ネーデルランドの最大のミステイック、ジャン・ド・リュイスブロック(Jean de Ruisbroeck 1293-1381) とその弟子、および町の清掃奉仕などもしていたベギン修道会のような乞食の会は、修道院の改革運動を支える主要な団体であったが、人間の救済または魂の状態の3つないしは4つの階梯をイメージの助けを借りてなされる神秘的な魂の治癒についての長い過程を記述している。
同様に、フランシスコ派の説教師、ジャン・ブリュグマン(Jan Brugman 1400-1473)は、今日もなおオランダで民衆に人気があり、 ボワ・ル・デユックとも関係があったのだが、三段階の暗喩の出発点としてのイメージに百合の棘に対する関係を選んでいる。
「最初は棘の下にある百合、二番目は棘の中にある百合、三番目は棘の上にある百合」
百合と棘は常にあるが、その関係が変化する。それぞれを個別に解釈するか、それらを比較するかだが、三つのイメージが生むものをブリュクマンは比喩的に説明している。
「最初の百合はその清純さが表面的でしかない罪びと。二番目は罪と肉の棘に対する永遠の闘いを示す。三番目の百合は、自然を抑制し、誘惑を乗り越えた数少ない幸福な人々の状態を表している。」
三番目のイメージについてだが、ブリュグマンは、処女マリアも含め最も重要で模範的な第一級の聖者たち、「棘の上にある百合」と ボワ・ル・デユック聖母兄弟会のエンブレム、さらに聖ヨハネと聖エチエンヌを指名している。
ボッシュは、明らかに、三段階のこの種のイメージ、テキストと説教を借りて同様な暗喩のモデルとし、絵画に翻訳したのだった。
そうでなければ、ボッシュのこの絵は、このテーマの他の代表例とは明らかに違いがある。
ジェラール・ド・サン・ジャンによる洗礼者聖ヨハネはこの時代(1460-1495年より前)オランダで最も偉大な画家だが、比較のために掲載すると、ここでは風景はまったく違った風に想念されている。穏やかな牧草が広がる風景は樹々に護られ、森と池のある 閉ざされた庭園(hortus conclusus)は、はしゃぎまわる野兎、野禽獣と鳥のいる天国を想起させる。
↑ジェラール・ド・サンジャンによる洗礼者聖ヨハネ
それに反しボッシュは、その風景の中に、威嚇的な表徴を挿入する。例えば、後景にみえる岩の奇妙な形、のろ鹿を襲い食おうとしている二頭の熊など。ボッシュの洗礼者聖ヨハネは、彼の他の絵にも描かれているが、ネーデルランドの聖人伝説が繰り返し伝えるような、野性的で砂漠のように人気のない地帯の中の隠者のように示される。
この絵では風景は画面の枠を超えて展開する。風景は世界と比較される。ライオンと熊、狼の攻撃は魂を危険に晒し、地上の生の間じゅう魂を虐げる。
この世の生は、手なずけられていない自然が旅人に危険なのと同様に魂にとって危険である。ボッシュがわれわれに示す空間的・ 物質的広がりの世界は潜在的に苦悩を生み出す。ところが、一般の精神的宗教者は不滅の隠れ家にあって、慰めと喜びを約束する。
