数ある部品の中でもネジは最も規格化が進み、異なるモデルの製品間でも取換えが可能だ。ネジのような基本的な部品の規格化から標準化の契機が生まれた。
ニューヨークタイムス誌が1999年に企画した「この1千年紀に発明された道具のうちで最も役に立つ道具はなにか?」という記事では、その回答が「ネジ」と「ネジ回し」だったことを橋本氏は挙げている。誠にネジは使い慣れると釘よりもずっと便利な部品だ。
ボルトとナットさえあれば大抵の物は組立てられる。現代の代表的工業製品の自動車はほとんどがネジを使って組み立てられる。ネジは締めが利き、取り外し、やり直しが何度も出来る。普通の市民も、規格化されたネジがどこでも市販され手に入るので、日曜に水道管の修理やシャワーの取り付けが簡単に出来るようになっている。
日本の種子島に鉄砲が伝わった時、銃尾に使われた尾栓と呼ばれる鉄製ネジの作り方がわからず、領主に模造を命じられた鍛冶職人の八板金兵衛は娘をポルトガル人に嫁がせることでネジの作り方を学ばせようとしたという逸話は前回触れた。
ネジを作る工作機械の始まりは「木ネジ」を大量に作る旋盤で、西洋では18世紀にジョブとウイリアムのワイアット兄弟が開発した。
グリニッジ天文台で天文観察に利用されるようなネジの製作を可能にしたのは「究極の名作」と歴史家から呼ばれる精度の高い旋盤で、英国のヘンリー・モーズレー(1771~1831)が、1800年にこの極めて精度の高い旋盤を作り、さらにこの旋盤で精密に作られたネジを用いてマイクロメーターを作った。
マイクロメーターは、1インチを正確に100等分したネジ山を切り、その一周を正確に百等分することで、1万分の1インチを測定することを可能にした。
モーズレーの工場には優秀な技術者が集まり、なかでもジョセフ・ウイットワースは極限に近い平面を持つ「定盤」を実現して見せた。ウイットワースの仕事で興味深いのは、彼が「真の平面」を作るに際し、機械ではなく人間の「手の平」で確認し、人の手で仕上げをして完成したという点。
これは自動車工場のプレス型保全の職人さんが、フランス人の頭のいいエンジニアのコンピューター制御による3次元工作機械で型の摩耗や破損を復元出来る筈だから型職人の修業なんか要らないとの主張に対し、いやいや、型保全はそんな安易な技術じゃありませんよと抵抗し、経験による判断力と、人間の手と指の感触の精度についての信念を持っていることに繋がる。
どんなに精度の高い機械を用いて切削・研磨したとしても、限界がある。研磨剤のムラはどうしても存在する。
ウイットワースによれば、物差しを用いて目で測定するときは100分の1インチがせいぜいだが、平面の微妙な凹凸を掌や指で触れる場合は1万分の1インチの精度で感じ取ることができるという。
初めてネジに互換性を持たせようと考え、ネジ切用旋盤を作ったモーズレーとその弟子のクレメントによって互換性を持つ標準型のネジが製造されるようになった。
ウイットワースはモーズレーとクレメントの優れた製造方法を参考にしながら、ネジの間に互換性を持たせ、ネジの規格を全国的に統一できないかと考えた。
ウイットワースは全国の工場からネジを取り寄せ、それらを比較することから始めた。イギリス全土から取り寄せたネジは、それらがまちまち、バラバラだった。
1841年に英国工学会(Institution of Civil Engineering=通常「土木学会」と訳されている。Civil Engineering は土木工学と訳されているが、軍事技術者と対立させる意味で最初Civil と言う語を使った。英国工学会も、設立当初は土木技術者が多かったことから「土木学会」と訳されるようになった。)でウイットワースはネジの構造を、ネジの溝を決める3つの要素、ピッチと山の高さと山の形を挙げ説明した。
ウイットワースが標準化に向けてとった方法は、多様にあるネジの「平均」をとることだった。ウイットワースは全国から集まったネジの山の角度の平均を取り55度とした。さらに手で触れても傷つけないよう山の先端と谷を丸く削った。
(つづく)
