彼岸から見る目 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

大学へは、世田谷の家から電車で通った。電車の走行につれが回転する様子を毎日眺めながら少年時代の自然観察の喜びを蘇らせた。

やっと入った大学は、入学した年の冬に学部の入口がバリケードで塞がれ授業がなくなった。授業料値上げ反対、学生会館の自主管理獲得のスローガンを掲げた学生自治会がスト決議をしたためだ。

このストはめのおのその後の人生に大きく影響しているので、いつか書いておかなければと思いつつ、書けないままに40年が過ぎた。昨日、雪が降り始めた頃、屋根裏に上がって、ダンボール箱に入れしまってあった筈の昔の原稿を見つけ出した。埃を被り、原稿用紙は黄色く変色しているが、昔万年筆で書いたり修正したり、丁寧な筆跡のところもあれば、のたくった字で書いた部分もある原稿が無事に出てきた。

今年は、これを書きなおして、一遍の長編を仕上げよう。仕上がりの段階ではないだろうが、断片的にでも、このブログに投稿する予定なのでお楽しみに……。

ストは学部によって早く解除したところもあれば、渉のいた文学部のように6か月も続けたところもあった。

初めは傍観者でしかなかった渉はクラス委員のFの誘いに応じ、高校時代のアンポ反対デモや原水禁の署名集めなどに参加した時の潔い自立感を思い出し、スキーやフォークソングにうつつをぬかすだけの個人的行為から、社会的行動に参加するという倫理的高揚感に促され集会に参加するようになった。

文学部の自治会は○(革マル)が牛耳っていたが、社研部室には新左翼三派と呼ばれるブント、社青同と中核、それに少数派だったが共産党を抜け出た構造改革派がいた。クラス委員のFは構造改革派のシンパだった。

革マルの自治会執行委員長や書記長は、もう在学7年とかの古兵で、連日の徹夜で顔色も悪く、長髪に皮ジャンを着てカッコ良かったが、彼らの演説には、やたらと切り開くだの乗り越えるだの、ニーチェ的な権力への意志、つまり全体主義的な、ナチスとも共通する暴力志向が垣間見えて渉は好きになれなかった。

それに対して社青同や中核の青年には、ユーモアというか、
と比べれば少し間の抜けたというか、良く言えば人間的な温かが感じられて親しみが持てた。

政治経済学部が全学の共闘組織の中心で、全学生を集め総長と大衆団交を実現させ全共闘委員長が舞台に立って演説をした。演説の中には「産学協同路線反対」とか「大学は産業界の要請する企業が使いやすく従順なサラリーマンの養成工場になり果てている」とか「僕たちは、大教室でマイクを通じて講義をするだけのマスプロ化した大学を否定し、創造的な活動のために学館の自治を要求する」などといった批判と要求、「期待される人間像」など当時文部省が作った日本の将来を担うべき若者の教育指針に対する反対意見を滔々と述べたてた。

戦後の飢えで死ぬか生きるかの闇市時代ならいざ知らず、高度経済成長の途上にあって豊かになった日本の社会で「革命」など起こりようもないことは、これらの「革命」と名がつく組織のメンバーたちがいちばん良く知っていることだった。ただ、批判の対象である資本主義社会の中で生きて仕事をしてゆかなければならないのだが、その資本主義社会がどんな仕組みで出来ているのかを理解したいと渉は思った

マルクスが書いたものは、今ある現状社会を支配している資本主義の仕組みを
分かりやすく分析していて、渉が暮らしている日本の社会を理解するうえでも非常に役に立った。ただ、そこには、今ある社会を、どこか外部の高いところ、あたかも彼岸から照らし出しているような視線が感じられた。

 (つづく)

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