上り下り、曲がりくねった道の連続の今日のコースは初めから波乱の連続だった。
前半は路面が湿っていたため転倒が相次ぎ数人が救急車で運ばれ棄権を余儀なくされた。
ゴールまで178kmでフランスのチボ・ピノー選手(FDJ チーム)がそれまでトップを走っていたベルギーの選手を抜き先頭に立った。
上り坂にかかり、いきなり3人が転倒し、路上に倒れたままの選手が苦し気なうめき声を連続して発していた。救急担当が駆け付け、助け起こす。
その後の連絡で、肩を骨折したため病院へ運ばれたという。
175km(以後断りが無い限りゴールまでの距離を示す)の地点で、先行は37人。Peloton (先頭集団)は50人で、先行との差は1分5秒。フランスの選手、トマ・ヴォークレール、トニー・ガロパン、、チボ・ピノーがいる。
最初の坂の勾配は6%で、そこを時速28kmで上る。
153kmで先行の37人が割れた。25人が先行グループで、12人が遅れ、トマ・ヴォークレールも2番手のグループに。
いよいよこの日の難関のひとつル・グラン・コロンビエ峠の登坂にかかる。頂上は1501mで10kmに渡り平均9・9%の勾配が続く。
先行は6人に減り、その後1分2秒遅れて追走グループ。プロトンとの距離が6分10秒に開いた。
勾配は次第にきつくなり16%の登りでは先行選手は4人に減り、時速は10km。勾配の最高は22%。
またもアクシデント、SKYチームの参謀、ジェラン・トーマス選手が転倒。手の指を骨折してレースを棄権した。
7月1日初日のタイムトライアルで優勝し、今年最初のイエロージャージを着て走った選手だ。フルーム選手の右腕なので心理的打撃が大きいだろう。
登り下りの坂が続きおまけの路面が湿って滑りやすいので用心に普段より路面の接触幅が広いタイヤを着けた選手もいるということだ。
53・6kmでトニー・ガロパンが先頭に。プロトンの先頭を走るSKYチームは選手が5人に減った。ガロパンとの差は3分9秒。
最後の難関、モン・デユ・シャ(Mont du Chat ネコ山と訳せそうだが解説によると猫ではなく古語でボワ、森、樹木のことなんだそうな)
登り口でプロトンが16人に減った。珍しいことだ。登りが如何にきついかを示すものだろう。
この辺りはブルジェ湖( Lac du Bourget )の雄大な眺めを見晴らせる場所がある。
33kmでトップはガロパン一人になった。ガロパン選手はロト(Lotto)チーム所属。しかしすぐに32kmでガロパンは抜かれてしまった。
ファビオ・アルー、キンタナ、ロマン・バルデ選手と登坂のベテランがいよいよ本領を発揮し始めた。
フルーム選手のバイクに不具合が生じ、手を挙げて随伴車に代わりのバイクを届けてもらう。
ジャコブ・フルサン Jacob Fulsang 選手がターキッシュ・ブルーのジャージを着て追い上げる。この色はASTANA チームのものだ。アスタナはアゼルバイジャンの企業でチームのスポンサーだ。フルサン選手はノルウエー国籍でオリンピック・メダリスト。
31・2kmで先頭はワレン・バルギル Warren Barguir 選手(SUNチーム)に変った。
2番手にフルサン選手。フルーム選手を取り巻いて、アルー、キンタナ、コンタドールが競り合いを繰り返す。
28kmでコンタドールに疲れが見え始めた。10年前2004年に初優勝し、それから3回TDFに優勝したコンタドールだが、ごく微量のドーピングを理由に出場停止、復帰後も転倒して泣き泣き棄権した。全盛期には急な上り坂でフルーム選手を挑発したり余裕を見せたものだが、やはり年齢に勝てないものか。
26・9kmでフルーム選手がスパート。キンタナ、アルーが遅れ、コンタドールは2分30秒も遅れてしまった。
トップとフルーム選手の差はまだ30秒ある。
峠の頂上をワレン・バルギル選手がトップで通過。あとゴールまでの25・5kmは長い下り坂と平坦な路、市内のカーヴの多い路を残すのみ。
11・1kmでロマン・バルデ Romain Bardet (AG2L Mondiale)がスパート。ワレン選手は置いてゆかれる。フルーム選手との差32秒。
10・3kmでワレン選手フルームに抜かれる。
トップ争いは街に入ってから。最後の500mの直線が勝負だった。
ワレン選手は勝ったと信じ手を挙げ、ゴール・インしてから嬉しい泣きに涙を流したが、写真判定で僅かにウラン・リゴベルト Uran Rigoberto 選手が先だった。
レースとはこんなもの」と嬉し泣きの涙も乾いてしまった。
今日でトウールの最初の3分の1が終わり、明日はドルドーニュへの移動日でレースはお休みです。
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