最初の日なのでMさんは地図を広げて、ルートを確認した。
「この道をまっ直ぐ行って、ここで右折やね」
Mさんは地図の上の赤く塗られた太い線を指でなぞった。最初が国道のN30を南西方向にまっすぐに14km。ブシャンという街を越えたところで右折し、県道D943を、こんどは少し北向き西方向に進む。途中やや大きなアニッシュという街を横切る。県道は20kmほど進むと、国道N45に変わる。
僕は地図を持たされ、Mさんが運転する車の助手席に座ってナビゲーターの役をすることになった。
Mさんは日本人に似合わず話し好き、というかコミュニカビリテイーに溢れた人で、だれ構わずあけっぴろげに話しかけ好感が持てた。話をするうちに、それがMさんのアメリカ滞在の経験から出てることが分かった。T自動車会社は、ジャパンバッシングの後、カリフォルニアにGMと合弁会社を作り現地生産を始めた。Mさんは、そこの工場に4年間、行ったり来たり、数か月の長期滞在を何回か繰り返した。
「フランスにも、これってほうぼうにあるね」
Mさんは、ちょうど入りかかったロータリーで減速し、左からくる車の方向を確かめてから環状交差点に進入した。
「ランナーバードって、アメリカじゃあ、そこらじゅうにあるよ」
「ランナーバードですか?」
僕は「走る鳥、Runner Bird」 と単語を浮かべた。いや、Run About かもしれないな、走行路線がはっきりしてないから。
「最近、そこらじゅうに、これ作る工事してますよね。信号機がいらないし、減速するので事故を減らせるから」
「フランスは右側優先と聞いたけど、ここだけは左優先なんやね」
「ロータリーに入ってる方が優先なんですよね。右優先だと出られなくなっちゃうので」
「普通の道じゃあ、右優先なのかい?」
「ええ。ナポレオンが決めたんです。右優先いっぽんでゆけって。10年くらい前までは、ロータリーも右優先だったんですよ。有名なパリの凱旋門があるエトワール広場。あそこ、いちど入ると出られなくなるって日本人のあいだじゃ魔のロータリーだったじゃないですか。英国から、これ、ランナーバードですか? 輸入して、フランスも田舎も含めて全国的にほとんどの交差点をこれにする改造工事はじめたんですよね。英国から輸入したから左優先じゃなくて、環状の流れに入ってる方が優先てことだと思う。でられなくなっちゃうので」
「入る前に一時停止しなきゃいけないのかい?」
「減速して左を確かめればいいんです。中の車が手前で曲がると分かったら、そのまま入っていいんですよ」
「円形の平面交差、日本じゃ環状交差点って呼ぶらしいよ。まだ試験的に2・3か所しかない。ウチの工場の近くにあるよ。愛知県だけどね」
「環状交差点、ですか。英語でどう綴るんだろ?」
「Round Aboutですよ。回るし、路線が決まってないからアバウトなんだろね」
「そうか、わかった。ラウンダーバウトですね」
まっすぐな国道N30号の左手は、地平線まで見通せるような畑で、眼路の奥に原発の冷却塔が2本立ち、白い水蒸気が上ってるのが見えた。
ブシャンの手前で右折し県道に入って少し行くと、アニッシュという街に入り、大きな工場の壁に沿って走る。何の工場だろうと門を見ると、サンゴバンと看板が出ていた。サンゴバンはフランスを代表するガラス会社。古くからある会社で、自動車会社のRより権威があるというか、威張ってるのだ。
数年前、ノルマンデイーの自動車工場で改善プロジェクトをやった時に、ロジステイックスの改善で、ライン脇の部品の置き方から改善を進めていったのだが、ウインドーのガラスの置き方が、上下逆さまで、オペレーターが一枚取るごとに逆さまにひっくり返してから、ラインに入るので、部品の納入メーカーに荷姿を変えてもらい最初から上下そのまま使えるよう要求しようと提案した。
ところが、ロジステイック改善を担当していた女性が数日経って、フランスじゃあ、サンゴバンの方が、わがR社よりも強くって、荷姿は変えられないと突っぱねられたと言うのだった。車メーカーがいう事はなんでも聞き入れなければやっていけない日本の部品メーカーが置かれた状況とえらい違いだなと思ったのだった。
県道が国道に変わるあたりから、左右に黒い三角形のボタ山が見えてくる。この辺はかつてはフランス有数の工業地帯で、石炭の産地だった。炭鉱が方々にあった。今は廃坑になり、一部はミュージアムとして保存されている。石油が石炭にとって替わり、製鉄など重工業も、インド、ブラジル、中国など発展途上国に移転し、かつての重工業地帯だったこのあたりは、空洞化の典型となった。失業率20%以上。工場に採用された若い人たちは、親たちが働いてる姿を見たことがない、という家庭さえざらにある。
Mさんと後部シートのふたりのトレーナーさんのように、日本の普通の人たちが外国へ出て外国の働く人たちと日常的に接し交流を深めるのはいいことだと思う。古くは労働者という概念で括られ、「万国の労働者、団結せよ!」と叫ばれていた。理想は現実に裏切られて、ナショナリズムの高まりは、国際的な連帯を破壊する方へ進み、ヨーロッパでもアジアでも、各国の労働者が銃を取って殺し合う戦争という悲劇に終わった。
企業が国境を越えて、工場を外国に造りはじめた現在、こういった形で、言葉も生活習慣も違う国の人々が、触れ合い意見を交わすのは良いことだ。僕は言葉のレベルで仲介ができるのが嬉しく、遣り甲斐を感じ、誇りに思うのだ。
(つづく)
