前回投稿したヒエロニムス・ボッシュの「洗礼者聖ヨハネ」は木製のパネルを支持体としてその上に描かれた。
この絵の下方、前面いっぱいに描かれたヨハネの面前に、寄進者の膝まずく姿が描かれていたが、絵の具で塗りつぶされ消された、という点と、パネル自体も上下14cm、幅2.5cm切り落とされた、という、この2点を筆者は大変興味深く感じた。
というのは、16世紀後半、つまりボッシュの次の世代に、やはりネーデルランド、フランドルで活躍した大画家のある作品について調べたところ、この作品も、ある重要な人物が絵の具で塗りつぶされ、パネルの上部がカットされた、と分かったからだ。
それだけでなく、こちらの絵は元は木のパネルの上に描かれていたが、ある時期に、パネルからキャンバスに移し替えられた。
そんなことができるのだろうか? という驚きと、どうやったらできるのか? という技術的好奇心がこのところ付き纏っていた。ボッシュについて調べたのも、問題の画家の先輩であること、その時代背景、地域的特色などを調べれば、も一人の大画家についても、さまざまに有益な知識を得られるだろうとの思いからだった。
15・16世紀のネーデルランド、フランドルの画家たちは、ほとんど木の板を組み合わせて作ったパネルを支持体としてその上に 地塗りをしてから油彩画を描いた。
しかし、木の板はすこしでも水分を含んでいると経年劣化により、反ったり、ひび割れしたりするので、絵の保存と修復技術が研究された。
修復技術の多くは新しい木のパネルに移し替えることだった。しかし、優れた品質のキャンバスが開発されてからは、木のパネルからキャンバスに移転されることがあった。
キャンバスが普及したのは16世紀半ばで、それまではほとんどの画家は板を支持体にして絵をその上に描いていた。ヴェネツイアで16世紀半ばに最上級のキャンバスが作られるようになると、絵画の支持体は板からキャンバスへと引き継がれた。しかし、依然、フランドルの画家は特に、その後も1世紀の間、木のパネルを使っていた。
パネルに使われた板は様々で、レオナルド・ダ・ヴィンチはオーク(樫)を使った。「岩窟の聖母(1503~1506)は板の上に描かれている。デユーラー(1471~1528)はヴェネツイア在住時はポプラ、南ドイツではオークを使用した。ハンス・ホルバイン(1497~1543)はオークを使用している。クラナッハはブナを使うこともあったが、他の画家がブナを使った例はあまりない。シナノキも使われた。デユーラー、クラナッハもシナノキを使っている。
オークが板絵に最も適した素材とされていたが、他にも、クルミ、ナシ、スギ、マホガニーなども使われた。ノルーウエイにあるゴシック期の祭壇画は、14枚がモミ、2枚がオーク、4枚が松が使われている。
放射性炭素年代測定と年輪年代学によって、板のほぼ正確な制作年や板に使用された材木がどの地域で産出されたものなのかを知ることができるようになった。
パネルは木工細工師が複数枚の丈夫な板を組み合わせて、入念にヤスリがけをし、動物の皮から抽出した膠と樹脂の混合物を板に塗り、リンネルを貼り付ける。この作業は熟練した職人か画家自身が行った。十分に膠を乾燥させた後、ジェッソ(地塗り剤)を重ね塗りする。時には15層も塗ることがあった。塗るたびにやすりがけをする根気のいる作業だった。
パネルの材料となる木材は、大抵は画家の住む地域で調達されたが、オークは15~17世紀の北方画家たちは、ポーランドから輸入した。商船を作るのに大量のオーク材が必要だったので、ケーニヒスベルクやグダニスクから輸入され、その一部を画家が使った。
ネーデルランドでは15世紀初頭に材木が不足したために、初期フランドル派の名作の多くは、バルチック周辺やポーランド産のオーク を使用した。オークはワルシャワ北部でカットされた後、ヴィスワ川からバルチック海を経てネーデルランドに輸入された。
「板からキャンバスへの移転 ( Transposition )」
イタリアに1714年から1720年のあいだに「移転の技術」が現れ、1750年にロベール・ピコー Robert Picault によりフランスにもたらされた。ピコーは技術を秘密にしていたし、硝酸塩の蒸気を使うというかなりデリケートな技法だったので、同年代で競争者のゴドフロワ、 ついでジャン・ルイ・アカンが支持体を機械的に削り取って除去する方法を考え出した。
オリジナルの絵の層を傷めず平らに保つ技術が、材料、糊、ソルヴェント、地塗り剤などの違いはあるが、基本的には絵の具の層を固定した後、裏の支持体の板を、カンナ、ノミ、彫刻刀などで削り取り除去した後、新しい支持体(ここではキャンバス)に移転し貼り付ける、というプロセスで行われる。
普通、まず絵の表面に丈夫な紙(日本の和紙が繊維が長く堅牢なので好んで使用される)を天然の糊を使って貼り付けた後、固定するためになんらかの支持体で支える。(絵の層を傷めずに剥がせることが条件)。
その上で、裏側から古い支持体を削り取ってゆく。板の場合、カンナとかノミ、彫刻刀、やすりなどで削り取る。現代ではもっと高性能な例えば絵の具と地塗りの層を1mmくらいの厚さで残して切り取ることもできるだろう。
昨年10月に奈良の友人が連れて行ってくれた「キトラ古墳」では傷みかけた絵を漆喰から切り取るのにダイヤモンド粉を付けた細い ワイヤを回転させる鋸(ダイヤモンド・ワイヤー・ソー)を開発して使用した。展示されていた器械の写真と説明書きを貼りつけます。
古い支持体が取り除けたら、古い地塗り層を、リンシードオイルなどで拭い去り、新しい地塗り剤を塗る。乾燥した後、絵の層を新しい支持体(キャンバス)に貼り付ける。最後に表面に貼り付けてあった紙を水を使って拭き取る。
19世紀初頭には、化学の発達により様々なソルヴェントが開発され、より精度が高く安全な作業が可能になった。
元の板が反っていて絵の具の層も反っていたりすると、キャンバスに移し替えた後も、絵の具の層が浮き上がったり、ひび割れを生じることがある。絵の具が古くなって粘性が失われているとひび割れを生じやすい。
移転(トランスポジション)の技術が発明されて以後、古美術品の修復が盛んに行われるようになった。
フランスでは、1801年にルーヴル所蔵のラファエロ作のマドンナの絵が、アカン(Francois-Toussaint Hacquin, 1756~1832)によって 行われ、彼はその手順を詳細に記した報告書を出版した。
アカンの同世代でやはりルーヴルに勤務し、修復を手掛けた人物にフーク( Joseph Fouque 1755~1819)がいる。
ふたりとも、毒性のある鉛白(ceruse 塩基性炭酸鉛)を地塗りに使っている。


