ジハードの意味 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

以下は、モンタッセール・アルデメフ 「なぜわれわれはすべてジハデイストなのか」(パンドラの箱社) の一節を借りて意訳したものです。

ハイパー・マーケット(カルフール)の書籍コーナーで見つけたこの本は、買ったばかりでまだ3分の1も読んでいないのですが、イスラムについてだけでな く、中東の問題、パレスチナ・イスラエル問題や、今、世界を揺るがしているテロや戦争の脅威やその背後にある思想についていろいろ教えてくれます。旅の機内 で読んで、続きをまた書きたいと思います。

著者のアルメデフはパレスチナ生まれのアラブ人で、ベルギーの大学に博士論文を書くために単身戦闘中のシリアに潜入しイスラム国のメンバーとも対話しなが ら、帰国後、論文を書き、現在はイスラム過激派に洗脳されテロに走りそうな人々に平和な生き方を呼び覚ますよう説得活動を行っているそうです。では……

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ジハードとは、巷間に出回っている「イスラム教を広めるための武闘」などではなくて、「予定された目的を達するために人間が行う努力」を意味する。


djihad


ムジャイッドないしはジハデイストとはこのジハードを行う者のことである。
ジハードはしばしばイスラムの第6番目の柱とみなされている。
ここで言いたいのは、ジハードはイスラム信者ではない者によっても行われ得る、ということだ。実際、われわれはすべてジハデイストなのだ。

「私らは、人に両親の面倒を見よと奨めた。だが、両親がお前が知らない他の神々と私を一緒にせよとお前を強制するなら、彼らには従わぬがよい。」(コーラン 29:8)

コーランのこの一節によって、「もし両親がお前を強制する」または「(非イスラム教徒の)両親が子供たちをイスラム教から離脱するよう説得などして行う努力(ジハード)」という表現からジハードの元の意味を知ることが出来る。

「ジハード」という単語の最初の意味は「努力する」なのだ。「ジハードを行う」ことは、したがって文脈により、イスラム教徒にも非イスラム教徒にも適用される。

ジハードには二つの形がある。

第一は内面の闘いである――平和な形態――自己自身に対する闘い。これは偉大なジハードと見做されている。毎日、われわれは選択を迫られるような事態に直面する。このような事態に出会わした時、われわれは、しばしば最も正しい選択、や決断を目指して行動する。自分のとった決断が満足や受容に導いてくれるよう願う。正しい人は善を目指し、イスラム教徒は善い行いをするならば善良なもしくは最良の人となるだろう。善を目指すことは、倫理のうえでの義務だけではなく宗教上の義務でもある。コーランは特にイスラム教徒に、辛抱強く(怒りの状態にある時は)正しく行い、虚栄心による行いを慎み、神を冒涜したり、陰口を叩いたりせぬよう教えている。

我慢強いことを実際に示すこと、内面の弱みを克服し闘うことは難しい。

ある人間が、自分は陰口を叩きすぎ、変えるために闘おうとする瞬間から、彼は自己自身に対する闘いに参画しているのだ。ジハードは自己に対する内面の闘いであり、自分自身の欲望に対する闘いである。(コーランの文節に寄りながらアラーに従うこと)自己自身に対する闘いは、伝統によれば、最も高貴な闘いであり、最大のジハードなのだ。(アラブ語で、アル・ジハード アル・アクバル)

身体的な戦い、武装したジハード(聖戦)は小さなジハードと見做される。

社会的な不正に対する非暴力的な戦いや、正しく調和に満ちた社会に到達するための「真実」を目指す闘いは、高貴なものとされる。非暴力の闘い、真心による、言葉による、ペン(文筆)による、不忠な行為(不信人者に対するではなく)に対する認識(知識)による闘いはda'wa (信念の公布)により鼓舞されている。

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明日から、また日本へ帰ります。今回は50日の滞在。ほとんどは南紀で過ごしますが、4月初めに兵庫県の養父市を訪ねます。僕が4歳と5歳の2年間を祖母と二人だけで暮らした田舎です。遠い記憶だけにしか残っていない幼年時代の故郷。それがいまどんな姿になっているか? 昔の面影を見出すことが出来るか? 前からやりたかったルーツを辿る旅をしてきます。

しばらく、投稿をお休みしますが、5月にはまた復帰しますので、よろしく。