさんから雲をが~でえる~。い~まあにい~、ゆだち~がぴっからしゃっからどんからりんとお~」なんて唄をおたま婆さんが教えてくれたのも、そういう唄が日常的に唄われている世界におたま婆さんは長年暮らしてきたのだ。あの時代、女性が独りで生活費と息子の学資まで稼げる世界と言えば「花柳界」。そうか、おたま婆さんは芸者だったかどうかは分らないけど、その世界で生き抜いたんだ。父が前田家のご家老の家に下宿して送った学生生活もおたま婆さんが花柳界で働き稼いだからできたことなんだ。金沢で工学部を出てエンジニアになった父はよく「日本が引きずっている暗い伝統社会から早く抜け出したい」という意味の思いを口にした。ヤクザや日本の軍人や政治家が引きずっている黒々とした、ドロドロした情念や深層意識が支配する人間関係から抜け出したい。理性が支配する明るい光の射す世界に生きたい。そういう世界を早く実現したいという理想を父は若い頃からずっと抱いて生きた、と九十六歳で逝った父を振り返ってめのおは思う。

 

再婚はしたがすぐに離婚したのでめのおがモノ心ついた頃、ウチには父方の祖父という人が居ないのだった。離婚はしたものの姓は再婚相手の姓を名乗ったままにした。めのおの家の姓もだからおたま婆さんの再婚相手の姓、つまりめのおの父の養父の姓がついている。おたま婆さんの再婚相手の男性は播州赤穂出身の人だと戸籍謄本で判ったので、3年前に姫路城を観たついでに赤穂にも寄った。市役所で父の戸籍謄本を求めてみようかためらったのち、窓口が混んでいたせいもあったが複雑な事情を説明せねばならず次回にしようと見送ったのだった。ただ、その前に手に入れた戸籍謄本からおたま婆さんと父の旧姓が「山田」だったとわかった。あとで判ったことだがめのおの人生に強い影響を与えた人に「山田」を名乗る人が数人いる。山田さんとはどこかで親和力のような力が働き惹かれてしまったのではないだろうか?

中学2年の時の同級の山田君は、まっすぐな艶のよい髪を長く伸ばし眼鏡を掛けて話しかけるといつもニコニコと気持ちのよい笑顔を向けてくれるのだった。その時も親和力というのだろうか? なにかめのおがそれまでに感じたことのない親しみを山田君に感じたのだった。「これおもしろいから読むといい」そういって山田君が貸してくれた本は「シートン動物記」だった。めのおは小説や物語はあまり読んだことがなく孫悟空やクオレ物語の次くらいに読んだ本がこの「シートン動物記」だったように思うが、動物が好きだったのですぐに惹き込まれてシリーズのいくつかを続けて読んだ。山田君は小田急線の大秦野というめのおにはえらく遠くに感じられる所に住んでいて、毎朝そこから通ってくる山田君に敬意を抱いていた。「シートン動物記おもしろかった。ありがとう」と礼を言うと、こんどウチに遊びに来いよと誘われた。たぶん日曜だったと思うが遊びに行くと山田君は家に独りきりでお父さんもお母さんも不在だった。「オヤジはいつも留守だし夜仕事するんだ」と恥ずかしそうに山田君は漏らした。どんな仕事なのか知りたくなって訊くと「雑誌なんかにモノ書いてるんだ」と照れながら言った。山田くんの部屋は広くてサンルームのように日当たりが好く、雑誌やおもちゃやカップなんかが一面に散らかっていた。バイクに乗るかい、と言うので驚いて「バイク持ってんの?」と訊くと、オヤジが買ってくれたと答える山田君の声はどことなく寂しそうな陰があった。バイクに乗るのは初めてなので喜んでいるめのおを後ろの荷台に乗せ、まわりが畑だらけの道を山田君はエンジンのうなりをあげて突っ走った。

「ねえ、君、中学んとき山田君って、いたの覚えてる? 」
高校に入りたての頃、同じ中学から来たMが休み時間に廊下に出ためのおに隣の教室から出て来て言った。
「彼、自殺したんだ」
自殺!考えてもみなかった言葉を聞いてめのおは呆然とした。Mは手に折りたたんだ紙きれを持っていた。「週刊誌が書いたんだ」。Mが差し出した週刊誌の記事の数ページをめのおはなにか汚らわしいモノを見るような思いで手に取った。そこには「不純異性交遊の果てに自殺」といったようなタイトルが太字で書いてあった。そしてその下に、めのおが遊びに行った日に見た日当たりのよい山田君の部屋の写真が大きく載っていた。

高校に入学したその年に「日米安保条約改定」反対運動が日本全国を覆った。エンジニアの父をめのおは尊敬していたので将来は父のようにエンジニアになるんだと決めていた。中学を卒業するまではなにひとつ疑問を持たずに試験勉強を喜んでしてきためのおの心に、高校に入ってから翳りが射し始めた。それまでの無邪気な「良い子」でいようとした自分に限りなく嫌悪を感じたのだ。アメリカ詣でを続ける父の姿は国会で改定安保を強硬に通そうとする岸首相と同じじゃないかと思った。鬼畜米英を叫び特攻隊までやって皇国のため命を捧げた若者たちへの裏切りじゃないか! ふと心を過る影が囁き、可塑性に満ちた思春期のめのおの心を懐疑と不信と反抗へと引きずるのだった。「日本は戦争に負けたんだ」夕食の席で不服面をして反抗的態度を見せる息子に父親は気がついたのか、水割りのタンブラーをステイックでかき混ぜながらそう言って聞かせた。

 

 

        酔っ払い