各家庭で飾る小さなのもあれば教会内に飾る大きなのもある。クレッシュに登場するのが、キリスト降誕に際しベツレヘムへ礼拝に来た「東方三博士 les Rois mages 」。この mage はマギといい、元はペルシャのゾロアスター教の僧侶を指した。それから占星術師にもなった。
クレッシュは正月を過ぎ年が明けても飾られている。フランスの年末年始の祭日はクリスマスの25日と1月1日のみで日本のお正月と比べて寂しいけれど、17世紀には「東方三博士の祭日」があった。祭日ではなくなったが現在もその名残が残っている。お正月に「ガレット」と呼ばれるパイを家族や友達を呼んで食べる風習がそれ。丸く平たいパイを切り分けてみんなで食べる。
パイにはフェーヴという(元はソラマメの意味で昔はソラマメを入れたのだろう)人形や動物やいろんな形の陶器の小物が入っている。 自分の分け前のパイにフェーヴが入っていれば男だったら王様に女だったら女王になる。冠を貰ってパートナーを選ぶ。その後、歌を唄って騒ぐ。この風習が昔の「東方三博士のお祭り」の名残だなんて、フロンドの乱を調べて初めて知った。
イスラム過激派のテロに再三襲われたフランスでは、イスラムのブルカを禁止したり、「ライック(無宗教)」の原則(政治と宗教の分離)について議論が盛んになった。昨年暮れにはある地方自治体が、市庁舎にクレッシュを飾ったので、無宗教の原則に反するじゃないかと批判がでた。批判された市の役人は、クレッシュの起源はキリスト教に違いないが、これはもはや、伝統文化として根付いているもので信仰とは関係ないと言い訳していた。
さて17世紀に戻ると、その「東方三博士のお祭り」の間に宮廷は一夜のうちに遷都をしてしまった。ルイ14世生誕の城、サンジェルマン・アン・レイに大コンデ公に護衛されアンヌ太后、ルイ14世、マザランが引っ越したのだった。

昨11月にサンジェルマン・アン・レの市美術館へ行った時に撮ったシャトーの写真。壁が洗われてきれいになっていた。
噂はその夜のうちにパリじゅうに広まり、パリの住人は不安に怯えた。王様の庇護のもとにパリに暮らしている。その王様がいなくなった。 この時代、中世の領主と住民の保護被保護の関係が人々の意識に残っていた。
宮廷はもちろん、フロンド派の武装蜂起を武力で鎮圧し易くする為、パリ西郊に避難したのだった。
鎮圧軍の指揮官は北方で数々の戦勝を挙げスペイン・オーストリア連合軍を打ち破りフランスの勝利を決定的にした名将大コンデ公。
ところで、面白いのは、フロンド派は高等法院の裁判官が中心だから戦争には素人。ひとりだけ判事の中に戦争経験者がいたが、 軍隊の指揮などできるわけがない。そこでフロンド派が司令官に担ぎ出したのが、大コンデ公の実弟コンチ公なのだった。
コンチ公は、アーマン・ド・ブルボン=コンチといい、コンデ王子ブルボン・アンリ2世とシャルロット・マルグリット・ド・モンモランシーの 間に生れた3人の子のひとり。長男がルイ2世=ブルボン・コンデ(大コンデ公)、妹にロングヴィル公爵夫人がいる。アーマンは末っ子。
この妹の婿、ロングヴィル公爵はパリで義兄の大コンデとコンチ公が戦っていると聞くとコンチ救援に駆け付ける。結局はこの兄弟三人とも 国家反逆罪で捕えられてしまうのだが。
最初はルイ14世とマザランに忠誠を示し王党派の指揮官としてパリを鎮圧した大コンデ公は、その間、血を分けた弟への同情か、 むしろマザランの権謀術数に剛毅な武将らしく嫌悪を抱いたか、とにかくパリの蜂起を鎮圧し1649年3月11日に「レウイユの講和( Paix de Rueil )」 という平和協定を宮廷と高等法院との間に結ばせ、フロンドの乱の第一期、「法服貴族のフロンド」を終結させる。
マザランにより監獄に1年間閉じこめられた後、フロンド派によって監獄から救出され、今度は自らがフロンド派の首領となり、ボルドーに下って味方を募り反乱軍を編成すると、マザランを討ちにパリに攻め寄せるのだった。
(つづく)