アンリ4世の治世に始まりルイ13世が引き継ぎ、枢機卿でフランスの宰相となったリシュリューが厳格な政治により遂行していった王権の急激な強大化。それに反発したパリ高等法院の法服貴族が、 パリの民衆と結び、王権に反抗した政治的混乱は「フロンドの乱」と呼ばれています。
アンリ4世の肖像画↑
アンリ4世の王権強化策のひとつには、たとえば中世の面影を今も湛える古い町「ノワイエ・シュル・スラン」に、12世紀末、ユーグ・ド・ノワイエが、ドンジョン(主塔)だけで80もあった、フランスでも屈指の堅固な城砦を築いていましたが、国王アンリ4世は、1599年、ノワイエの城砦取り壊しの決定をしました。これなど地方の強力な封建領主の力を弱体化させる政策だったと言えましょう。
1642年にリシリューが死に、ついでルイ13世が1643年に没すると、まだ5歳の幼児に過ぎなかったルイ14世が即位し、大后アンヌ・ドートリッシュが摂政、ジュール・マザランがリシュリューを継承し実質宰相の座に就きました。
↑ ルーベンスによるアンヌ・ドートリッシュの肖像画
マザランはリシュリューの政治を引き継ぎ王権の強大化、絶対王政を進めます。それに反抗したパリの民衆がマザランの屋敷を取り囲み「フロンド=石投げ器」で攻撃したことから「フロンドの乱」と呼ばれています。
石投げ器というのは、ミケランジェロ作の彫刻の「ダヴィデ像」、フィレンツエの広場に立って巨人ゴリアテに対峙してます。ダヴィデが手に持っている簡単な道具。あれが「石投げ器=フロンド」ですね。
ダヴィデはこの簡単なパチンコの王様みたいな石投げヒモで大粒の石をみごと怪物ゴリアテの眉間に命中させ斃したのでした。
めのおが子供の頃、「木の枝の股状に開いた部分」を利用したり、朴の木を削ったりして柄を作り、自転車のチューブを細く切ったのをしっかり留め、その伸縮を利用して強力なパチンコを作っていました。スズメを狙って仕留める仲間もいました。あれもフロンドです。
ダヴィデが使ったような古代のフロンドは、ゴムの伸縮力ではなく遠心力を使って石を飛ばしました。ヒモは最初二本手に持っていて、ヒュンヒュンヒュンと身体の横で回転させる。そして、ある瞬間、片方のヒモを離す。すると真ん中のホルダーの石が飛んでゆく。 このタイミングがすごく難しかったろうと思います。円弧の上から前の部分のどこかで石がホルダーから飛び出て狙い定めた的に向って飛んでくよう、そこは熟練と勘と技術を要したでしょう。
ルイ14世の母親のアンヌ・ドートリッシュが執政、アンヌの相談役兼ルイの教育係のマザランがリシュリューの後を継いで実質的宰相となり政治の実権を握りましたが、アンヌはスペイン王フィリペ3世の娘であり、マザランはイタリア人でした(イタリア名ジュリオ・マッツアリーノ)。外国生れの人間に国政を牛耳られていることへの国民の反感も根底にあったでしょう。またルイ14世の妃にスペイン王フィリペ4世の娘マリー・テレーズ(マリア・テレサ)を迎える政略結婚を実現させたのはマザランでした。
マリー・テレーズの輿入れに際し、スペインの王位継承権を放棄する代わりに持参金五十万デユカをという約束でしたがスペインはこんな高額の金を払えませんでした。ルイは五十万デユカを払えないのなら、スペインの王位継承権は、マリア・テレサにも、息子のフィリップにもあると主張しました。フランスは三十年戦争に引き続いて「スペイン戦争」にも加担してゆきます。
そんな時代的背景に起こったのがフロンドの乱です。
フロンドの乱の年代的位置づけは一般に、パリ高等法院が国王の権力の制限を謳った1648年6月15日の「27カ条宣言」から、 1653年8月3日のボルドー市の恭順による反乱の制圧までの5年間を指すとされています。
高等法院の反乱(1648~1649)と王子たちの反乱(1651~1653)と。 歴史家はフロンドの乱を大きく2つのフェーズ(相)に分けています。
フロンドの乱の原因としては大きく3っつの要因が挙げられています。
1)財政的理由。当時フランスはスペインと戦争の最中であり(スペイン戦争)、その前には三十年戦争(1618~1648)でスウエーデンと戦火を交えています。二つの戦争を継続するため重税を課し、王権による課税圧力強化に対し反抗が起こりました。
2)社会的理由。パリの高等法院議員たちが持つ特権に対し疑問が投げかけられたこと。
3)政治的理由。王権が絶対君主として唯一統治することへの反抗。
フロンドの乱に登場する主要人物は、リシュリュー、マザラン、若きルイ14世、その父ルイ13世の弟のガストン・ドルレアン (ルイ14世の伯父)、 そのお妃モンパンシエ夫人、二人の間の娘(ルイ14世の姪)のアンヌ・マリ・ルイーズ・ドルレアン(グランド・マドモワゼル)、 そして大コンデ公、彼のかつての部下チュレンヌ、大コンデ公の弟のアルマン・コンチ公、姉のジュヌヴィエーヴ・ロングヴィル公爵夫人…です。
中でも重要なのが、大コンデ公。そしてめのおにとって大事なのはめのおが住む村(サンファルジョー)に関係おおありのグランド・マドモワゼルです。
(つづく)

