たった今(フランス時間21日午前10時半)、失われたかと気遣われたスーツケースが届きました。通常より2日半遅れてのデリバリーです。
時間的に前後します。パリへ帰る時のことをまず書きます。
18日、成田を発つ時、黄砂が吹き荒れて、離陸が30分ほど遅れました。
モスクワで乗り継ぎの便のチェックインにぎりぎりだったので、僕の搭乗券を見るや、案内の女性がパスポート検査の列に割り込みで入れてくれました。
出た所にいた若い女性は、パリ行きの便と見るといきなり駆け出しました。僕も後について走ります。DターミナルからEターミナルは5~600mの感じでそれほど離れていませんでしたが、途中脇道がいろいろあって、ひとりで探し歩いていたら間に合わなかったと思います。
乗客の対応を、こうして身体ごとやってくれることに感動しました。パリやロンドンの冷たい対応より遥かに心が籠っています。少し前、ソチ・オリンピックへ行った時の感想を東京オリンピックの組織委員会の会長となった森前首相が、モスクワで乗り継ぎにすごく時間が掛かり、ロシア人のサービスが悪いと皮肉った談話(例の、「あの子はこれというときに必ず転ぶんだよな」と浅田真央選手を揶揄して問題になった談話)を聴きましたが、僕は正反対に、「とてもよくやってくれた」とポジテイヴな印象を持ちました。森前首相はソ連時代の無愛想な官僚支配の悪いイメージを重ねて見たのではないでしょうか。もっとも、あのぐらいの地位の人には周りが気遣って1分1秒遅れのないようアテンドするのが日本流なのでしょうが、日本から一旦外へ出れば、遅れたりズレがあることの方がむしろ当たり前なんだけどね。こんど、空港だけですが、若いロシアの人々を見てると、オシャレだし、笑顔で、昔と比べ想像もつかないほど解放的になったと感じました。
スーツケースはあちこち引きずり回されたと見え、タグは擦り切れ、ファスナーのカバーが捲れ返ったりしてましたが、無事届けてくれたので、アエロフロートも信頼できるんだワイと安心しました。
アエロフロートに限らず、預けたスーツケースが、とんでもない街へ行ってしまうとか、誰かが間違えて持っていってしまうことはよくあるので、無くなると旅の意味が半減するような大事な資料だとか本などは機内持ち込みの小型ケースに詰め、スーツケースには洗濯もののシャツや下着やズボンのほか、味噌とかカレールウとか乾燥ワカメとか無くなっても諦めのつくものばかりを詰めてありました。
今回も本を2箱、事前に郵送したのですが、本屋を覗くとつぎつぎと欲しい本が出来てしまい、機内持ち込みのケースが本で16kgになってました。
重量オーバーなので、2個とも預からせて頂きますと言われ、50€支払わされましたが、郵送してもそれぐらい掛かるので、一緒の便で飛んでこれるならその方がいいや、と喜んで預けたところ、パリでは小型のケースだけが出て来たのでした。
バゲージクレームで書類に記入したりするうち、11時近くなってしまい、ヴァンセンヌの妹の家に着いた時は夜中の12時を回っていました。それから2時間半運転して帰るので、大丈夫か? 途中で居眠り運転にならないか? 自問してみると、意識はほぼ明瞭、やや朦朧、この分なら2~3回こっくりするだけで、ガードレールにぶつかったりすることもないだろう、と思えましたので、妹には文明堂のカステラを渡してお礼を言い、深夜のパリ外周道路から6号線を走って帰ったのでした。
予想通り77号線に入り、ウチに近くなってから3回ほど、瞬間居眠りをして、ハット目覚めると隣の車線に半分入ってたり、右の退避路線を走ってたりしましたが、僕以外だれも走っていない専用道路状態でハンドルを急に切ったりしなければ事故も起こりようがないので、休まず運転を続けました。
ただ2回ほど幻影というのか、突然道路の真ん中に葉が鬱蒼と生えた大木が倒れてるような黒い影を見た気がして急ブレーキを踏んだことが異常といえば異常でした。
写真は11日に前を通った新宿駅東口の懐かしい「大ガード」 ↑
ここで昔(50年も前のこと)、交通事故を見たんだよね。道路の真ん中に撥ねられたバイクと運転者が倒れていて警官が二人調べていました。頭が割れ脳漿が流れ出していました。人間の「死」を初めて目撃したショックは忘れられません。
つづく



