「手品師」その④ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

前回貼り付けた絵が小さかったのでイスラエルの「手品師」の絵をもういちど貼り付けます。

他の3枚を見ただけでも、同じモチーフ、同じ構図の絵が複数存在することがわかる。そして、バルタザール・ヴァン・デン・ボス(1518~1580)のモノクロームの銅版画の中央にある手品の道具を置いたテーブルの足元には横書きでHieronimus・Bosch に拠ると書かれているのが読み取れる。

 

してみるとやはりボッシュの「手品師」の原画が存在したのだ。そして、ボッシュの原画を手本とする同じモチーフ、同じ構図の絵が十指に余るほど存在する。

 

そのことを説明するテキストがこの度のサンジェルマン・アン・レイの展示会のカタログにあるので要約します。この手品師の絵は非常に人気を博し、手に入れたいと願うコレクター、絵画愛好家が沢山いたが、なにせボッシュは大画家だし、ブルゴーニュの美男のフィリップ公からオーダーを受けて制作したらしく、そんじょそこらの諸侯では手が出ないような大枚をブルゴーニュ公から頂いてる筈。それでも、なんとか手元に置いておきたいと願う愛好家は、どうしたかというと、ある程度の技術を持った画家にコピーの制作を依頼した、というのだ。

 

この時代の絵画のコピーは、オークションで高額で取引される絵の贋作を作って裏市場で一儲けしようなどという下衆な根性などさらさらなく、ひとえに気に入った絵を手元に置いて毎日眺めたい一心で、大家に依頼するより数段安い値段でコピーを作らせた、という。

 

次に、このコップと球を使った手品は古代からある古い余興で、中世から近世にかけてヨーロッパではある意味を持たされて非常に流行した。

 

その意味というのが、魔法、魔術、悪魔、と関係があるのだ。

 

最初に挙げた銅版画をよく見ると、身体を折り曲げ顔を突き出している年老いた人物の口からは、何か液状のものが垂れテーブルに得体のしれないカエルに似た足を持つ奇怪な生き物がへばりついている。

 

そして、サンジェルマン・アン・レイの市立美術館所蔵の油彩画も小さいのでよく見ないと見落としてしまうが、身体を折り曲げた前面の人物の口には青いカエルがたしかに顔を出し、黄色い液が口の端から流れ落ちている。テーブルの上には白い眼玉をした緑のカエルがちょこんと座っているではないか。

 

 

「一人の男が見物人の中から進み出た。彼は三脚床几を準備していて、その上に3つのコップを置いた。それから、渓流の畔などに見つかる白くて丸い小石を3つコップの下に置いた。ある瞬間に、彼は小銭をコップの下に隠し、次の瞬間には、どうやってかわからないが、全部の小銭をひとつのコップの下に集めて出現させた。さらに別の瞬間には、自分の口の中に3つの小石を現わし、次の瞬間にはそれを吞み込んでしまうのだった。つぎに、いちばん前列の客を前に出させると、ひとりには鼻から、別のひとりには耳から、三人目は頭から小石を取り出して見せた。それらを手に取り戻したかと思うと、こんどは全部消してしまった。」

上は紀元後2~3世紀、ギリシャのアルシフロンによる「手品師」の記述。

 

「クルションは、頭陀袋からすでに3つの、いや5つの錫のカップを取り出し、数え切れないほどの珠を取り出した。それは彼が繰り返しやっている見事な手品だった。巧みな手さばきでカップをつぎつぎとひっくり返し、3つのカップが 50個にも見える。時にカップを重ね、ときに逆さにし、すぐに引き離し、底を上に向けると、時に3つ、時に5つの珠が乗っている。最後にはひとつだけしか見えなくなってしまう」

これは16世紀にラテン語とイタリア語混じりでトエフィロ・フォレンゴが書き残した覚書。

 

こんなふうに1300年を隔て、同種の手品が連綿と続いていたことがわかる。

 

一回目に貼り付けたブリューゲルの銅版画は、デーモンの化身らしい奇怪でユーモラスな生き物が、失墜しかけた手品師の周りを飛び回っている。

 

ブリュージュの法律家、ジョス・ド・ダムデールはその刑法に関する著述の中に、神を冒涜した罪人を罰する場面を描いた銅版画を挿絵に使った。版画の奥に小さく、同じコップに球隠しの手品を演じる手品師が描かれているが、彼の口からは悪を象徴するヘビが這い出ている。

 

ルネッサンスの終わり頃の、幾人かの熱心な悪魔の研究者を別にして、手品師の芸当が悪魔の所業だなどと誰もまじめに考えなどしなかったし、手品師のうち一人でも、その芸当を理由に火炙りの刑に処せられたりはしなかった。

 

しかし、悪魔的な象徴を伴った手品師のイメージは好評を博し人気があった。現代でも「ハリー・ポッター」の大流行を見れば頷けるだろう。


魔女とか魔法使いとかは、存在が摑みにくいのと異なり、手品師は身近だし、触ろうと思えば手に触れることができる具体的な存在だ。

奇術を行える手品師は悪魔であり得る者に最も近い所の日常的な人物にちがいない。手品師ご本人が気遣わなくても、道端で彼が演じる 奇術は、単純だが驚きを誘い、最低でも、ある魔術的な「力」を感じさせる。

 

その器用さが祟って、手品師は古代から「盗人」のイメージと結びついていた。人々を楽しませる娯楽の手品が、芸当を見せる人と結託したコソ泥やスリと結びついてしまったのは残念なことではある。(ブラッセルのグランド・プラスに限らずパリなど観光地は今日もピック・ポケットの重要な仕事場だ)

 

「手品師」の絵は親しみやすく、日常騙されたり、政治家のウソに嫌気がさした庶民の気持ちをカリカチャーとして表すのに向いている。

上は、1972年3月6日にフランスの代表的日刊紙(保守系)ル・フィガロの一面に掲載された、ジスカールデスタン大統領が言葉巧みに庶民を騙し、単一通貨ユーロ導入を説く場面を揶揄した風刺画。

 

最後にある手品のシーンを。

 

 

 

Harada 氏は日系のようですが素晴らしい手品をお楽しみください。