熊野滞在記から | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

2016年から使わずに放ってあったミニ・ノートパソコンを開けたところ滞在日記がみつかったので一部を投稿します。

 

村役場での行政手続きや保険について書いてありますが、ご参考になればと願ってます……。

 

 

 

 

2016年3月10日

一昨日到着し、昨日は雨にたたられたが、宇久井のホームセンターへ谷のヴオルボで連れて行ってもらい材木と工具を買った。雨は夜まで降り続いた。

 

今日、3月10日雨は止んだが曇り空、午後には薄日が射しそうだ。
勝浦の町へ行き、郵便局で郵貯口座の開設を申し込む。

3月12日
郵貯開設は上手くいった。偶然だが、午前中断られ郵便局を出ると隣に役場があったので、よもやと思い、住民票の申請をしてみた。

 

窓口の女性が実直で親切だったせいか、郵便局のようにパスポートの住所が外国のだからダメとは言わず、本籍が確認できさえすれば住民票と国民健康保険証を発行してくれるとのこと。本籍の住所を正確に思い出せず、いったん市野々の家に戸籍謄本を取りに戻る。
持ってきてあったのは、古い、まだ手書きの青焼きの謄本で、住民票発行依頼のためではなかった。

 

2年前帰郷した折、新宿の郵便局で郵貯口座の開設に必要な書類を確認したところ、住んでなけりゃダメ。住民票ですか? と訊くと「住民票は関係ない」との返事だった。それで今回も住民票は当てにせず、市野々の住所あてに送ってもらった手紙とHプロパンと昨年秋に交わした住所と印鑑入りの書類を居住の証明として提出したのだったが、郵便局では、それではだめだった。住民票はお持ちですか? と向こうが訊く。隣に見えた町役場に入って訊いてみたところ、予想外に親切で、本籍地の住所の確認が出来さえすれば、住民票を作ってくれると言う。

 

結局、戸籍謄本を持って午後出直したところ、すんなりと住民票を作ってくれ、それを持って郵便局を再度訪れ、郵貯口座の開設を申し込むと今度は文句なく、開設してくれ、通帳をくれた。ちなみに町役場では住民票と一緒に、国民健康保険証、高齢受給者証までくれたのだった。

郵貯口座が出来、国民健康保険と高齢受給者の手帳までくれたので、心配していた、移住後の医療と老後の介護の必要が生じたときの備えがもう早々と出来てしまった。

今日、昼食後に買い物に出かけるとき、仮の郵便受けに2通封書が入っていて、一通は住民票番号の通知、もう一通は介護保険の説明書と保険料の割合の説明書で、おおざっぱだが月々6千円ほど払わねばならない。支払日がいつになるか? 4月19日までの滞在期間中だと良いのだが。
国民健康保険と高齢受給者の保険は強制なので覚悟はしていたが、こうも早いとは。任意の生命保険のほうは、最終的に移住が実現してからにしないといつ戻ってこれるかが、フランスの家がいつ売れるか? 次第なので、長期に渡って保険料金を払い続けるわけにはゆかない。ガン保険は 申し込んでから3か月後でないと効かないと勧誘の女性が脅したが、ガンには罹らないと信じてリスクを負うしか仕方あるまい。

8日夕
市野々の家についてすぐに目に留まったのは庭のレンゲソウだった。紫がかったピンクの可憐な花が草の緑に彩を添えていた。

12日 午後
予報に反して午後は雲ひとつない晴天。昨日まで冷たかった風にようやく春のぬくもりを感じる。昨日、温泉へ行く道でウグイスが一声鳴くのを聞いた。
山の緑が日を受けて驚くほど多様な色相の変化を見せる中に、ところどころ、煙かと見まがうほどぼんやりとかすかに桃色がかっているのが認知される。ほとんど白い木が混じっていて、あああれが桜だ、とようやくのことで、知覚できるのだった。家の近くでは1本くらいしかなく、温泉のある所まで
上ると、那智の滝に近い上の山々の肌合いに白い桜が多く認められる。

奈良の友達は材木を買って運んだその日の夕に、中辺路(なかへじ)を取り、田辺、和歌山経由で奈良へ帰った。裏庭に落ちていた50個あまりのレモンを天然のレモンだと喜んで拾い二袋すべて持ち帰った。

買い物の道すがら、みつけた歯医者に月曜になったら電話して、剥がれ落ちた刺し歯をくっつけて貰おう。天満の「ちあき」という歯医者は建物ができたばかりの新築で気持ちがよさそうだ。オークワで帰り際に見かけて買った「ちあきなおみ」のCDとつながるところもいい。もう一軒、川関に「那智」という名の歯医者がある。貰ったばかりの保健証を使ってみよう。

枯草に当たる日差しがあまりに暖かそうなので、日向ぼっこをしたら気持ちよかろうと外へ出たが、空気はまだ薄ら寒い。花粉症の気はないはずだが鼻水が出た。

朝、食事のすぐあと、第一章のアブドラと宏和の会話の書き換え分を書いた。初めから宏和の内面の進化を追ってゆく構成にしたい。アブドラも、ケバウもジャンヌも和彦も時子もムホクも、登場人物全員が「本来あるべき自分」を探し、見つけ出す「十牛図」の構成を借りた十章にしたい。


13日
「公理主義の考えが出現する以前においては、実体主義的に、‘’そこに真理がある‘’というのが大前提であって、それを発見するのが学問であった。たとえば数学の場合でも、神様か誰かが、そこいらに産み落としておいてくれた真理を発見するのが、数学者の務めであった。
ところが現代では、数学とは数学者が作るものであると考えられている。

数学とほかの科学に方法論の違いがないのかというと、そうではなく、大きく違う点が一つある。それは、数学では公理を実証する必要がないのに対して、ほかの科学のほうは、仮説を実証してみて、その仮説に現実的妥当性があるかどうかを検証することが、まず必要になってくるのである。」
(小室直樹「数学を使わない数学の講義」p202&203)

こうした科学的知識とはまったく正反対なものに何があるかといえば、その代表は神学的知識だろう。神学的知識とは、本来、神の言ったものなのだから、絶対的なものであり、その現実的妥当性を実証するなどとは、とんでもない涜神行為だということになる。

15日
朝から快晴。材木を車庫の前に下し、組み立てを始める。昼、木ねじの短いのを買いにバスで勝浦駅まで行く。駅でミニ・ノートパソコンをインタネットに繋ごうと(ワードに入れた原稿の遂行を有効に保存するため)開いたところ、画面いっぱいに英字が並んでいた。ゆっくり読んで処理すればよいものを、保存せずに閉じますか? という問いにイエスをクリックして閉じたら、画面が黒くなり動かなくなった。しまった、これで使えなくなったら一大事と夜回復するまで悔しい思いをした。

足場の組み立ては地面に寝かせて始めたのだが、地面が傾斜しているので、あとから組んだ側面はひどく傾いていた。やむなく切れ端の板を六枚ほどもかませてもう一方の側面とやっと重ねることができた。地区の世話役のKさんが犬の散歩に通りがかり声をかけてくれたのでしばらく話をした。

16日
朝食の前に、原稿を書いていると、Kさんがインターホンを押して、来てくれた。もう作業できるような服装なので、さっそく手伝いに来てくれたのだ。食事を済ませ、作業を始めることにする。9時ころからになるか?

17日 と18日
17日の午後と今日の午前中で、古い塗装剥しと痛んだ木材の表面削りをやった。防護用のマスク、ゴーグル、ヘッドホンを着け、頭に帽子代わりの手ぬぐいを巻いてやるので、長時間続けるとかなり苦しい。途中休み休みやることにする。天気予報では、今日明日と雨なので、午前中日が射したりしたが、昼前には片づけて、午後は勝浦の駅にタブレットを持って行き、ワードのアクチヴエイトをやった。初めは那智駅で試みたが巧くゆかぬので、海岸を歩いて勝浦の駅へ行き、椅子とテーブルの向きが横を向いてるので、作業しずらいのだが、我慢してどうにか、ワードに入れたテキストを訂正後も保存できるようにした。駅前から出るバスに乗りA-Coopで買い物、四時ちょっとすぎに家に帰り、茶を入れて、買ってきたおはぎとせんべいを食べた。食事の合間に、たまらなく食べたくなるので今日は節約は一時停止として、食べたい、ブリの切り身や焼き魚用のスズキの切り身と大根を買った。今晩は、大根おろしで焼き魚を食べよう。5時過ぎに大相撲大阪場所の中継はBSから切り替えられ見られなくなった。予報どおり雨が屋根を叩いている。

 

 (つづく)