庭のハマナスが咲きました↑
Socrate avait son Daimon. Descartes se donne un Diable pour les besoins de son raisonnement. Si l'on forme, en effet, toutes les hypotheses concevables pour expliquer qu'un monde d'apparences nous produise l'impression de realite, l'existance d'un Demon peut bien figurer parmi elles, et coute, d'ailleurs, fort peu. J'observerai ici, sans en tirer la moindre consequence, que dans le recit qu'il nous a laisse des songes de la fameuse nuit du 10 novembre 1619, figure aussi un Genie <
ソクラテスはダイモン(脚注 デーモンと同じ)を持っていた。デカルトは推理の必要のために一人の悪魔に身を任せる。実際ひとは、見かけ上の世界がわれわれに現実の印象を与えることを説明するのに、想像しうるあらゆる仮定を、ひとつのデーモンの存在が見せかけの中にあり得ると、そもそも安易に作り上げてしまう。私はここに、なんらの結論を引き出すことなく、デカルトが1619年11月10日のかの有名な夜の夢について残した記述の中に、「床に就く前に夢を予言した」あるジェニ(霊)について触れ、デカルトにある苦悩を呼び起こし、彼を魅惑しようと意図したある悪霊について書かれていることに留意したい。
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脚注:古代ギリシャではダイモーンは「人間と神々の中間に位置する、あるいは善性、あるいは悪性の超自然的存在で、下位の神格や死んだ英雄の霊など」を指す。ユダヤ・キリスト教のデーモンはこれより派生したもの。
プラトンの「ソクラテスの弁明」の中でソクラテスは、自分にはダイモニオン(神的ななにか)というものがあり、間違いを犯さないように「声」の形でしばしばソクラテスに警告したが、何をすべきかを教えてくれることはなかったと主張した。「わたしには、何か神の知らせとか、鬼畜からの合図といったものが、よく起こるのです……。子どもの頃から始まったもので、一種の声となって現れるのでして、それが現れるときは、いつでも、わたしが何かをしようとしているときに、それをわたしに差し止めるのでして、何かをなせと勧めることは、いかなる場合にもないのです。」(ソクラテスの弁明)
また、「饗宴」では、巫女のデイオテイーマがソクラテスに対し、愛(エロース)は神ではなくむしろ「偉大なダイモーン」であると説く。「すべてのダイモニオン(ダイモン的なもの)は神と死すべき人間の中間にあるのです。ダイモーンは人間に属する事柄を神々に、神々に属する事柄を人間に、解釈し伝達するのです」と説明する。
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ヴァレリーのテキストを続けます。
Comment se defaire d'un doute si absolu et si inventif? En ce qui concerne sa propre existance, il a deja dejoue et defie le Trompeur par sa formule magique de conjuration : Je suis, j'existe. Mais il s'agit a present de faire que tout le reste, son corps meme et le monde, soit ou puisse etre reconnu aussi existant que lui. Il s'agit meme de sauver les demonstrations de mathematique, puisque Dieu a pu vouloir nous egarer jusque par nos raisonnements de geometrie.
Il procede vers la <<verite>> par un detour etonnamment subtil. Il n'a de surete qu'en sa pensee. Elle peut s'employer, sans rien invoquer qu'elle-meme, a sa propre analyse : cette analyse lui donnera les elements purs d'une synthese de la certitude.
かくも絶対的でかくも創造的な疑いをどうして手放すことができるだろうか? 彼自身の存在については、すでに彼の謀叛の魔法の名言、私である、私は存在する、によってペテン師(le Trompeur)に挑戦しその裏をかいた。しかし今のところそれは、残りのすべて、彼の身体そのものと世界は、彼と同じく存在すると認められる、または認めうるとすることを意味する。それは数学の証明を救う意味でもある。なぜなら、神は幾何学のわれわれの推論にまでわれわれを惑わそうと欲しえたから。
彼は驚くべく繊細な迂回によって「真理」に向かって進む。彼は彼の思考にしか確信を持てない。彼の思考は、思考自体を援用することによって、その分析に専心することができる。この分析は確実性のひとつの総合としての純粋な与件を彼に与える。
つづく
