マザランはケルン大司教の亡命先からアンヌ・ドートリッシュ太后宛てに頻繫に書簡を送り、宮廷への影響力を維持し続けた。
ここで少し、マザランとアンヌ太后、その他の登場人物たち、特に女性たちの人間的側面を見てみよう。
フロンドの乱で驚くのは、女性方(みんな高貴な身分ではあるが)の活躍である。
ド・モットヴィル夫人は侍女でも Motteville という町にシャトーを持っていた↑
フロンドの乱の人物像を知る上でド・モットヴィル夫人の「覚書」に勝る資料は無い。
まず、マザランについて。
「(この枢機卿はカトリックの坊主らしく)世間は誰も彼も堕落しているという偏見を持ち、私(ド・モットヴィル夫人)も例外でないと見做していた」
「友人達の不満を聴きながら、マザランに告げ口しないのは、私が加わっているからと、マザランは疑い、しばしば太后から私を遠ざけようとした」
では、アンヌ・ドートリッシュに終生最も信頼を寄せられコンフィダント(秘密を打ち明けられるほど信頼された侍女)だったド・モットヴィル夫人から見た太后はどんな女性だったのだろう。
「覚書」は多分に誤解されたアンヌ太后その人を公正な眼で見詰め書き残しておこうと書かれたものなので全篇がアンヌ太后中心に書かれているのだが、ここでは政治に関してどうだったのかを見る。
「太后は、正しい理性をお持ちで、明察力あるお方だった。その生まれつきの理性に、結局つねに眼隠しをされていた。太后の意志は、 いつもこの大臣(マザラン)の意志に従わされており、太后の理性は、この大臣が屈服させようと望むと、たちまち大臣の意志に負けてしまうのだった」
摂政としての政治的決断に関して常にマザランの言いなりになっていたという欠点を指摘しながらも、ド・モットヴィル夫人はこう書くのを忘れない。
「彼女は善を識別するのに十分な理性を持っておられた。だからもし彼女が、それをいつも擁護する力を持っておられたら、歴史家の筆が、 いくら賞賛しても足りない位だっただろう。ところが太后は、あまりにも、自分自身を信じず、彼女の謙遜さが、自分は国政について無能だと思いこませてしまった」
(つづく)