メイ・デーにちなんで | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

昨日はメーデー。フランスは祭日で全国的に休み。この日の伝統は親しい人に「すずらん」を贈る風習と、労働者の祭典、いわゆるメー・デー。年々参加者が減って、テレビの「メーデーの集会とデモは役に立つか?」というアンケートでも「ノン」と答えた人が6割を超えた。それでもフランスで昨日は全国各地を合計すると10万人(主催者側発表、警察は5万人と発表)の人が4大労組を中心にデモ行進をした。

メーデー

先月の地方選挙で現政権担当の社会党が歴史的な大敗をこうむり、首相が若くて元気なスペイン出身のマニュエル・ヴァルスに交代した。彼は20歳の時にフランス国籍を取得した、いわば移民の子である。就任演説では、ジョルジュ・クレマンソー、マンデス・フランスの名を挙げ共和国への愛国心を情熱をこめて訴えた。

相次ぐ企業倒産、失業者が350万人を超え、社会保障費は500億€不足、大統領支持率は20%以下。こういう経済危機、社会不安が増大する中、地方選挙で票を伸ばしたのはマリンヌ・ルペン党首率いる極右のFN( Front National )。FNはヨーロッパ連合とユーロからの脱退を訴えているが、数週間後に行われるEU代議員の選挙には候補者を出し議席の獲得を狙う。15世紀のフランスを救った救国の英雄にして聖女ジャンヌ・ダルクを5月1日に祀るのは、FNのマリンヌ・ルペンの父親マリ・ルペンからの伝統なのだ。例年、オルレアンのジャンヌの銅像前でお祭りをするのだが、昨日はパリのピラミッド広場のジャンヌの銅像前で集会を開いた。

すずらん

すずらんはこの季節、ちょっと湿気の多い森にどこにでも生え、誰もが摘んで道端で売ってもいい。伝統なので大目に見られてるのだ。
でも、
今日はメーデーにちなんでなにか書こうと思う。

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「日本で初めてメーデーが行われたのは1920年(大正9年)。この年は、あらゆる種類の社会主義者(アナキスト、サンジカリスト、マルクス主義者、改良主義者、さては国家社会主義者も含めて)の大同団結である「日本社会主義同盟」が結成された年でもある。それは1917年ごろから高まった労働運動の波に呼応するものであった。この同盟に大杉栄も参加した。と言うより大杉の主唱するアナルコ・サンデカリズム(めのお注:サンデカ Syndicat=組合)は、実にその年から1922年にかけてが全盛期だった。当時の労働運動にもっとも強い影響をあたえたのはアナルコ・サンデカリズムだった。言いかえると、アナルコ・サンデカリズムによって労働運動の高揚がもたらされた。
高見順 「大杉栄 ――革命的労働運動の先駆者」筑摩書房 日本文学大系22 の巻末に掲載された小論

1922年の12月、大杉栄はベルリンで行われるはずの万国無政府主義大会に出席するため、ひそかに日本を脱出した。そしてフランスに密航したものの、大会は無期延期となった。翌年の5月1日、彼はパリ郊外に開かれたメーデー集会で演説をして、フランス官憲にとらえられた。禁固3週間ののち、7月、日本へ送還された。彼の死はそれから2か月のちのことであった。(同上、昭和37年11月25日

この高見順の小論にめのおは、幾つか興味深い点を見つけた。1922年9月から日本の労働運動はアナ・ボル(アナーキズムとボルシェヴィズム)の対立が表面化し、アナが凋落しボルが主導権を握った。その主な理由がアナーキズムに対する誤解にあったと書きながら高見は悔やむのだが、めのおが注目したのは、この後に高見が書いているボル派の性質についての分析である。

「いわゆるボル派が主導権を握ってからの労働運動は、やがて、私の実感からすると、自我の確立とは反対の自己否定、そして生の拡充をむしろ否定する主体性の喪失、そうした自己犠牲的なもので運動が進められて行った観がある。」

高見がここで書いていることは、やがてはソ連の崩壊に至る社会主義政権の官僚支配、広範な民衆が個人的欲望を抑え禁欲を強いられる社会となり内からの崩壊を招くに至った歴史と社会学的な考察に通じる本質的な指摘だと思う。

高見はこの小論の最後にクロポトキンの「パンの奪取」から「一般の不満は忽ちその政府をして瓦解せざるを得ざらしめるか、然らずば、自由の原則の上にそれ自体を再組織さしめるであろう」の一文を引いて「と予言してあったにもかかわらず、ロシアのボルシェビキ革命は現実的に成功し、一向に『瓦解』しなかった。」と書いているところにめのおはまた歴史の逆説を感じてしまう。

歴史は逆転劇の連続でもあるのだから終わってみないと何が真実かはわからない。戦後のフランス思想を支配したヘーゲルの歴史主義、歴史には行き着く先、目的があるという考えは、今のところ説得力を失っている。それはともかくとして、高見順はこの文で繰り返し大杉の考えに触れている。「革命的エネルギーは自己犠牲のヒロイズムのうちにあるのではなく、自我と生の拡充のうちにある。」
「『自分で、自分の生活、自分の運命を決定したい
、労働運動とはそのためのものである。すなわち労働運動とは労働者の自己獲得運動、自主自治的生活獲得運動である。人間運動であり人格運動である、と大杉は書いている」(同上

いまから90年以上前の日本では「人間」とか「人格」とかの幅広の一般的な概念で革命とか疎外からの解放を語り得た、と考えると面白い。これは武者小路実篤や志賀直哉など学習院出のブルジョワのお坊ちゃんの集まりだった「白樺派」文学芸術運動とも共通する概念。幅が広すぎて今日では革命思想になり難い。「非合理的であいまいな概念にもとづく実際的な方法が、労働運動を『人格運動』化し、社会経済的な方針をうちだせなかった」と批判されて当然だろう。むしろ「自由」に関する大杉の考えが今日も有効かと思う。

ここで、大杉の「日本脱出記」を見よう。
「その翌日はメエ・デエだ。今晩こそはドリイ(めのお注:パリで出会った踊り子)と思っていると、その日の午後、こんどはとんでもない警察につかまってしまった。
秩序紊乱、官吏抗拒、旅券規則違反といふやうな名をつけられて、警察に一晩とめっれて、三日目に未決監のプリゾン・ド・ラ・サンテに送られた。(中略
そして入獄二十四日目の放免の日には、警視庁の外事課で追放の手続きを待っている半日の間に、このアン・ドミ(めのお注:ドミは半分の意味なので普通750cc入りの瓶の半分、375cc入りの小瓶か?)を百人近くの刑事共の真ん中に首をさらされながら、一本きれいにあけてしまった。

そのたびになつかしからん
晩酌の
味を覚えし
パリの牢屋

僕は日本に帰ったら、毎日、晩酌にこの白葡萄酒を一ぱいづつやって見ようときめた。」(日本脱出記

  つづく

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