「いいじゃね。弾いてくれよ」
「ボクが好きなのは、この曲」
渉は、鼻歌を交えながら「黒いオルフェ」の旋律を高音で弾いた。
「クラシックっていうよりボサノバだろ、それ。リリカルでいいよな。マルセル・カミユ。同じオルフェならクラシックのこれどうだ。ちょいと聴くか?」
そういうと畑はレコードを取り出しプレーヤーに掛けた。フルートの澄んだ音が静かに鳴り始めた。
「グリュックのオルフェさ。傷ついた妖精の踊り。フルート吹くやつはだれでも一度は吹くべき名作だ」
「ボクは楽器やるならフルートやりたい」
「そうだろ。顔に書いてある」
「顔つきでわかるのか?」
「ショーペンハウエルは一生フルートを吹いた。キミの顔どことなく似てるからな」
「そうかよ。デカンショって昔の学生は読んだらしいけど、いまははやらないな」
部屋の隅の小さな本棚に紺色の背表紙の厚い本が立ててあるのが目に留まった。スエーデンボルグと書いてあった。
「キミはこんな本も読むのか?」
「オヤジの本棚から借りてきただけ。持ってっていいよ。北欧の哲学がわかる。ショーペンハウエルも含めて。それより、フルートはじめろよ。ギターと合奏できるだろ」
「そうだな。楽器屋のウインドウに飾ってあるフルートに子供のころから魅惑されてたよ。小さくて輝いてるからな」
「それと、こんどベトナム反戦の集会がある。いっしょに行かないか。見て見ないふりはできないだろ」
「いいよ。連れてってくれ。ケネデイーが殺されて、ジョンソンになってから北爆がひどくなった。ケネデイーが言った通り、ベトナムの人民に社会主義か自由主義か好きな方を選ばせるべきなんだ。ソ連がベトコンを支援してるらしいけど、アメリカは軍事介入を止めるべきだ。日本の基地が米軍に使われてるからな。集会ぐらいには参加しないと」
畑は頷きながらまたギターを抱え二曲目を歌い始めた。
「ニューオルリンズ」という地名と「ライジングサン」という言葉を渉の耳が捉えた。最初から低い低音の同じリズムでコードが変化してゆく。途中から畑は唸るような歌い方になった。唸り方が前の曲よりもっと激しくなった。クラシックと映画音楽しか聴かない渉は、こういうのも音楽なのかと奇妙な感じがした。
(つづく)

