夢は明け方、半ば目覚め半ば眠っている状態で見る。
金曜のは奇怪な魚を釣った夢だった。どこかの岸壁で釣り糸を垂れていると、糸が動き引っ張られて竿先がしなった。手元にも力強い魚の引きを感じたので大きな魚だろう、と予想した。手網がないので心配しながら恐る恐る手繰り寄せ一気に引き上げると魚は、岸壁の石の上に撥ねた。横になった魚は黒くてウロコが無い。エイかカレイを思わせ、ちょっと不気味な形だ。針を外そうと口の辺りに手を掛けると周りが褐色のネコの耳のような色をしていた。
土曜の朝のは電車を乗り継ぎながらどこかの町をうろついている夢だった。東京のようでもあり、どこかロンドンあたりの外国の街のような感じもした。ここはどのへんなのだろう、これから行こうとしてるところへはどこから電車に乗ったらいいのだろう? 視界の前面を覆っている大きな駅の建物を前に見て一抹の不安を胸に抱きながら早足で駅に向かって行くのだった。
つぎの場面はもう電車の中で、乗降ドアのあるスペースの真ん中に立って金属の支柱に掴まっていた。駅が近づいたので一人の中年の男が網棚に乗せた大き目の鞄に手を掛けて降ろそうとした。すると横に置いてあった黒い縦長のケースが鞄に引っかかって棚から落ちかかるのが目に留まった。とっさに動いて危機一髪のところでその縦長のケースを空中で受け止めた。ケースには僕のフルートが入っていたのだった。
男に向かって僕はフルートのケースを縦に突きだすように向け「あぶないところだった。高いんだよ、これ。純金製のフルートだから」というようなことを外国人がやるみたいな、当てつけがましい仕草と、大袈裟な言葉で言いたてるのだった。そんな大事なものだったらなにも網棚に上げることはないだろ。重くもなさそうだし、手に提げてるべきだ。男が言いそうなセリフを自分に言い聞かせながら、ドアを出てゆく男の背中を見送るのだった。
笛には昔から魅力を感じていた。子供の頃、「笛吹き童子」というラジオ番組があって、学校から帰った頃、主題歌が流れると夕食を待つ間、畳に寝転んで聴いたものだった。福田蘭堂という名前を憶えている。作詞だったか作曲だったか?
「ひゃらーり、ヒャラレーロ、ヒャリ~コ、ヒャラレ~ロ。ど~こでふうくうのか、不思議な笛え~だ。ひゃら~り、ひゃら~れこ、ひゃら~り、ひゃられ~ろ。たんたんたんたん、たんたんたんたん、野をこ~え、山こ~え」
横笛には日本ではお神楽の「神楽笛」。お能の「能管」や「竜笛」。民謡に使われる「篠笛」、それに「高麗笛(こまぶえ)」などがある。ヨーロッパの横笛はピッコロとフルート。もっともフランスでは日本で呼ぶフルートをフリュット・トラヴェルシエ~ルと呼んで、リコーダーなど縦笛と区別する。縦笛もフルートなので、横向き(トラヴェルシエール)のフルートと呼ぶ。
フルートが、木管楽器に分類されると知った時はほんとに驚いた。フルートといえばすぐ、あの銀色に輝く筒とキイを思い浮かべる。19世紀にドイツのベームが、金属の管にキイを付け現在の形にするまではフルートは木管だったのである。
「たんたんたんたん、たんたんたんたん、野をこ~え、山こ~え」と歌にもあるように、フルートは遠達性が高い。高音のせいかも知れぬ。車の中で騒音を貫いてはっきり聞こえるのはフルートくらいなものなので、CDにはフルートの曲が多い。
11月30日(日)
朝、気温は5℃と寒い。薄い靄がかかっている。
今朝、また夢を見た。3日連続で夢を見るなどめったにないことだ。
「魂が彷徨っている」と感じた。魂というほど大げさではないし深みもないのだが、気持ちとか心という言葉では足りない気がする。肉体が眠っている間もしきりに活動している深層意識とでもいえばより適切か?
どこかまた外国の(日本ではないという意味、アムステルダムとかアントワープなどの雰囲気)怪しげな客商売の店に知り合いと上がってマネージャーみたいな男と話をした。昼なので客がいない。がらんとした店内にソファーとテーブルが並んでいる。話が済み、こちらからどうぞ、と出口を示された。細い階段が地上へ降りている。外の明かりが階段の踏板の間の矩形を連続的に照らしている。そこを降りてゆく。ところがその階段は横向きになってしか通れない狭さなのだ。胸と背中を両側の壁にこすりながら降りてゆく。
次の場面は、竹のような細くてまっすぐな植物の茎を一本一本手に取りながら根の部分を改めている。階段の細い隙間に植える草木をインターネットで寄付を求めところ、思いがけず沢山の若木が届いた。なんの草木かは定かではないが、丸くて細い茎がすべすべした感触があったから、やはり竹だったのだろう。
竹はここの家の前の家主が植えた黒竹と青竹が庭にある。それと日本を思わせる植物だからだろう。「魂が彷徨っている」と書いたのは、やがて日本へ帰ろうと準備をしていて、それを実現するためには、この家を売らなければいけない、というのと、庭のゴミと引っ越し荷物の運搬用に大き目の車をリースしてるのだが、家が売れないと、契約満期までリースの月賦を払い切れないという心配が元にあって、還る先の日本の景色とヨーロッパで彷徨い歩いたいろんな街の光景が交錯して夢に現れるのだろう。
僕は東京の新宿の花園神社の向かいの病院で生まれたが4~5歳の2年間を兵庫県の田舎(養父)で暮らし、その後、新宿の西大久保という住宅地で育った。東京大空襲の焼け跡の空き地が方々に残っていて、東京に居ながら蝉やトンボなど田舎の風物に親しむことが出来た。
そうした少年時代は、育った土地にも親和感を抱いて隣近所の子供と毎日遊んでいたのだが、思春期に入ってからは、どこか遠くへ行きたい、日本を出たいという気持ちに捉われだしたのだった。
ボードレールの「旅へのいざない」、マラルメの「fuire la bas fuire」、マラルメの弟子のヴァレリーはそうした象徴派詩人の遠くを憧れる気持ちを抽象化して「他のものになりたい欲求」とした。
父親は満州の生まれだし、戦後外貨解禁がなされるや真っ先にアメリカに行った。外国から一時帰国した僕に、「日本を出て外国へ行きたがるのは、父さんの影響かもしれんな」と言った。
ひとつところに居ると必ず、倦怠感が増幅し、嫌なことばかりが目についていたたまれなくなる。フランスのここ10年来の政治・経済・社会情勢を見ていると、じっさい溜息ばかりがでるありさまなのだ。
昨日、フランス最大の保守政党UMPの党首選挙があり夜8時半に結果がでた。前大統領のサルコジが67%の票を獲得。総裁に選ばれた。
サルコジの目標は2017年の大統領選挙だ。2年前にもUMPの総裁選があり、フランソワ・コッペが党首を務めた。サルコジ大統領の下で首相を務めたフランソワ・フィヨンと党首選を争った。二人が30分ほど時差を置いて勝利宣言をした。フィヨンが3000票差で勝ったのが真相だったらしい。選挙管理委員会が故意にフランス海外県の票を積算の際に入れなかったそうだ。
コッペ前党首はパリの東40kmほどにある「モーMaux」という町の市長を兼任している。市庁舎の隣の建物に「ビグマリヨン」という会社があった。ロック・コンサートなどイヴェントを企画準備し舞台、照明、音響などを手配、管理するイヴェント会社。
サルコジは大統領選にこのイヴェント会社を使って、屋内競技場やサッカー場など広い会場に舞台をしつらえ、音響と照明効果でアメリカ大統領選に似た興奮を盛り上げ、若者の気を煽って、選挙に勝ったのだった。それでも競争相手のセゴレン女史とは僅差で勝ったのだったが。
法定、選挙運動に使える資金の上限2千万ユーロの倍以上を掛けて興奮を作り上げて勝った。冷静で知的なフランスの若者の伝統的なイメージが、アホな興奮に乗せられ、三色旗を振り踊らされてる様子を観て失望を覚えた。
サルコジの今回の党首選挙での演説も、聞いているとゲッペルスやヒトラーの情念丸出しの暴力性すら感じる。対して現大統領のオランドの演説はまるきり情念が感じられず、高級官僚のスピーチのようだ。
選挙資金には上限が法で決められているとの理由でサルコジはビグマリオンに40回に渡るミーテイング経費の半分も支払わなかった。ビグマリオンは仕方なく、サルコジが所属する政党UMP宛に、架空のインヴォイス、それぞれ30万€という金額の請求書を20枚送りつけ、UMPはその代金を支払った。しかし直後、会社を倒産解消してしまった。
サルコジを見ていると、アメリカ開拓時代の「シャルラタン」を感じる。ただの色の付いた水をいかにも効能がありげに話を上手に持って行き聴衆を騙して売り歩く「いかさま師」「詐欺師」のことである。聴衆が騙されてでもいいから将来に希望を持てて、金儲けができる社会をもう一度作りたいっていうなら、それでいいのかもしれない。
現オランド大統領だって当選した当時の公約には「失業を減らす」「フランス中の900ある国有地、公共の建物を無償で提供して低所得者のための社会住宅建設に充てる」」「いいですか、無償でですよ、ただで提供します」と繰り返したにもかかわらず、失業は増える一方で350万人を越してしまった。社会住宅はといえば、900あるといった中身を検討してみると地方公共団体の所有だったり(その中にパリオルセー美術館近くの旧東洋語学校も含まれる)パリ市の所有だったりで、オランドが公言が実現しそうなのはたったの2つといった嘆かわしいありさまなのだ。
政治家というのはみんなウソを平気で吐く、嘘とあとで判っても平気なつらをしてられる人種なのか?
大統領の座を2期務めたミッテランも相当のタヌキだったが、教養はあったし話方は気持ちが良かった。エリザベス女王が最も気に入っていたフランスの大統領だったということだ。
先週の26日(水曜日)、ストラスブールのヨーロッパ議会で、ジャン・クロード・ユンカー Jean-Claude Juncker という人が3150億ユーロ(約30兆円)という投資計画を発表。「ヨーロッパに仕事を与える」と名づけた雇用創出計画で「戦略的投資のためのヨーロッパ基金」を創設すると発表し話題を呼んだ。
ヨーロッパのニューデイール政策か? と期待を膨らませる向きもあるようだが、この計画実現のためには新たな資金が必要というのだし、各国が捻出する資金は、その国の負債(赤字)には計上しない、としてはいるものの、じゃあヨーロッパ中央銀行の融資とどうちがうの? とか、疑問視する声も大きい。IT、エネルギー、運輸、教育、研究開発を中心に、ヨーロッパに創造性をもたらすため、の投資計画らしいが、フランスは赤字がGDPの3%を超え、ギリシャ、スペイン、ポルトガル、イタリーなど南の落第生の仲間入りをしてしまったので、これからの雇用創出や社会保障費のやりくりが益々たいへんになるだろう。
日本は国の借金が3000兆円を超えた。子孫に借金を残すような、こんな不健全な国の経営は止めなばならない、と良識ある人が発言しているが、フランスの借金は日本のそれを上回っている。しかも、外国からの借金(国債)なのだから、日本のように日本国内の銀行や民間投資家からの借金じゃないので、厳しさはひとしお。先進国の社会福祉政策はほとんどがみなこうした国という人工的な者の名前で借りている天文学的な借金の上に成り立っている。
夢の話からえらく逸れてしまったが、狭いところを通過せねばならなくなって苦しむ夢を良くみる。なにが苦痛といって僕には、この狭い出口が見えないトンネルみたいななかで窒息死する恐怖がいちばん怖い。ベトナム戦争の後期、地下にトンネル網を掘って参謀本部や武器庫までも作っていたベトコンに対応してアメリカ軍の特殊部隊の中から単独でトンネルにもぐりこんでナイフ一本でベトコンと戦う戦士の話をフレデリック・フォーサイスの小説で読んだが、これほど恐怖を与えるものはなかった。
鍾乳洞の探検などテレビ番組でよくあるのだが、夢の中で頭と肩がやっと入るくらいの暗い穴の中を、洞穴から抜け出るためにはどうしても潜り抜けねばならない、というときほど苦悶を与える瞬間はない。なんとかそこを通らずに外へ出る手段はないものか、と死にもの狂いで願う。これは、僕のこの世に生れ出る直前の体験的トラウマなのかもしれない。
幸い今朝の夢の階段はまっすぐで壁がすべすべして苦痛なく降りることが出来た。