生命がなにか神秘的な魂の活動であるとすると金魚が眠っている間、魂はどこへ行っていたのか? 温めてやるだけで魂が戻ってくるのか? 先生は生命は「高たんぱく質の活動だ」と言われた。
春田先生の授業は生物学の最先端が生命の解明を進めている様子を伝えてくれた。ソ連の生物学者オパーリンは「生命とはなにか?」という本の中で、高たんぱく質からなる「コアセルベート」が生命の原型だといい、生命とはたとえて言えば「マッチが燃えるようなもの」と書いていた。燃焼とおなじような物質の化学反応だというのだ。
渉が小学2年の時に父方の祖母が脳溢血で倒れ、以来寝たきりの祖母を看病しながら4人の子供を育てねばならなかった母親は辛い日々を送り、近所の創価学会員に折伏されて入信した。渉も兄妹と一緒に母親に連れられて池袋の日蓮正宗の寺へ行き御受戒を受けたのだった。
高校へ入った最初の年だけ、渉は学会の青年部の集会に顔を出したが、そのうち宗教というものに疑問を持ち始め、「永遠の生命」とか「勤行をすれば願い事が叶う」といった信仰を疑うようになった。
高校の生徒会は共産党の青年組織、民主青年同盟、全学連では所謂「反主流派」が牛耳っていた。そして渉が2年になると同じクラスの丹羽が生徒会執行委員長に選ばれ、渉にも声を掛けてきたのだった。
高校に入ってから渉はそれまで読んだことがなかった小説とか文芸書を発見し乱読し始めた。通学路の途中に古本屋があって、そこを良く覗いた。
文芸書では梶井基次郎の「檸檬」とか中島敦の「悟浄出世」とか自意識を主題とした小説に魅力を感じた。「自我=私」とはなんだろうという自意識を追求した昭和初期の一連の作品が心をとらえた。
渉の小遣いで買える新書版の中に、ソ連アカデミーが出した「弁証法的唯物論」という題の教科書めいた本がありマルクス、エンゲレスの肖像と並んでレーニンの肖像が表紙に載っていた。渉はそれを買って「唯物論」とはどんなものかを勉強し始めた。
「宗教とは阿片である」とそこにはマルクスの有名な言葉が書かれていた。
また別の「創価学会と共産党」を比較した本には、「南無妙法蓮華経とお題目を繰り返し唱えることは呼吸と関連し、肉体に良い作用を与えるので、病気が治ったりすることがある」などと書かれていた。
哲学の歴史でいえばギリシャのデモクリトスに始まる「唯物論」は、虐げられた下層階級のもので「プラトン」を代表とする「唯心論」は常に貴族や支配階級のものだったと書かれている。
渉は高校2年から3年の受験前まで「宗教と唯物論」の間で悩み、自我の危機的状況を身をもって体験したのだった。そこには異性への「愛」、アガペーとエロスの関係も含まれていた。
(つづく)