水泳について | 雷神トールのブログ

雷神トールのブログ

トリウム発電について考える

先日プールでまだよちよち歩きもしてないほどの幼児が母親に支えられて、プールの縁から水に飛び込んだり、泳ぐまねをして戯れているのをみて、思わず将来チャンピオンになるね、と言ってしまった。お幾つですか? と訊いたら「1歳半」とのことだった。それで、僕の幼年時代を思い出した。

兵庫の田舎から婆ちゃんと2年間の二人暮らしを終えて東京へ戻り、親兄妹と一緒に生活を始めたばかりの頃だ。小学校へ上がる前の一年間は、新宿花園神社の横の四谷第五小学校の中にある幼稚園へ通った。構内にはプールがあり、その夏初めてプールの水に浸かったのだった。手すりに掴まったまま、頭まで水に潜った。水に潜って中で眼を開けた、その時の光景を今もはっきりと覚えている。

最近は、生まれたばかりの幼児を水に落して、水泳を覚えさせるという。幼時は産まれながらに泳ぎを身につけていて水を怖がりもせず手足を動かすという。ちょっと酷な気がしないでもないが、泳ぎに限らず、幼児の経験は能力として一生残るのだろう。

小学校には長さ25メートル、幅8メートルのプールがあった。毎年夏休みには、午前と午後、学年別にだったか利用できる日が決まっていて、晴れた日も、曇って寒い日も、ほとんど毎日のように通った。

粗い砂目のセメント製の縁を踏み外し向う脛の肉を削ぎ落してしまった。皮膚と肉が剃り落ちたばかりで傷口は真っ白で骨が露出したのかと怖くなったものだ。数秒経って血がじわじわと滲み出て来た。この傷は今も残っている。

テレビ俳優として出始めたばかりで亡くなってしまったY君なんかとプ-ルサイドに寝そべっていた。Y君は、「イッチョフン」と呼ばれる今のストリングみたいな三角の布に紐がついただけの水着で前を覆っていて、膨らんだ蛙みたいなお腹をへこませたり膨らませたりする芸をやって僕らを笑わせた。

担任のO先生はたぶんご病気のせいでプールには来なかったが、隣の組のH先生がよくプールのなかで一緒に遊んでくれた。あれは、プールの水の入れ替えの日。抜く途中の水位が浅くなった中で、取っ組み合いをしてくれた。投げ飛ばされるのが嬉しくて、また飛びかかって行くのだったが、H先生の背中や肩に跳びつくと、水に濡れた若い男の脂臭い匂いがした。

その日、急に僕は縦25メートルを泳ぎ切ることに挑戦してみようと思い立ち、泳ぎ始めた。たぶん、水深が浅いので途中で苦しくなっても立てると思いやってみたのだろう。Y先生は、少年の挑戦を感じとめたのか後をついてきてくれた。25メートルを泳ぎ切ると、「やったね」というような褒め言葉を掛けてくれた。それが嬉しくてそれからは水泳が好きになった。

クロールの息の仕方を
教えてくれたのもH先生だった。足を排水溝の縁に懸け、上体を浮かし顔を漬け、両腕を動かしながら、顔の半分を横に向けて水面から出し、口から空気を吸い込む練習法を授けてくれた。

その頃、水泳でラジオ・新聞を賑わしていたのは「フジヤマのトビウオ」こと古橋広之進選手だった。そして橋爪四朗選手が古橋選手の影のようにつねに付き添っていた。

みなさんは「前畑ガンバレ」というラジオの実況中継をご存じだろうか?
1936年ベルリン・オリンピックの200m平泳ぎで3分3秒6で地元ドイツのマルタ・ゲネンゲルを1秒差で押さえ、金メダルに輝いた前畑秀子選手。

ラジオの実況中継を担当したNHKの河西三省アナは最後の50mでゲネンゲルに追いつかれそうになった前畑に、興奮を抑えきれず「前畑ガンバレ」を20回以上も絶叫。真夜中のラジオ中継を聴いていた当時の日本人を熱狂させた。聴いていた名古屋新聞浜支局の支局長が興奮のあまりショック死した事件まで起きた。スポーツに愛国心、ナショナリスムが高揚して表われた見本のような中継放送である。

つい二日前の日曜に終わったツール・ド・フランスでも、レースの実質的最終日(最後のシャンゼリゼのレースはお祭り)にフランスのチボ・ピノーが急な上り坂のレースを制しトップでゴールすると沿道の観衆は熱狂した。

今年のツールは初日から3日連続で転倒に巻き込まれイエロージャージの選手が骨折などで棄権が続いたのだったが、5日目だったかに英国のフロムが勝ち以後2週間半総合トップが着るイエロージャージを保持し続けたのだった。峠の急な上り坂でフロムがダッシュし、他の優勝候補に大差をつけた日に、テレビはフロムが所属するSKY チームのバスが高地と同じ気圧を作り、バス内に居る選手に血液を濃くするなど、特殊な訓練を施したと発表したため、翌日からフロムは沿道から尿(オシッコ)の入ったコップを顔に投げつけられ罵声を浴びせられるなどフランス人愛国者の嫌がらせを被ることになった。

ツール・ド・フランスが終わり、こんどは水泳の世界選手権が行われている。ロシアのカザン Kazan で、7月24日から8月9日まで。フランスはマノドウ姉弟はじめここ数年強い選手が出て、はやくも湖での1万メートル競泳にオーレリ・ミュラー(女子)が1時間58分4秒で金メダルを獲ったとニュースが伝えている。サッカーでもそうだが、スポーツの実況中継にはアナが自国の選手を応援するナショナリズムがどうしても出てしまう。


マノヅー

「前畑ガンバレ」はナチス政権下のドイツでのオリンピックの実況放送だったが、日本はその後敗戦を迎え、誇りを失っていた時代に水泳で、古橋と橋爪という世界新を次々と更新する選手を生み、ふたりは国民的英雄と仰がれたのだった。特に古橋は400m、1500m自由形で世界記録を上回るタイムを出しながら、国際水泳連盟から日本は除名されていたため公認されなかった。

1949年に国際水泳連盟に復帰し、8月の全米選手権に、古橋、橋爪が招待され、400、800、1500に世界新を達成し「フジヤマのトビウオ」の異名を取った。しかし南米遠征中にアメーバ赤痢に感染し、1952年のヘルシンキオリンピックでは400mに8位で終わった。古橋の後を常に追っていた橋爪が代わりに1500mで銀メダルを獲得した。

橋爪四朗選手は「速く泳ぐよりも綺麗に泳ぐ」と言葉を残したほど、静かな綺麗な泳法をみせてくれた。

橋爪は前畑秀子と同じ和歌山の出身で「紀ノ川」で泳ぎを覚えたのだった。