数年前、帰郷した折に偶然見つけた本「ユークリッドと彼の現代のライバルたち」(原題は 「Euclid and His Modern Rivals」 1879年に英国で出版され本です)。
この本はフランスに持ち帰ってあったのですが、長い間、段ボール箱に眠ったままでした。
それを昨日、取り出して、訳者である細井勉さんの解説を読み始めたら、面白くて、つい夜更かししてしまいました。
なにが面白いかって? この本の著者は、あのルイス・キャロル Lewis Carroll と、チャールズ・ラトウイッジ・ドジソン Charles Lutwidge Dodgson という二人。
二人の人物の共作、と思わせておいて実は、この二人は同一人物なんですね。そこが、ルイス・キャロルの悪戯でもあるわけなんです。
ルイス・キャロルはいうまでもなく「不思議の国のアリス」を書いた児童文学作家として知られる人。
ほかに「鏡の国のアリス」、「シルヴィとブルーノ」という長編小説も書いています。
ルイス・キャロルは筆名で、本名がチャールズ・ラトウイッジ・ドジソン といい、本業は数学者だったんですね。
筆名は本名から作ったんだそうです。Charles Lutwidge を対応するラテン語にして Carolus Ludovicus それを英語らしくして Carroll Louis 、さらに ルイスの綴りを変え順序をひっくりかえして Lewis Carroll にしたといいます。
Dodgson はふつうドジソンと読むのに、キャロル自身は Dodson ドッドソン と発音し、それが吃音障害のために、Do-Do-Dodson となっていた。「不思議の国のアリス」に出てくる絶滅種の飛べない鳥ドードーはキャロル自身が自分になぞらえていた鳥だったのですね。
キャロルの数学者としての業績は論文「行列式の縮約」で、唯一の外国旅行、1866年のロシア旅行の直前に発表しました。
行列式はちょっと大きくなると現在の大型かつ高速のコンピューターを使っても計算量が膨大になりすぎて手に負えなくなるらしいですが、キャロルはコンピューターの無い時代に、計算量を減らして計算する方法を考え出したのです。
20世紀の後半に、キャロルの方法の再評価がなされ、コンピューター・プログラムに適用されるようになったそうです。
1832年生まれのキャロルは、12歳でリッチモンド・グラマー・スクール(中学校)に入り、1846年に ラグビー校に転校し、1851年にオクスフォード大学のクライストチャーチに入りました。翌年に Student という資格を取得。これは特別研究員と訳される給費生なんだそうです。
1854年に大学を卒業し、BAの資格。数学の講師となる。57年にはMAの資格。
1865年に「不思議の国のアリス」を発表。1871年に「鏡の国のアリス」を発表しました。
1881年に大学の教師を自発的に退職。執筆に専念したかったから。
1898年に亡くなりました。享年65歳。
当時のオクスフォード大学では、学生は国教会の教えに忠実であることが要求され、クライストチャーチの特別研究員になるためには司祭という聖職者資格が必要で、つまり生活のためには聖職者でなければならなかった。それでキャロルは聖職者としては最低の資格の「執事」となり、それにとどまったという説もある。でも、吃音障碍のあったキャロルは教会で説教をすることを極力避けて通したということです。
キャロルは死ぬまで学寮に住んだのですが、学寮に住むには独身でなければならなかった。つまりキャロルは生涯独身で通したのでした。
おもしろいことに、キャロルは1856年にカメラ(写真機)を手に入れ沢山の肖像写真を撮り、肖像写真家としても一定の評価を得ていたということです。
めのおがなぜこの本に興味をもったかというと、それはユークリッドの「幾何学原論」を巡る当時の論争に、キャロルが一定の判断を下し、そのためにこの本を書いた、と前書きで知ったからなんです。
当時「ユークリッド幾何学」にたいして疑問が沸き上がっていました。「非ユークリッド幾何学」が誕生しかけていました。
結論から先に言うと、キャロルはいろいろ問題はあっても「ユークリッドの幾何学原論」は教科書として使って良いのだ、とユークリッド擁護だったようです。
一緒に買った「非ユークリッド幾何学の世界」(寺坂英孝著、講談社 Blue Backs)と合わせて、雨続きのこの節、家に籠って過ごすには読書がちょうど好いので、原点に立ち返るつもりで読もうと思います。
思えば、高校入学そうそう教科書に疑問を抱いたことがきっかけで、数学を嫌悪したまま、60年間を無為に過ごした、その後悔とともに、あの時の疑問もまんざら理由のないことじゃなかったのだ、と自分を慰めながら読むことにします。
(`(エ)´)ノ_彡
