日本的生産方式、改善について その⑫ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

オペレーターが作業してる間は、通訳としての仕事はないので、ただ見ているか、遊んでいてもいいのですが、めのおは歳も食ってるし、遊ぶよりオペレターの若者に混じって作業に参加した方が楽しい。

それに見てると、長いパイプを一方の手で支え、もう一方の手で小さなカッターを回して切る作業は、カンタンではないことが分かった。パイプは固い合成樹脂製で表面がつやつやで手でしっかり握っていないと滑ってカッターを回す方向につられて回ってしまうから。誰かが助手として少し離れた位置でパイプを両手で握ってやると作業がしやすいことがすぐにわかりました。

作業する場所は赤白の縞模様のテープで囲われ、建機などが近寄らないよう安全対策がしてあります。外部の研修施設での2か月間の学校中にすっかり親しくなっていたので、オペレーターが苦労してるのを見ると自然、身体の空いてる僕が手助けをしてやって当然と感じました。

だから、僕も作業現場に入ってパイプを支える手伝いをしていました。すると脇を通りかかった通訳グループ長でフランス女性のP女史が、忍び寄って来て、「めのおさん、通訳は作業しちゃダメよ」と言うではありませんか。

一回目は無視しました。だって彼女は組立のオペレーターの現場通訳なんかやったことはないし、もっと上部の会議の通訳を主にやってるんだし、現場作業者の苦労を共にするなんて気持ちはこれっぽちもない。職掌上、通訳は通訳だけしてればいいって通俗的な分業思想、お役人的発想で配下のめのおに注意してるだけだろ。

この時期、通訳は工場全体で30人近く居ました。大きく3つのグループに別れ、フランス人の彼女Pと、フランス人の青年Nと日本女性のKさんと3人がグループ長で、それぞれ10人くらいずつの男女通訳の管理をしていました。めのおは通訳仲間では最年長。みんなのお父さんのさらに一世代上ぐらいの年齢です。

グループ長たちは、工場の立ち上げ前から第一期募集の時に応募して採用されていました。めのおはその2年ほど後に通訳不足が認知され第2次募集をした折に応募して、1年の期限付きのCDD契約で採用されたのでした。

通訳としての仕事は10年以上やってなかったので、採用試験の点数も悪かったと思います。後で判ったことはP女史は僕の採用に反対し、面接に当たったフランス青年のNが僕とのフランス語での会話から、僕が単語のいくつかは忘れてるが工場の現場経験もあり技術通訳の経験も積んでいる。なによりルノーの工場などで「カイゼン」指導の経験があり、これからの工場づくりの基本的考えを理解してると認めて採用を推薦してくれたのでした。

P女史は一度の注意で僕が聞かないことを知ると、もう一度忠告に来ました。そのとき僕は思ったのです。彼女はフランスの流儀を通そうとしている。分業制は壊すべきじゃない。通訳は通訳の仕事さえしてればいい。作業など手伝って怪我でもしたら事務員の身分のめのおがなぜ現場作業に加わっていたのか? 労災保険だって利かないだろう。その時、グループ長としてのあたしの責任が追及される。そう考えて、僕に作業を止めさせようとしてるんだな。

僕は彼女の忠告を聞くわけにはいかない。現場通訳の仕事は僕には易しい。サラリーも安い。毎週パリから通って現地のステユデイオを自前で借り、正直足が出る。それでもやろうと決めたのは、フランス人に日本的生産方式を少しでも理解してもらい、これまでの硬直した分業制、官僚的考えを打ち破り、ヒエラルキーでは一番下のオペレーターたちも生産に参加する生甲斐を味わって欲しい。一部エリートが支配し、すべてを決め、オペレーターは言われたことだけをやってればいい、そういった従来のフランス的経営を変えて欲しいからだ。

フランス式経営が事実上行き詰まって、政治的に日本車の輸入制限をし、その保護政策によってかろうじて生き延びてきたフランスの自動車産業も、EU実現による自由化により、国際競争に勝って生き残る態勢を身に付けねばならないだろう。僕はフランスが好きだし、フランス人のために現行の規則や習慣に反するかも知れないけれど、敢てやるつもりだ。ブレークスルー、分業の壁は打ち破らねばならない。と、まあ、大袈裟になるけど、そんな思いがあったのでパイプをオペレーターの横で支える作業を止めませんでした。

危険か危険でないかくらいの判断は、この程度ならまったく問題なしに自分で出来る。こんなに見通しが利き、建機なんかが傍へやってくれば余裕をもって身をかわすことが出来る。そんな場所で、掌に入るくらいのパイプカッターひとつ使って切る作業の脇にいるだけ、どこに危険がある?

P女史は僕が言うことを聞かなかったのが許せないらしく、その日の午後、
通訳全員を集めてのミーテイングでみんなの前で「めのおさんは、現場で作業をしていた。通訳は、作業をしてはいけません」と繰り返した。僕は、ここは譲ってはならないと、フランス人に学んだ執拗さで反論した。

  (つづく)

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