ロビンソン | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

前回の記事でめのおは、自分独りで作った門柱を誇らしげに、というか恥ずかしげもなくお見せしました。

自分の身体を使って作ったモノは、やはり愛着があります。あたかも魂の一部がそこに籠められてでもいるかのように感じて別れがたい思いがします。

 

確かに工事の最中はキツかったけれど満足感がありました。
これはめのおだけが感じたことじゃなく、たとえば心理学者のユングがレマン湖の畔に独りで塔と家を建てた時に、それまでに感じたことのない深い満足感を覚えたと書いてることでも分かるように、かなり一般的なことのようです。

思春期に読んだ小説で感動したものにヘルマン・ヘッセの「ナルチスとゴルトムント」があります。

放浪しながらあちこちの教会に聖者やマリア様やキリストの像を彫って寄贈する彫刻家のナルチスと聖職者のゴルトムントの生き方、価値の置き方の違いが描かれています。彫刻家の名前がナルチスとなってることでわかるように、芸術家とナルシシズムの関係を掘り下げてもいます。

 

愛がテーマなんですが、聖職者にとっての愛は神への愛、すなわちアガペーとギリシャ人が呼んだ愛であり、芸術家の愛は、エロス的愛に近いと書かれてるように思います。なぜというに、めのおは魂というのは肉体と切り離せない関係にある、と思うからです。

精神は思考や理性に近く、魂は深層意識と関係が深い。ユングとそれからロマン・ロランが人類共通の普遍的深層意識として「大海原」があると感じたように、物質とか自然と近い関係にあるところの肉体とそれに繋がる深層意識の働きをめのおは「たましい」と感じます。

アニムスとアニマですね。

話はすこし跳びますが、昨夜テレビを点けて偶然目に入った映画を観ました。途中から見て途中で消したのでしたが、絶海の孤島に流され独り生き延びるためにいろんなものを周りの環境から手に入る物を利用して作り、最後は筏で大洋に乗り出し、間近に通りかかったコンテナ船に救われる話でした。

 

ちょうど、「ロビンソン・クルーソー」に思いを馳せていたので、おもわず引き込まれたのでした。絶対的な孤独の中で人間は生き延びられるだろうか。孤島で生きざるを得なくなった男は、一緒に流れ着いたバレボールで人間の顔を作り友達として話しかけます。

筏で大洋に乗り出したはいいものの暴風に襲われ、友達の顔は流されてしまう。取り戻そうと海に飛び込みますが、追いつけず、ついに別れてしまう。その時の絶望にうちのめされ男が挙げた悲痛な泣き声は、人間はやはり独りでは生きて行けないのだ、ということを痛切に感じさせました。

 

普通の人間は一人では決して生きて行けないのでしょうね。

小野田少尉はジャングルでたった独り数年間生き延びましたが、「陸軍中野学校」で特殊な訓練を受けたのですね。命令が来るまで絶対に投降するな、という厳しい教育で教えられたことを最後まで守り抜こうとして独りで生き抜いたのでした。

 

 

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