1940年前後のフランス史 その⑰ | 雷神トールのブログ

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フランスの田舎暮らし-カジノ

                    国会議事堂に使われたヴィシーのカジノ↑


ド・ゴールがBBCを通じて戦争の継続を呼びかけたと、同じ6月18日に、チャーチル首相もラジオで国民に呼びかけています。

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「キリスト教文明の存続がこの戦闘如何にかかっています。われわれの英国自身の存続と、われわれの帝国が長年継続してきた制度がこの戦いにかかっています。

ヒトラーは、われわれをブリテン島で粉砕するか、戦争に負けるか、どちらかしかないと知っています。われわれが、彼への反抗に成功すれば、ヨーロッパ全体が自由となり、世界の人々の暮らしは、広く、太陽に溢れる、高い地へ向かって進むことができるでしょう。

しかし、もしわれわれが敗北すれば、世界中が、アメリカ合衆国も含め、われわれが知り愛したすべてのものを含め、堕落(退廃)した科学の光によってより暗く、たぶんより長く続く、新たな中世の深淵に落ち込んでしまうでしょう。

われわれの義務を尽くす準備をしましょう。われわれの帝国と英連邦が千年続いた後、「あれは、いちばん良い時代だった」と人々が言うように、行動の準備をしようではありませんか。

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ドイツもキリスト教文明圏であり、キリスト教が多いのにチャーチルはヒトラー・ドイツを同じキリスト教文明国と見做していないことが良く表れた演説なので、時間的には少し前後しますが引用しました。

ドイツはマルチン・ルッターのプロテスタントが多いですよね。ルッターの暗い情熱、破壊的な言動とナチスを支持したドイツ国民の心情との類似性を、戦後、ドイツのリューベックに生まれてアメリカに亡命していた作家トーマス・マンが講演で指摘していますね。

「堕落・退廃した科学の光」とヒトラーの政治制度、軍団のことを形容してるところが興味深いと思います。

さて、フランスです。

ボルドーはドイツ空軍の爆撃を受け、被占領地区へ入れられてしまいます。
ペタン政府は新たな場所へ移らねばなりません。

候補地としてマルセイユ、リヨン、トウルーズ、クレルモン・フェラン、ヴィシーが挙げられました。


しかし、マルセイユ、トウルーズはあまりにエキセントリック。クレルモンはラヴァルの本拠地でもあり、山の中で不便。リヨンは人々も勤勉で豊かな都会ですが、市長も有力者の下院議員もペタン新政府に反対で非協力的なので避けられました。

6月29日、ペタン新政府はボルドーを捨て、一旦はクレルモン・フェランへ移動しますが、宿も食事も設備が足らず不適とわかります。

それに比べ、ヴィシーは、冬の人口は2万5千人ですが、夏場には避暑客で10万人にもなる保養地。結局、農民出身のペタン元帥の好みもあり、こじんまりと落ち着いた保養地のヴィシーが選ばれました。

ヴィシーは炭酸ガス入りミネラル・ウオーターで有名なように温泉が出る土地で、なにより宿泊施設とレストランに事欠きません。

700人に近い国会議員を収容する宿泊施設が整い、国会議事堂に使える建物もあります。それは、「カジノ」!!

ルブラン大統領がいみじくも言ったといいます。
「もしわれわれがヴィシーへ行けば、フランスの内からも、外国からも、カジノ政府と呼ばれるだろう」

結局、利便性が良いことで、7月1日に政府はヴィシーへ落ち着くことを決めます。

7月3日には英国によるフランス地中海艦隊の爆撃、メール・エル・ケビルの悲劇があり、ヴィシー政府は英国との外交関係を断絶します。

7月5日に、ヴィシーにおいて初の国会が上下両院議員を招集して開催されます。場所はもちろんカジノでした。

  (つづく)

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