それは、「散文芸術の位置」というタイトルで、大正13年に廣津和郎が書いた評論です。
芸術という言葉で括れる分野には、音楽、美術、詩、それに小説、エッセーなどの散文も入るとして、様々なジャンルがありますね。このうち、音楽、美術、詩といった分野は「純粋」という言葉がふさわしい作品が多々あるように思います。
めのおが長年気にかかっていた点は小説に関してで、「純粋小説」という言葉を聞くと、まず、梶井基次郎の「檸檬」のような純度の高い短編を想像してしまうので、横光が「大衆文学と純文学の両方を兼ね備えたような本格小説」のことを「純粋小説」と呼んだことに意外な感じを受けたのでした。
それに、めのおが若い頃に読んだヴァレリーも、芸術として一番純粋なのは「音楽」であるとどこかで書いていたので、そうだろうな散文的な発想しかできない俺には、音楽も詩も手の届かない高みにあるよな、と思い、とりわけ音楽にはいささか劣等感を感じていたのでした。
しかし、廣津は、それは芸術にはいろいろの種類があり、その種類にそれぞれの性質があるという事を考えたことのない、認識不足の美学者の囈語(たわごと)である、と一蹴しています。
廣津のこの一文は、有島武郎が、かつて廣津と論争した時に、芸術家を三段の種類に分け論じたことから説き起こしています。有島は、まず第一段の芸術家は、自己の芸術というものに没頭し切ってゐて、余念のない人。これは有島によれば、もっとも尊敬すべき芸術家、つまり純粋な芸術家なのです。その例として有島は泉鏡花を挙げます。
第二段の芸術家は、自己の生活とその周囲とに常に関心なくしては生きられない人。
三段目の芸術家は折衷的なご都合主義的な、どっちつかずの人で、芸術家とは言えないのだから取り上げる対象にならないと廣津は切り捨てています。
有島武郎の芸術家の分け方自体に広津は異論はない。有島と廣津の意見が北と南ほどの相違を来すのは、芸術家の「価値」を説こうとする時だ、と廣津は書きます。
有島は自身を評して「残念ながら自分は第二段の芸術家だ。修行すれば第一段になれるかもしれないが、いまのところは第二段に留まっている」という意味のことを言いました。
これに対して廣津は、有島が、第一段の芸術家が一番純粋で尊敬すべきで、第二段の芸術家が、それよりも低いものであると解釈し、自分は第二段の芸術家でしかないと自らを卑下していることに賛成できないと書く。
廣津は、芸術という言葉で、音楽も美術も詩も散文も、ぜんぶいっしょくたにして考えるのが悪いので、それぞれのジャンルは一つ一つが各々の特色を持ってゐて、その間に価値の高低があると考えるのは妄念であり捨てなければならないと書く。
ここからが、この小論の白眉であり、めのおが感動したところなんです。
音楽、美術、詩の世界では、有島の言う第一段の芸術家――自己の芸術に没頭し切って、他に余念のない芸術家、はあり得る。
しかし、散文芸術の世界では、それはあり得ないことなのだ、と廣津は説きます。
近代の散文芸術というものは、自己の生活とその周囲とに関心を持たずに生きられないところから生まれたものであり、だからこそ我々に呼びかけるところの価値を持っているのだ、と説くのです。これは、小説の歴史をみても明らかですね。
武郎氏の謂う第二の芸術家の手によって、初めて近代の散文芸術が生まれて来た。散文芸術というものは、そういう種類のものであり、そのことを恥も卑下する必要は少しもない。そういう種類のものであることをむしろ誇っていい、と説いています。
この短文の締めくくりとして廣津は、散文芸術は一口に言えば「人生のすぐ隣にゐるものだ」。右隣には、詩、美術、音楽、というように色々な芸術が並んでいるが、左隣はすぐ人生である。
人生とすぐ隣り合わせだというところに、散文芸術のいちばん純粋な特色があるのであって、それは不純でもなんでもない。そういう種類のものであり、それ以外のものではないという「純粋さ」を持っているものなのだ。
この一文によって、めのおは力づけられました。
若い頃、絵描きになりたいと思った。絵を描いている時がいちばん幸せでした。しかし、ビキニの水爆実験、キューバ危機、ベトナム戦争など東西二極体制の緊張の連続の時代でしたから、核戦争の危機を身近に感じた。絵に没頭できれば幸せだ。でも核戦争に日本が巻き込まれれば、どんな傑作を描いたところで一瞬のうちに蒸発してしまう。だから絵だけを描いて幸せではいられず、安保条約改定反対のデモに加わったのでした。
思春期に、自己の生活とその周囲とに常に関心を持たずにいられない自分を発見し、それを書くことを使命にしようと思いました。言葉はめのおのもっとも不得手とするところですが敢てそれを選びました。なんとなれば、言葉は社会とそこでの行動に結び付くからです。
(つづく)