夜の沈黙、ここ数日なかった静けさだ。しかし、朝の目覚めは活力を見出す代わりに搔き乱されている。昨日の錯覚による感情は消え、息苦しさだけが残っている。電気も、ラジオもなく、外界との連絡はまったく途絶えてしまった。ネズミ獲り器の中に閉じ込められているのだ。―― 沈黙。動物たちの無頓着。ウチの犬のアリはたぶん不安から、悲しげな呻き声をあげている。
ヴェズレイの丘の登り道↑ 聖堂へはこの道を登ってゆく。ロマン・ロランの家はこの近く。
夜、放棄されたままの家のドアは打ち破られ、主人の居なくなった店が略奪された。ドイツ兵は人心を確保するため、やたらと安心して良いと触れ回っている。するとたちまち、数人の娘と女たちが笑って媚態を示し、ドイツ兵と一緒に飲み始めた。噂では、夜、2件か3件の強姦があったという。娘たちは、強姦を防ぐ対策を何もしていなかったのだ。――隣の家の文房具屋は、恐怖で病気になり店仕舞いして閉じ籠っている。
午後、ドイツ軍の流れが反対方向へ変わった。クラムシー方向へ動き始めた。突然、流れに隙が出来、サン・ペールからフランス人捕虜の隊列が坂道を登って来た。ほとんど一部隊全体と思われるほど、続々と絶え間なく捕虜の列は続いた。それは胸を締め付ける光景だった。彼らはヴェズレイに入り、目抜き通りを登ってゆく。ウチの窓の下を、日焼けし、肌を焼かれ、疲れた様子の若い男たちが、なお虚勢を張ろうと努めながら登って行った。黒人と白人が混じり、ヘルメットを被らず、たいていは縁なし帽を被り、中にはなにも被らぬ者もいる。捕虜たちが、ドイツ軍に占領された憲兵隊の前を通った時、ドイツ兵はフランス人捕虜の一行を、一言も発せず黙って尊大な態度で見やった。彼等の一人が窓から、粥の入った椀を通過するフランス人捕虜に差し出したが、フランス兵は意味が分からず拒んだ。敵意ある言葉も、叫び声ひとつも発せられなかった。
左の平らな緑の屋根の一角がロマン・ロランの家の入口↑ 今はミューゼアムになっている。サロン、食堂、書斎、寝室などはそのまま保存されロランが住んでいた時代を偲ぶことができる。サロンや食堂は広く、屋根裏と地下もあり、避難してきた人々を受け入れる余地があったことが分かる。
これらの2~3千人はいるだろう兵士をどこへ泊まらせるのだろう? 聖堂の中にか? それに、どうやって食料を与えるのだろう?最後の最後になって市役所はドイツ軍司令部から、宿泊と食事にドイツ側は係わらないから、フランス人に食事をやるのはフランス側でやれと通告を受けた。大急ぎで、野にいる家畜を徴用したが、これだけ大勢の口を糊するのに、それは一滴の水、一滴の血に過ぎない。明日はどうするんだろうか? 空は雲で覆われ、雨が降っている。
―― 聞くところによると、この部隊は、ソーリューで包囲され、そこから連れてこられたのだという。部隊の大部分が通過した後、遅れてフランス人の一隊が到着した。彼等にはドイツ兵の監視がついていなかった。ドイツの最初の占領部隊は数が十分ではなかった。占領当初、こっそりとだが、孤立し、行き先を見失ったフランス兵を、私服を着せ、目立たぬように自宅に返したということだ。捕虜収容キャンプに囲い込み、市民が保護を与えるのを禁止したのは、数日経ってからのことだった。
ヴェズレイのドイツ兵は、今朝こんなことを言った。「三日後には和平だ。それとも、われわれはボルドーへ行き、イギリスを滅ぼすのだ」
どこかの道を彷徨っているに違いない、妹のことを考えると短刀で突き刺される思いだ。――マーシャは別のことで心が乱されている。彼女の顔がやつれてしまっている。―― アルコスは死ぬほど怖がってるくせに、せせら笑うように耐え難いお喋りを続ける。(訳注:アルコスArcos はロラン家に泊めて貰っていたが前日の朝、車に所帯道具を積んで逃げ出した。が、すぐに追い返され戻って来た)
夕方、家の前の憲兵隊では、一人のドイツ兵がバイオリンを弾き、もう一人がアコーデオンを鳴らした。
ここ数日間の信じられない光景。―― 地平線まで広がりを照らすサーチライト―― あらゆる方向へ曲がりくねって延びる路―― その路の上を遁走する人々―― 彼等を追いかける戦車―― そして、この丘に登って来る途切れない捕虜の行列…… 古代の戦場の場面が眼に浮かぶ…… いままで眼にしたこともないスペクタクル。精神(L'esprit)はそれが現実だということを認めようとしない。夢を見ているか、映画を観ているようだ…… 自身の肉体がこの光景の一部をなしており、この暴力と慢心と侮辱と苦悩が入り混じった一連の出来事を認めるには、心臓を突然止め、過去に回帰しなければならない。
(つづく)

