それとは別に民衆は自ら瓦版やパンフレットを発行し、それらのチラシやパンフはパリ中を賑わした。特にマザランを攻撃の対象としたものが良く読まれた。
イタリア人の枢機卿はパリの民衆には、それだけでも揶揄の対象となるが、どうもルイ13世亡き後権力に上りつめてアンヌ太后まで操るマザランは生臭坊主だぞ。
口さがないパリの民衆のことゆえ、坊主めアンヌの寝屋に忍び入り権力を握ったにちがいない。マザランは太后と肉体関係を結んで権力を得たと噂を流した。

マザランの肖像↑
高等法院ではパリに数カ所ある要塞(代表がバステイーユ)を武装で固めるべきという議論が勝ち政令で公布された。
さらに、マザランは 「国の敵であるから追放すべき」という議決がなされ、政令で公表された。となれば、誰でもマザランを捕まえ、殺しても良く、財産は没収することになる。
こうなればもう、内戦、パリの市街戦は避けられない。こうした不安を背景に王室はサンジェルマン・アン・レイへ脱出したのだった。
パリ脱出の夜についてモットヴィル夫人は「覚書」にこう記している。
「パリを脱出する日、私は何も知らずにアンヌ太后のお近くに座りました。 太后は普段よりも寛がれたご様子でルイ王子が遊ぶのを見守っておられました。 太后は王子を遊ばせるのにお菓子を切らせました。そして、御側に侍っていた私と私の妹にも分けて下さいました。 フェーヴが入った切れを貰った乙女が女王になる遊びをしました。(東方三博士の祭日に今も残っているようにフェーヴの入ったお菓子を食べた)。 太后は、それからヒッポクラス(酒の一種か?)の瓶を持ってくるようお命じになりました。私たちは、それを太后の前で飲み、 私たちを慰めようとされた太后にも少しだけお飲み下さいと願うと太后は少しお飲みになりました。私たちは『太后がお飲みに!』と叫びました。」
(途中の5ページ略)
「王室の皆様が全員お集りになったので、太后はサンジェルマン・アン・レイへの道をお進みになりました。 王様も、太后も、宮廷全ての人がこの地に、ベッドも無く、役人もおらず、家具も寝具や着替えも、王家の人々と付き沿いの人々の生活に必要な物は なにひとつなく到着したのでした。 太后は数日前、マザランがパリから持ち出し持って来させておいた小さなベッドにお休みになりました。 国王とマザラン用には野営用の簡易ベッドがふたつ持って来てあり、お二人はそこで眠られた。オルレアン公爵夫人とお嬢様は一晩を藁の上で明かされました。 付き添いの廷臣もみんな同じ運命、つまり藁の上に眠らねばなりませんでした。数時間後にはサンジェルマンの藁はすべて無くなってしまい、 どんなにお金を出しても手に入れることが出来なくなりました。」(覚書230ページ)
(つづく)