赤穂事件 その④ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

雨続きだが、気温はそれなりに上がってきたので、生け垣が伸び放題。


banquette



1週間後、晴れ間を見てやっと刈りました。まだ、ちょっと残ってますが……。


垣根



親の仇が愛する人の父という構図は、フランス古典劇のコルネイユの「ル・シッド」にある。

父親から侮辱されたので敵を討ってくれと懇願された青年は、父を侮辱した相手が愛する恋人(婚約者)の父親でやがては義理の父親になる人なので困惑する。実の父親の遺恨を果たすか、愛する人の父親を尊重すべきか? 葛藤がはじまる。

似たような構図はシェークスピアの「ハムレット」にもある。国王だった父親は伯父に毒を盛られて殺されてしまう。父親の亡霊が現れて仇を討ってくれという。
オフェリアへの愛を優先し生きるべきか? 父親の仇を討つべきか?「生きるべきか、死ぬべきか? 」葛藤が起こる。葛藤がライトモチーフとなって劇を引っ張ってゆく。


亡君の仇を討つべきか否かで、お家断絶、ご家老から退職金を貰って赤穂城を後にした旧藩士たちの胸にも多かれ少なかれ葛藤が生じた。討ち入りに加わろうと決めていながら親への慮りと板挟みになり葛藤に耐えきれず自害した萱野三平。芝居になった「お軽、勘平」のエピソードなど。

小学校の4年から6年まではクラス替えもなく、3年間ずっと同じ顔触れで卒業したのだが、私が居たクラスは生徒の数が47人だったので、みんな「赤穂義士」と同じだと、討ち入りの義士に一人ひとり生徒を割り振って遊んだものだ。

赤穂義士は47人か? 46人とすべきではないか? との議論がある。

3・4月に日本に滞在した時に大河ドラマ「最後の忠臣蔵」が始まって、その一回目を観た。

寺坂吉右衛門。 吉田忠左衛門組足軽で3両2分二人扶持、39歳。

足軽が武士(士分)に入るか否か、で義士に入れるべきか否か? なのか、いや、寺坂は大石内蔵助が留めたにもかかわらず討ち入りに加えてくれと懇願し、加わったのだが、吉良を討ちとったあと泉岳寺へ行く途中で行方をくらました。逃亡説といや、討ち入りの実相を内匠頭の正室阿九里(あぐり)、後に瑶泉院(ようぜんいん)と浅野大学はじめ、関係者に伝えてくれ、と大石から頼まれ生き残った説とあるためであろう。

大河ドラマでは、討ち入り前に寺坂に大石は、裏門隊と表門隊との連絡係、斥候をやってくれと命じる。そして、吉良邸での戦闘のすべての場面を実際に眼にしたのは、寺坂だけなのだから、のちのち、世間がどのように討ち入りをゆがめて批評することになるや分らないから、お前が「生き証人」となって実際を伝えてほしい、これは私の遺言だから、と足軽の寺坂に家老がじきじきに依頼する場面があった。

吉良邸の玄関脇に立てた「口上書」には討ち入りの理由を述べたあと最後に全員の署名があり、そこに寺坂吉右衛門の名もあることから四十七士とすべきだろうと私は思う。足軽は位として武士の最下級だったとしても侍の端くれなのだろうから。

いったんは、籠城し城を受け取りに来た軍勢と一戦交えたのちに大手門で全員切腹と決めたのち、大石はやはり城は明け渡すべきとした。


赤穂城1



赤穂の城は、現在は石垣だけで僅かに大手門の傍に櫓が残ってるのみで、草むらばかりの屋敷跡だ。


片岡



海岸に内匠頭の祖父が造らせた平城で石垣の中に、大石や片岡源五衛門の屋敷などがあった。天守閣は土台だけで結局は建てられなかった。


赤穂城2



内匠頭の正室阿九里(あぐり)は幼少の頃、10歳になるかならないかで赤穂へ入り長矩と同棲の後結婚した。その時の持参金が浪士討ち入りの費用に使われたであろうと推定されている。

城の明け渡しとは、浅野内匠頭の祖父が造ったとはいえ幕府に取り上げられてしまう。藩がお取り潰しになると、浪々の身となる藩士へ退職手当を支払わねばならない。城に備え付けの武具なども幕府に取り上げられ、それ以外の船だとか家具を売却する。

阿九里の持参金は製塩業者に貸し付けられていたが、それを返済させ、さらに藩札(藩が発行していた兌換紙幣)を額面の6割で引き取ることを承服させ、藩の解体を処理した。大石の手元に残った金額はおおよそ7000万円と推定されている。

最も多く使われたのが播州赤穂浅野家のお家再興のための工作資金であり、次が江戸の撥ねあがり急進派の暴発を防ぐために使者を派遣するための旅費に使われた。その他、浪士の暮らしが成り立たなくなった時には援助金をたびたび与えた。こうして討ち入り前に大石は手持ち資金をほぼ使い尽くし、手をつけまいと取っておいた瑶泉院の持参金から出た利子を武具購入費に充てた。

映画やテレビドラマで定番となっている赤穂浪士討ち入りの衣装、幕末の新撰組が着ていた白黒のジグザグ模様の羽織、あれも創作で、鉄の兜で頭を護り、鎖帷子を下腹に巻いて切られにくいようにした。赤穂藩は江戸の火消の親玉で、消防隊の衣装で討ち入った、というのが昔読んだ小説にあったが、そんな揃いの衣装を買うだけの金はなかった。ひとりひとりが思い思いの格好をして戦いに備え、兜も浅い小さなもので額を護ったらしい。

吉良邸には討ち入りに備えて、清水一角などの腕利きを雇い入れていたが、士気が圧倒的に討ち入り側が高く、一時間あまりで吉良側の抵抗は鎮圧されてしまった。吉良側で切死にした数12名。赤穂浪士は死者ゼロ。討ち入り時に門から飛び降りて足首をくじいたのと池に落ちた程度で、討ち入り側のチームワークと準備の周到さ士気の高さが勝敗を決めた。

城を明け渡してから討ち入りまで、家老の大石が京都祇園の一力茶屋で遊蕩に耽ったとか、さまざまなエピソードが芝居になっている。浪士が貧困に耐え艱難辛苦のうえ、当初の目的を達したのが、江戸庶民の共感を呼んだ。

大石は当初、浅野家再興を目標とし、堀部安兵衛など血気にはやる江戸詰めの旧家臣を宥めるのに腐心した。安兵衛は大石宛の手紙で「たとえ大学様が100万石の大名になってお家再興がかなったとしても、吉良上野介が生き残ってこの世に居る限り、大学様が世間に顔向けできないじゃありませんか。吉良を討つべきです」と諫めた。

「このままでは、武士の一分が立ちません」という。

この「分」とはどんな意味なのだろう?

「足軽の分際で」とか「分限を知れ」とか言う。そのときの分は限られた範囲、行動を狭く限定する意味に使われる。

しかし、安兵衛のいう「分」は「社会から期待されている武士としての役割、道徳的な職分」といった意味のように思う。

赤穂藩には軍師山鹿素行がいた。赤穂城跡にも素行のブロンズ胸像がある。

山鹿素行は会津若松の生まれ。江戸時代の官学だった朱子学の形而上性を批判したため幕府の怒りを買い赤穂に配流となった。赤穂では素行を師として敬った。

素行は「葉隠れ」に代表される「死ぬべきこと」の武士道とは別の儒教的な「士道」を唱えた。

平安時代からの武士、戦う武士から戦国の世が終わり平和な江戸時代に統治者として生きる教養ある武士を目指し「士道」の理想を唱えた。

「士は農工商の業を差し置いてこの道(武の道)を専らつとめ、三民の内苟も…以って天下の人倫の正しきを待つ。是れ士に文武の徳治不備ばあるべからず」

要は、農工商はそれぞれの家業に忙しく教養を積む時間などないが、専門だった戦がなくなった世の中で武士の役割としては天下の人倫を正しく保つことが職分だ。そのために普段から武芸のみならず文(教養を積み)知徳に励まねばならぬ、とした。

剣道の袴には前に五本のひだがあり、これは五輪五常の道を表すという。五輪とは「孟子」の仁義礼智信。君臣の義、父子の親、夫婦の別(分け合うこと)、長幼の序、朋友の信をさす。

安兵衛さんは、生粋の赤穂藩士じゃなく、スカウトされて堀部家に婿養子として入り、(中山姓はいつのまにか捨てて堀部を名乗るようになった)主君内匠頭にもお目見えした。他所から途中で来ただけに余計に君臣の義にこだわったともいえる。内匠頭の最後、言葉は交わせなかったが今生の別れをした片岡源五衛門から、憔悴し切った主君の最後の姿を聴いた安兵衛は仁義の思いに胸を焼かれた筈である。


弥塀と片岡
    大石神社の入り口にある四十七士の石像。堀部弥兵衛と片岡源五衛門↑


ともあれ、病弱で過敏で被害妄想的かも知れないが藩の財政立て直しの為、恥を忍んで、お公家さんの接待にはこれだけしか出せませんと最後まで頑張りぬいた若き君主が、足利の名門の血筋か知らないが、儀典のどうでもいいような仕来りを後生大事に秘匿することで地位と収入を得ている吉良上野介とかいう糞爺に辱めを受けた。主君長矩は即日切腹、爺はお構いなしの片手落ち裁判。これを黙って受け容れているようでは赤穂に人はいないのか? と笑われる。そう安兵衛は訴え続けた。

討ち入りの夜雪が降っていたとするのはドラマの劇的効果をあげるための創作。子供の頃、かっこいい~と思っていた山鹿流陣太鼓も、そんなもん打ったりしたら近所の屋敷が眼を覚ます。だいいち切り合いの邪魔になる。

揃いの装束ではないが、やはり火消の親玉、内蔵助と主税は火消の装束で、それぞれが戦闘しやすい格好をし、闇夜でも見分けが着くように袖口と胸に白い晒しを縫い付け名前を書いた。暮れ過ぎに日本橋の堀部弥兵衛の借宅へ集まり、未明の午前4時頃、前年に屋敷替えなったばかりの本所の吉良邸へ向かった。

浅野大学が芸州浅野本家お預けと決まり、赤穂浅野家のお家再興が絶望的と判った時点で大石は討ち入りを決めたわけだが、四十七士討ち入りの後、大学は旗本に取り上げられ、播州赤穂浅野家は再興された。

反対に、吉良の養子は諏訪にお預けとなったまま、没し、吉良家は断絶した。

 (赤穂事件について終わります)