では、次のセンテンスに進みます。
Mais ce ne pouvait être le même de l'idée d'un être plus parfait que le mien: car, de la tenir du néant, c'était chose manifestement impossible: et pour ce qu'il n'y a pas moins de répugnance que le plus parfait soit une suite et une dépendance du moins parfait, qu'il y en a que de rien procède quelque chose, je ne la pouvais tenir non plus de moi-même: de façon qu'il restait qu'elle eût été mise en moi par une nature qui fût véritablement plus parfaite que je n'étais, et même qui eût en soi toutes les perfections dont je pouvais avoir quelque idée, c'est à dire, pour m'expliquer en un mot, qui fût Dieu.
<フランス語ノート>
moins de + 無冠詞名詞 より少ない 例: Il y a moins de décés que de naissances. 出生より死亡のほうが少ない。
répugnance : 現代では嫌悪(感)。
古い用法では「矛盾」(ラテン語 répugnantia 反対)
une suite de ~無冠詞名詞 ~の連続、一続きの
de façon (à ce) que + subj. ……するように
il reste que + subj. することが残っている。するばかりだ
例:Il reste que nous nous expliqions. まだ説明しなければならないことがある。
<意訳> 文法的細部に判らないところがありますので理解できた限りでの 意訳とさせていただきます。
しかし、これは私より完全な存在という観念でもあり得ない。なぜなら、無から由来するのは、明らかに不可能なことであり、最も完全なものが、不完全なものの従属物であり連続であるなどいうことに矛盾がないなどありえないことだ。先立つなにかなどなにもないのであり、ましてやその観念が私自身に由来するなどありえない。とするならば、あとは私より本当に完全な本性によって私の中にその観念が植えつけられたということになり、その本性はそれ自体で私がなんらかの観念をもつことができるようなすべてに完全なもの、すなわちひと言でいうなら、それは神なのである。
<めのおのコメント>
ここに至ってやっと、めのおが目標とした「デカルトが神に逃げ込んだ」というスピノザの批判が何処に由来するのかという探求の一端に辿り着くことができました。めのおは、スピノザの「エテイカ」の通読を中断したままで居ました。
スピノザはデカルトの哲学に深い影響を受け、そこから出発しながら、デカルトを批判し、デカルトが充分明らかにしえないまま後世に残した問題、特に心身問題が抱える矛盾を解決しようとしました。
スピノザが心身問題を扱う書を「エテイカ」(倫理学)と名付けたことがなぜなのか? 疑問のままでしたが、デカルト関連を探るうち、その答えが見つかりました。それは、この時代、ヨーロッパでは身体の問題は認識論から除外され、倫理学の分野に入るとされていたからでした。
では、そのスピノザによるデカルトの批判を見てみましょう。
「自明な原理からでなければ、何ものも導きださず、また明瞭・判明に知覚できるもの以外は何ものも肯定しないということを断固として主張し、スコラ学者たちがあいまいなことがらを隠れた性質によって説明しようとしたことを、あのようにしばしば非難した哲学者自身が、いっさいの隠れた性質よりもさらに隠れた仮説をたてるとはまったく驚きいったことである。(中略)
しかし彼は、精神を身体からはっきり区別して考えていたので、この結合についても、また精神自身 についても何一つ特別な原因を示すことができず、全宇宙の原因、すなわち神にその避難所を見いださなければならなかったのである。」(エテイカ第五部序文 中央公論社版「世界の名著、スピノザ・ライプニッツ」 下村寅太郎責任編集 343~344p)
この回でデカルトの方法序説の読解は一旦休止とさせていただきます。
分かりにくい文章にお付き合いくださりありがとうございました。
(^人^)
