養蚕農家 ルーツ探索の旅 その⑦ | 雷神トールのブログ

雷神トールのブログ

トリウム発電について考える


風景2


上の写真は、2泊した後、福知山、京都経由で東京へ出る朝に撮った養父市大杉地区の風景です。

この風景の中に立ったとき、私の心は和み、落ち着きを感じました。長い間探し求めていた風景にやっと出会えた、そんな思いがしました。山がもう少し遠くて低く、裾に家並みが見えないのが私の記憶の風景ですが、それでも、その記憶の風景にもっとも近いものを目にし、そこに今立っていることに安らぎを覚えたのです。

鮭や鱒、渡り鳥が生まれた川や土地に戻って行くように、私の心も幼い頃毎日目にした風景の中に立ってやっと落ち着きを見出したのです。

私が泊まった家は「養蚕農家」といって明治時代を中心に蚕を飼い、絹糸の原料である繭を産していました。


養蚕農家
    私が泊まった養蚕農家、「いろり」↑ 3階建て、蚕を飼う階は土壁。屋根に通気窓がある。

河辺さんは「私が子供の頃もあちこちに桑畑がたくさんあって、桑の実を摘んで食べ、服を真っ赤にしてました」と話して下さった。

明治の初めに群馬県の富岡に建設した製糸工場。エシュト・リリエンタール商会の生糸検査人をしていたフランス人、ポール・ブリューナ(Paul Brunat)に依頼し、見込み書を作り、1870年仮契約、明治3年富岡の地を選び、横須賀製鉄所のお雇い外人、エドモン・オーギュスト・バスチャンに設計を依頼、明治5(1872)年に完成した。

富岡製糸工場は当時世界で最大の生糸生産機能を持った工場だった。

富岡製糸工場には日本の各地から養蚕と製糸の技術を学びに研修生が派遣された。但馬からは明治5年、出石藩の武士の娘25人が研修に行った。

彼女たちは富岡から帰ると、明治11年豊岡市日高町、明治12年豊岡市但東町に完成した器械製糸工場で教婦を務めた。

上垣守国(うえがきもりくに)は享和3年(1803年)出石藩の支援を受け、「養蚕秘録」を江戸、京都、大阪で出版した。これをシーボルトがオランダに持ち帰り、嘉永元年(1848年)フランス語に翻訳、パリで出版された。

上垣守国は宝暦3年生まれ。養父郡大屋町蔵垣村の庄屋、18歳の時、福島県伊達市へ行き蚕種を仕入れ養父に養蚕を根付かせた。現在、養父郡大屋町蔵垣村には上垣守国養蚕記念館がある。


大屋川
              大屋川に架かる橋 ↑


≪ L'Art d'Elever les vers à soie au Japon  ≫

フランス語版には原題がローマ字で「Yo-san-fi-rok」と書かれている。訳者は Docteur Johann Joseph Hoffman (1805~1878), Chevalier de Mathieu Bonafou (1793~1852)で、Bouchard Huzard 女史が1848年に出版したとなっている。

フランス語の
電子書籍版を Googl Play で無料で読むことが出来る。

フランスに居る私と兵庫県養父市とが
こうして繋がった。

不思議な因縁を感じる。

因縁は他にもあるので、続きを明日また書こう。

 (つづく)