英国に住む高校の同級生が「辻邦生にカエルという短編があり、サンジェルマン・アン・レの美術館所蔵のボッシュの絵について書いている」とメールをくれた。
カエルという短編はこの日本の現代文学を代表する秀逸な作家の作品中、唯一フランス語に訳され、現代日本の短編アンソロジー第三巻に収められている、と最近知ったのだが、(La Grenouille, Anthologie de nouvelle japonaise, tome III,1955~1998 )いつかこの作品を読む機会があったらなにかコメントしようと思っている。
10月に同級生がフランスへ来て、サンジェルマンに泊まっていったが、ボッシュの絵は観ることが出来ず、11月半ばから12月末まで市立美術館で公開展示があるから見に行ってくれと言い残して帰っていった。
それでめのおは半分慰めも込めて、あの絵はボッシュ作ではなく、他のオランダの画家(ジエリス・パンヘデル)の作という説が出ているよ、とメールしたのだった。
展示会に行けば、その点に触れたなんらかのコメントが得られるだろうと期待して行ってみると、期待どおり、「エスカモトウール」というコップを使った手品師の絵は、背景など細部が違っているがほとんど同じ場面を描いた絵が世界中に10点ほどある。オリジナルは消失してしまっているので、いずれも正確にはボッシュ作とは言えないが、この町の美術館が所蔵している絵が、原画の本質を正しく伝え質的にも高いので、「ボッシュ」作としても甚だしい間違いではない筈だ、と市長さんがビデオで力説していた。
2002年刊行の市美術館「ヒエロニムス・ボッシュとエスカモトウール」には、この絵の作者決定と年代推定の過程が記されている。
まず、パネル画が1475~1480年に制作されたものとする幾つかの主張に対しては、異議が唱えられている。その異議は、ピーター・クラインが行った年輪年代学的な研究( dendrochronologie 樹木の年輪を比較研究し過去の事象の年代を推定する学問・方法)により、制作年代は1496年以降という主張、つぎに、手品を見ているおめでたい野次馬たちの中で際立って高貴な服装をし、野次馬たちの後ろの方にいる夫婦は服装から貴族(パトリキ)と断定でき、ゆったりとした寛衣に毛皮の帽子を冠った夫の服装は1500~1510年のもので、 ジェラール・ダヴィッドが1502~1508年に制作した「トレドの子供を復活させる聖アントニウス」の絵に同じ帽子が描かれている。 さらに 夫人の髪と羽根飾りのついた帽子はニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵の有名なタペストりーにある鷺を迎える貴婦人の髪型と帽子と同型であり、このタペストリーは1510年ごろに制作された。
従いサンジェルマン・アン・レイの「手品師」は16世紀の初頭になってからでなければ描かれない絵と断定できる。
ボッシュは1450年に生れ1516年に没しているので、この「手品師」がボッシュの作とすると、この画家の熟年期の作品となる。
リスボンの「聖アントニウスの誘惑」が描かれたのは1505年から1510年の間なので、それと同じ時代に描かれたことになる。
(つづく)