空にさえずる鳥の声
峯より落つる滝の音
大波小波とうとうと
響き絶やせぬ海の音
まず、You Tube でこの唄を聴いてください↓
『美しき天然』(うるわしきてんねん)は、1902年に作曲された日本の唱歌。当時の楽譜には「ワルツのテンポで」と記されており、日本で作曲された最初のワルツという。『天然の美』とも題されます。
作曲者は、当時の日本海軍・佐世保鎮守府で軍楽長を務めていた田中 穂積(たなか ほづみ/1855-1904)。
この曲は当時日本で最初に出来た女学校、佐世保女学校(私立)のために作曲されました。
田中 穂積は海軍の軍楽長でしたが佐世保女学校の音楽教師でもありました。この曲が軍隊の曲だというのは誤解だと思う。
日本で最初の三拍子のワルツ曲。明治大正昭和の初期まで商業宣伝(コマーシャル)の有力媒体だったチンドン屋さんがこの曲を太鼓・クラリネットあるいはサクソフォンで演奏しなながら町を練り歩いたため日本中に曲は広まった。もうひとつめのおの記憶に残るのはサーカスのジンタ。日本のサーカス(後楽園に木下サーカスを観に行った)はある悲哀の感情と結びついています。
作詞者は、滝廉太郎作曲『花(春のうららの隅田川)』の作詞で知られる詩人・武島 羽衣(たけしま はごろも/1872-1967)。『美しき天然』のために武島が新たに書き下ろした歌詞ではなく、田中穂積が作曲当時既に発表されていた既存の詩集から転用したものだそうです。
歌詞
空にさえずる鳥の声
峯より落つる滝の音
大波小波とうとうと
響き絶やせぬ海の音
聞けや人々面白き
この天然の音楽を
調べ自在に弾きたもう
神の御手(おんて)の尊しや
二
春は桜のあや衣
秋はもみじの唐錦(からにしき)
夏は涼しき月の絹
冬は真白き雪の布
見よや人々美しき
この天然の織物を
手際見事に織りたもう
神のたくみの尊しや
三
うす墨ひける四方(よも)の山
くれない匂う横がすみ
海辺はるかにうち続く
青松白砂(せいしょうはくさ)の美しさ
見よや人々たぐいなき
この天然のうつし絵を
筆も及ばずかきたもう
神の力の尊しや
四
朝(あした)に起こる雲の殿
夕べにかかる虹の橋
晴れたる空を見渡せば
青天井に似たるかな
仰げ人々珍らしき
この天然の建築を
かく広大に建てたもう
神の御業(みわざ)の尊しや
四季に恵まれた日本の自然の美。海、山、滝と四季折々の美と朝夕に移ろいゆく空の変幻……、そういった美に囲まれた人々が自然に抱く尊さの感情がよく表れていて、めのおはこの歌が好きです。この曲はワルツなので悲哀とは反対に明るく感じます。あるいは日本人は「美」に対して「悲哀」を感じる伝統美学があるので喜びとともにちょっぴり悲哀も感じますが。
「神のたくみ」「神の力」「神の御業(みわざ)」と自然の巧緻、自然の美が、ある至高なものの御業によると感じ、その力に対して賛仰を抱く。
これは「汎神論」「万物有心論」そのものじゃないかと思います。
この歌は、作曲された明治35年からしばらくの間「唱歌教科書(巻三)」に載せられ多くの女学校で歌われたものの、昭和に入り日中戦争と太平洋戦争の期間中は教科書から姿を消し、昭和24年に復活したそうですが、その後はもっぱらチンドン屋さんの専売曲のようにして巷に流れた。
教科書から姿を消した理由が、この歌詞の「神のたくみ」「神の力」「神の御業(みわざ)」 と使われている「神」という言葉が、軍国主義国家が挙国一致で戦争を遂行するために創出した神(「現人神」天皇)への忠誠心を阻害するとして排除されたのではないか? あるいは美しき天然を作りなされた神、というこの歌詞の意味を、敵性国家たる英米を支えるキリスト教の天地創造説に通じるものと誤解された為ではなかったか? と推察します。
(`(エ)´)ノ_彡