ケバウの述懐 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

マオリ出身、ジャン・リュック・ケバウの述懐

ヴォーバン堀で水死体となって見つかったチュニジア人の青年は名をイマッド・ブフッドと言った。イマッド・ブフッドの死体は五月7日に発見された。水死してから二十日が経っていた。

イマッドは、サンヴィック住宅街の北のボワ・ブレヴィルという団地に母親と二人で暮らしていた。ボワ・ブレヴィルは千九百六十年から七十年代の高度経済成長期に、フランスの大都市の郊外にどこも同じスタイルの六階から八階建ての集合住宅、いわゆるHLMが並ぶ団地のひとつだ。


HLM



ボワ・ブレヴィルのある高台は、隣にモン・ゲヤール、マール・ルージュ、アプルモン、コークリオヴィルなど似たような団地が寄り集まっている。

フランスは経済成長を支える労働力を旧植民地からの移民に頼ったため、アルジェリア、モロッコ、チュニジアのマグレブ三国をはじめ、セネガルなどブラックアフリカからも移民が大量に押し寄せた。

彼ら移民の住居にこうした味も素っ気もない郊外の集合住宅が充てられたのだった。今日、それがゲットー化し社会問題化している。

移民の二世三世には職が無く、職業訓練も疎かにされ、ほとんどが麻薬に手を染め、デイラーになったり、団地ごとにボスがいて、そのボスを取り仕切る親分がまた上に居て、警察も手のつけようがない状態なんだ。

若者たちは、人種ごとに組合を作ったりしてるが、互いにいがみ合い、憎しみ合って、なにか事あるごとにいざこざが暴動化する。

イマッド・ブフッドをヴォーバン堀に突き落して水死させた犯人は、ふたりのスキンヘッドで、一人はポルトガルの移民の息子、ルドルフ・ボス、もう一人は貧困家族の出で父親は無職、精神病院に通っていた。ふたりとも、警察の取り調べに素直に犯行を認め、おれたちはネオ・ナチだと公言した。

モン・ゲヤールにはパブがあって、そこには黒人、アラブ人、ユダヤ人の若者がたむろして互いに憎しみを籠めた議論を交わしている。

スキンヘッドがたむろし、参謀本部として有名なカフェ(テモワン)はサンヴィックにある。ここには、ブラックもアラブもひとりも出入りしない。


ヴォーバン堀は十九世紀半ばに、国鉄の駅の南側の旧港を延長して作られた。当時は街が発展の最中で、この堀に出入りし荷を積み下ろしする船で賑わった。が、今は、ひっそりと静まり返り、特に夜は人気も照明の灯りも無い真っ暗な闇が支配する場所となっている。堀の南側には不要となり打ち捨てられた船舶の修理ドックが並び、北側には鉄道の線路が、これもかつては石炭の運搬と荷下ろしで賑わったが、今は地面が黒く痕跡を残すのみで夜になるといっそう暗さが増す。こんなところへ、イマッドとふたりのスキンヘッドが何故来たのか? 理由は判っていない。

おれは、サンヴィックの住宅街の一角に住んでんだ。すぐ北側にボワ・ブレヴィル団地がある。あそこに住んでなくてよかったと思うよ。イマッドの死体が見つかって二週間後に、これらの団地の若者たちが、「レイシスム」に抗議して盛大なデモを行った。

もちろんスキンヘッドたちは、自分らの仲間がイマッドを殺したとわかってるから、おとなしく、デモが叫び声を挙げるのを聞いてるだけで通過するに任せていたが、あんときは、一色触発の緊張が漂い、ちょっとしたきっかけで、すぐに投石やパイプや棍棒などで殴り合いが始まっただろうと思うよ。

スキンヘッドたちは、常にナイフはもちろん、チェーンや棍棒で武装してるから、おれも有色人種のひとりとして、やつらとすれ違う時は平気じゃいられない。身を守るための手段をなにか考えなければいけないと考えているた。ナイフやチェーンに対抗できる武器。中国人の李からクンフーや少林寺拳法を教えてもらう約束になってるが、お互い忙しくて、練習の時間が無い。でおれは、子供の頃故郷のニュージーランドで、鳥を捕まえるのに使った「吹き矢」を自作して、常時身に着けることにした。こうみえても、おれは「平和主義者」だからね、いちおう。

ただ、「吹き矢」でもふつうの矢じゃあ、効果はないので、ひと工夫して、紙の矢の先端に、麻酔液を入れた注射器を仕込み、アフリカの猛獣を捕獲する時の要領で、敵対する相手を眠らせる防御法を採用することにしたんだ。