超大作70mmスペクタクル映画。昔、70mmワイド画面が出たばかりの頃の映画に「ベン・ハー」があった。1960年4月1日日本公開。昭和天皇皇后両陛下がご覧になり、日本映画史上初めての天覧上映だった。主演のチャールトン・ヘストン夫妻も来日した。
6年半の製作期間、54億円の製作費、212分の上映時間、なにもかもが超大。黒沢監督が「あかひげ」なんかベンハーの1カットにもおよばないと嘆いたとか。アカデミー賞11部門を独占し、倒産寸前だったMGMは8000万$の利益を上げ立て直しに成功。ウイリアム・ワイラー監督は全場面をローマで撮影した。
4頭立ての2輪馬車の競争場面の迫力はいまでも目に浮かぶぐらい強烈だった。だが、そうしたアクションが前面にでたこの映画は、時代が経って観直すと、背景にはローマに支配されていたユダヤ人の迫害とキリストの愛による奇跡、つまり「らい病」に冒され、隔離場所に収容されていたベン・ハーの母親と妹の、当時は不治の病だったハンセン氏病が全快する、という魂の復活・甦生といった宗教性を備えた映画なのだ。
悪くいえば、キリスト教の宣伝映画とけなすこともできる。
ただ、めのおがこの映画を引き合いに出したのは、日本には無いだろうと思っていた「愛による復活、甦り」伝説が日本にもちゃんとあった、と言いたいからなのです。これから帰って暫く住むことになる熊野にそれがあると知って、驚き、その発見に喜んだのだった。
青春期に日本を抜け出て西洋に憧れためのおの心の底には、この日本に欠けていると思われた「愛による復活」に象徴される西洋の愛に対する憧れがあったと思う。
「彼の地=là-bas=彼岸」の観念も、甦り伝説も、日本には大昔からちゃんとあったんだね。
紀伊勝浦(那智駅の方が近い)の補陀落(ふだらく)寺は浜の王子ともいって、ここの浜から鳥居で四囲を囲んだ小舟に乗って大海に乗り出した。海の向うにある浄土を目指した僧もいれば、実際は水葬だったという説もある。
そして、これは熊野だけじゃなくて、茨城から東海地方にかけても伝わってる伝説なんだけれど「小栗判官(おぐりほうがん)と照手姫」伝説が、この愛による甦り譚なんだよね。
浄瑠璃にも歌舞伎にもなってるし、つい最近(2009年)、宝塚歌劇団花組公演でも「オグリ!」として上演された。
美しい相愛の妻、照手姫を奪われ美貌に嫉妬した悪党に遊女に売られてしまう。小栗判官は毒を盛られて殺され地獄に落ちるが閻魔大王の計らいで、餓鬼阿弥の姿で地上に戻され、地車(もしくは土車)に乗せられる。
この車を牽いた者には功徳が授かると閻魔さんが札に書いて車に貼り付けたので、つぎつぎと人が小栗を載せた車を牽いてくれる。
土車とあるのは昔、イザリが乗って移動する時に使った車だと、仏教民俗学の大家、五来重が書いている。そして小栗が罹っていたのは「らい病」、人々から当時忌み嫌われていたハンセン氏病だった、と。
偶然が、餓鬼阿弥に化した小栗を照手姫と再会させる。姫は小栗が乗った土車を牽いて、熊野の湯に入れる。閻魔さんは「熊野の湯に入れてもとの身体にもどせ」と命じてたからね。「つぼ湯」という「湯の峰温泉」が今も実際に残っている。小栗はめでたく復活をとげるんだ。
熊野は隈とも書かれ、「こもりく」といわれた。人は不幸に直面した時、自分の内側に「こもる」。外界との接触を絶って、うちに籠り、自らの魂の深い所に耳を傾け、死の淵に近いところまで沈んでゆく。そうした後、ふたたび「甦る」のだ。
この「こもり」という魂の現象は、西洋ではルクユマンと呼ばれてる。ボードレールの「Recueillement」という詩の暗く深い言葉の響きと音楽性に、苦悩に満ち、平安を求める魂の声が表われている。内省とか黙想とかと訳されている。
上皇の御幸が盛んに行われ、庶民も倣って「蟻の熊野詣」といわれるほど、途切れなく熊野古道を歩く人の流れが続いた時代があった。熊野は、他と違って女性も禁制ではなかったし、小栗伝説にあるような不浄とされた病人までも受け入れる奥が深い聖地だったんだね。
写真は2月の節分に、大門からの鎌倉づくりの石の階段を歩いて那智大社まで登ったときに出会った平安貴族の女性の姿をしたお二人です。
9月9日からまた日本に一時帰国します。
こんどは10月いっぱいまる一か月を勝浦で過ごします。
子供の頃したくても出来なかった海釣りを存分にやって、アジや鯖、黒鯛(ちぬ)をたくさん食べたいな。捌く為の出刃包丁も持ってってあるしね。身体が要求しとるのよ。魚を、フランスの崩れかけたような魚じゃなく、獲れたての、コリコリした魚を腹いっぱい食べたいな。お魚さんの供養も忘れずしないとね。
