ヘーゲルの美学における「美」とは、人間の精神(理念)が自然素材(形態、形式)にどのように加えられれば、「理想的状態」に達し得るか、というところに成り立つ。そこでヘーゲルは芸術史の展開を「理念」と「自然素材」の関係で、三つの時代。三つの芸術形式に分かつ。すなわち、「象徴的芸術形式」、「古典的芸術形式」、「浪漫的芸術形式」。
ヘーゲルにとって「象徴的芸術形式」とは、古代ペルシャ、インド、エジプト、ユダヤなどの古代東方諸民族の芸術の時代で、「精神がいまだ己にふさわしい形式を見出し得ず、ときに暴力的に素材に臨み、その粗野な思いがそのまま形式に象徴的に表現されている時代」、自然に対する恐怖心が、象徴的に怪獣的動物の姿を借りて造型されたり、豊穣をねがって象徴的に豊満な女体を信仰の対象として石に彫りこむなどの例がこの時代だという。ヘーゲルのこの時代についての代表的具体的イメージは、神々の住まいとしての建築だという。
岡倉覚三(天心)の「東洋の理想」では、日本におけるこの段階は、原始美術期から推古朝期を経て、奈良朝以前まで。推古仏、白鳳仏までこの時代に含めてしまうのはどうかと疑問が沸く。
「古典的芸術形式」の時代とは、ヘーゲル美学にとって最高の段階で、芸術表現の理念が、形式と理想的に合致している。古代ギリシャの古典芸術の時代がこれで、ヘーゲルにとりこの時代の代表的芸術は「彫刻」であり、古代ギリシャの古典芸術時代の彫刻において理念と形式の完全な統一、つまり「理想」が実現されている、とヘーゲルもまた、西欧の近代芸術史の通例を護っている。この時期のギリシャ彫刻は、確かに今の僕たちが見ても、人間がよくもこれほどのものを創ったなと感歎させられるほどの完成美に達している。
一方の覚三は、東洋では、この「古典的芸術形式」の時代は、中国では唐王朝期、日本では奈良朝期の諸芸術がこれにあたると、「東洋の理想」の中で述べた。
「仏教芸術は精神と物質との混合から常に生ずる平静さという様相をおびてくる。精神、物質が互いに相手を圧倒し去ろうと努めることをしない安息感であり、ギリシャの多神教から生まれてきて、相似た表現に至ったあの古典的な理想に近づくのである」
ヘーゲルにならって岡倉天心は、日本の奈良朝の「古典的芸術様式」を、中国の盛唐芸術形式ともども芸術「形式」(あるいは様式)の最高段階と規定する。
「美術はほとんど宗教の如し」
各妙想が具体的かつ全体的に統一されたものが「美術」における「美」だとフェノロサはいう。
「各分子互いに内面の関係を保ち、終始相依って常に完全唯一の感覚を生ずるもの、之を美術の妙想というなり」
一部が統一され、他の部分の統一がなってないのでは「美」とはいえないのだ。
このようにして「美術」における「美」は、あらゆる部分が「妙想」(理念)によって純化、統一されているため、妙想をいまだ受けつけないか、部分的にしか受けつけていない「自然の美」より上位にある。
「天然の実物に比すれば更に完全無虧(むき=欠ける、ところのない)の物件を掲げ来たりて吾人に示すものは、独り我が美術家あるのみ。その意匠まことに巧妙奇異、かつて思議し易からず。之を要するに、美術はほとんど宗教の如し」
ヘーゲル哲学にあっては、あくまで「理念」が絶対優位の高みにあって、それが人間の思弁によって自己展開されていく過程を三段階に区分した。ひとつは「芸術」の領域、次の段階は「宗教」の領域、最高の段階は「哲学」の領域である。
一方で日本美術振興の必要性とその方策をフェノロサは訴えた。
フェノロサは優秀な日本画家や日本の美術職人たちの奮起を促すことは、対外貿易の面でも国益にかなうことだと訴えた。
ヘーゲル美学を背景にして、「美術は」人間の内的「妙想」の発言だなどと高邁な思想を述べるかたわら、新しい発想と新しいデザインを開発し、輸出振興を図れと、非常にプラグマテイックな訴えをしたのだから、竜池会など保守派の画家や政府要路に大いにもてはやされたとして不思議でない。フェノロサのこの講演は竜池会によって印刷配布されフェノロサの名声をいやがうえにも高め不動のものにした。
フェノロサは、美術学校を新設するよう奨めた。また、画家への補助、助成製作と、さらに公衆の誘導、教育の必要を訴えた。
美術学校の新設は、東京美術学校となって実現し、岡倉天心がその初代校長となった。
(つづく)
