ルーアン覚書 その⑤ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える


私の先祖は上杉謙信に仕えた近江守長重という武将で川中島で功を立て世に知られた。長重の数代後の遠い親戚になるが右衛門という侍はクリスチャンになった。彼は禁制に触れ、磔に処された。その墓が今も残っている。日本は天皇に対する絶対的敬意が古くからあるので、キリスト教は要らないのだ。天皇への敬意とキリスト教徒の神への畏れは似た性質のもので、並立は難しい。

世は西洋の「自由」の猿真似をして、ダンスホールだ、レヴューだキネマだと浮かれ騒いでいた。そこへ天から世を罰するかのような大震災が起こった。帝都が直撃され未曽有の混乱に陥った。私は力の限りを尽くして防災と治安の維持に務めた。特高が入手した情報は彼奴の愛人が密かに爆弾を用意し、帝都の混乱に付け込んで騒乱を起こそうとしていると伝えた。

私とM曹長はK司令官から彼奴をやれと命令を受けた。社会主義者や不逞の輩が皆逮捕されているのに彼奴と愛人だけが放置されている。奴らが事を起こす前に先手を打て。今の日本は天皇を絶対的な中心とする帝国を堅固に築きあげ、ロシア、中国、朝鮮に優位な立場に立たねばならない。

それには国民に規律正しく健康な生活と天皇への絶対的な敬意を養う必要があり、彼奴の主張するような無秩序と混乱を扇動する思想は百害あるばかりだ。混乱に乗じて何をしでかすか判ったものではないから、この際断固とした鉄槌を下すべきだ。ふたりの責任において処理してくれ。とはいえ日本はまがりなりにも法治国家なのだから、それなりの形を整えねばならぬ。軍の上層部へ追求が及ぶようでは困るので、貴官らふたりが自らの判断で行ったという形で処理するように。

事件が明るみに出ると同時にF関東戒厳令司令官とK憲兵司令官、M曹長の直属の上司のK憲兵隊長の三人が更迭された。がこれは一時的な停職処分に過ぎず、ほとぼりが冷めれば三人は復職するどころか昇進さえするだろう。

軍法会議では、それなりに厳しい追及がなされた。私は最後まで私独りの独断で彼奴と愛人を殺害したと証言した。私が彼奴の背後から柔道の絞めで窒息死させた。彼奴は呻き声を立てなかったが脚をばたばたさせたのでM曹長の両脚を押さえるよう命じた、と。代わって証言台に立ったM曹長は、検事の尋問に脚は押さえませんでした、とシラを切った。あれだけ熱心に彼奴を殺してやると息巻きながら、最後になって知りませんでしたと恥ずかしげもなく裏切りを平気でする厚顔さに、私は苦笑いを押さえることが出来なかった。もっとも、憲兵隊本部所属の曹長に対し分隊の私が命令などできる筈がなく私の証言も仔細にみれば虚偽が見破られるほど危ういものだったのだが……。

私の弁護人は最後に7歳の子供もお前が殺害したのか? と厳しい口調で詰め寄った。予想もしなかったことだが、そのとき弁護人は私の母から願いを聴いたと言い始めた。「あんなに子供好きの優しい性格でどんな子供にも懐かれる息子が、7歳の子供を殺したりするわけがありません。だれかの罪を被ってるのに違いありませんから、どうか真実を明らかにしてください」と私は泣いて頼まれたのだよ、と弁護士人は言った。母が泣いて頼んだと聴いた時、私は胸が詰まって、腹の底から母への情が湧き出て胸を塞いだ。私はそれ以上母の情を裏切ってまで虚偽の証言を続けることができなかった。国を混乱に陥れる思想を吹聴して回る「主義者」を屠ったと嘘の証言を続けることは国と軍、陸軍憲兵隊の名誉を救うことにもなるので続けなければならないが、無辜の子供は思想信条とは何の関係も無く、そんな子供の殺害は軍人の穢れになるだけだ。子供についてだけは「殺したのは私ではない」と真実を明かしたところで許されるだろうと思い、私は項垂れていた頭を挙げ、濡れた眼がしらを拭い、やっとのことで、「子供を殺したと嘘をつきました。私は子供は殺していません」と証言を訂正した。


それから数日後、子供は私たちがやりました、と三人の憲兵が自首して出た。しかし二度目の法廷は混乱し、結局、子供を誰が殺したかは明らかにされぬまま、三人は無罪となり、私は懲役10年、M曹長には懲役3年の判決が言い渡された。

私は千葉刑務所で毎日厳しい役務と闘いながら、謙虚に服役を続けた。二年と半年が経ったところで、天皇のご成婚の恩赦に預かり、秘かに釈放され、軍の特別の計らいで、こうしてフランスの滞在が許されたのだ。私が犯しもしない罪を背負い「主義者殺し」の汚名を着、私の一生と家名を恥辱に貶めることについての、本当の責任者が、身代わりの私に与えた惻隠の情というものなのだろう。だが、こんなことで私と私の家名が末代まで負う汚名が晴れるわけではない。


カテドラルの内部は荘厳な雰囲気で中にいる者を敬虔な気持ちにさせる。ステンドグラスの見事さにしばし見とれていた。中世に出来た当時のまま保存されてこの時代の人間が抱いていた信仰の内面的世界を石造りの壮大な建物の内部に現実化したことの凄さに圧倒される。人間には、疎ましい事嫌なことだらけのこの世の現実世界を否定して理想の天上世界を夢想せざるを得ない習性があるようだ。日本の神社にはこうした荘厳さは周囲の自然にあるので建物やその内部はむしろ簡素を極端にまで押し詰めている。薄暗い堂宇の中に佇んでいると、静かなオルガンの音が響き渡った。バッハのフーガなど私は好きだ。遁走曲と訳されてる通り、つぎつぎと追いかけてくる同じ旋律に乗ってどこか遠くへ逃げてゆきたくなる人間の心の奥深いところにある欲求を掻き立ててくれる。この厭わしい汚辱に満ちた現世から人は逃げ出して清浄なあの世へ行きたいという希求を誰しもが持つのであろうか。

あの地震さえなければ、いや、もっと遡って、戸山が原の馬場で騎馬訓練を受けた時の事故さえなければ、私は憲兵などならずに、若い頃からの憧れだった歩兵の道を進み、栄光の頂点を目指して邁進することが出来たのだ。あの落馬事故で右脚に重傷を負った私は歩兵への道は閉ざされた。東条先輩の熱心な奨めにより私はもっとも嫌っていた憲兵への道を進むことに決めた。そして、こんどの地震。私に前例のないふたつの部署の兼務が言い渡された。ひとつは今までどおり渋谷憲兵分隊長、そしてもうひとつはあろうことか畏れ多くも皇居に手を伸ばせば届くほどの距離、麹町の東京憲兵隊本部の中にある麹町憲兵分隊の長である。この分隊は全国の憲兵分隊の中でもっとも重要で規模も大きく、補助憲兵も含め190人もの人員を擁する。普通の憲兵分隊は30名前後に比べどんなに大きいかが分るだろう。皇居、伏見宮邸などの宮家、首相官邸などを警護対象とする。全国の憲兵の憧れの的、エリート中のエリートといっても過言ではない。その組織の隊長に抜擢されたのだった。だが、あの人事がすでに伏線だった。

地震による人心の動揺、不逞分子に煽られた首都騒擾の恐怖、相手が動き出す前に騒乱の芽を摘んでしまえ、という命令。しかも、不法な殺人を組織の命令ではなく、個人のたったひとりの独断でやったと最後まで言い通すことのできる強靭な忠誠心を持った男。それに最適な奴がいる、と私に白羽の矢が立ったのだ。なにもかも、運命といってしまえば簡単だが。神のお告げを最後まで純真に命がけで守り通した乙女が最後に「悪魔」と断罪されて火あぶりにされた。お告げを信じた私に神は救いの手を差し伸べてくれないのだろうか? 炎に焼き焦がされながら若き乙女はもがき苦しんだに違いない。私には、あの乙女の裁判から火刑までの苦しみが他人事でなく思い遣られるのだ。

 (つづく)

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