フロンドの乱 その⑭ ロングヴィル公爵夫人の亡命 | 雷神トールのブログ

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コンデ親王と実弟のコンチ親王、ロングヴィル公の三人の逮捕をフランス史では「クーデタ」と呼んでいる。

3人の逮捕は、それぞれの屋敷でもなければ街中でもなく、従者も帯剣も許されない王宮(パレ・ロワイヤル)の中で行われた。

3人の逮捕と同時に衛兵がロングヴィル侯爵夫人を逮捕に館を襲ったが、鋭敏な夫人(コンデ公の妹、コンチ公の姉)は既にお館から抜け出し、夫の所領であるノルマンデ
ーに向っていた。ノルマンデーでは英仏海峡の海沿いの町デ
エップの城砦の中に保護を求めて逃げ込んだ。


↑今はミュージアムになっているデエップのシャトー

「クーデタ」により3人をヴァンセンヌ城砦のドンジョン(主塔)に閉じ込めたマザランは、幼いルイ14世とアンヌ太后の巡幸を執り行った。

ノルマンデ
ー、ギィエンヌ、ブルゴーニュなど地方で反王室派の動きが活発になり、それらの地方の王室支持を固める為である。

最初の巡幸はノルマンデ
ー地方で、首府のルーアンの高等法院は王室への忠誠を誓った。マザランは、ノルマンデーの「ル・テリエの町では、若い国王を眼のあたりにした民衆が、かつてないほどの歓喜を見せた」と書き遺している。

ポン・ド・アルシュの総監は罷免され代わりに王室の武将アルクールが任命された。ロングヴィル夫人を匿っていたデ
エップでは、町民が国王軍を迎え入れたのを見て、総監は夫人を逃亡させた。

ロングヴィル夫人は英国船の着くのを待つ間、コー地方(ノルマンデ
ーの北の高台)をあちこち移動した後、オランダのロッテルダムに亡命した。

ロングヴィル侯爵夫人にお仕えする騎士がラ・ロシュフーコーだった。父君が亡くなり跡を継いで公爵(デユーク)になったばかりだった。父君の葬儀にラ・ロシュフーコーは馬を駆ってラ・ロシェルへ向った。仲間を集める好機だった。

王室の巡幸は、次にブルゴーニュ地方の首府デイジョン、さらにギュイエンヌ地方の首府ボルドーと続けられる。

(つづく)


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