こんな、青空を見るのは何日振りだろう。
昨年から遅れに遅れた書き直し原稿の修正!!を昨日やっと終えた。
新車のハイブリッド・カーは運転に慣れてない。
ガソリン・エンジンと電動モーターとバッテリーを積んでるので小型車なのに2トン近くもあり重い。坂道になるととたんにカタツムリ走行になってしまう。
ところが、エコ走行とパワー・モードの切り替えが出来ると知った。
下り坂はエンジンブレーキが掛けられる。すべてボタンひとつ。
指一本で運転できるハイテク・カーだ。
久しぶりにサンセールの丘に登ろうか。登坂と下りのトライのために。
年末の昨日、午後3時過ぎに出掛けた。日がすでに傾いている。
この坂を下ったところにロワール河が流れている↓
連日の雨で、あと2mも水位が上昇すれば洪水になってしまう。
左上の低い丘の上に建造物が見えるのがサンセール。
サンセールの丘は標高310m。
ロワール・ワインの最上流の産地。白が有名だけど赤もロゼもある。
橋を渡って河岸から2kmのところに丘がある。
増水し溢れそうなロワール河の光景は撮りたいところだが、
寒いのと橋の上では停まれないので写真は諦めた。
丘への長い上り坂をパワー・モードに切り替え力強く登る。
頂上近くから周囲のワイン畑が見張らせる↓
冬はちょっと寂しい光景だ。
増水したロワールが蛇行し光って見える↓
丘の上に小さな町がある。
1226年にルイ9世がシャンパーニュのチボー家から、購入したのがサンセールの町の起源という。シャンパーニュのチボー家は、英仏両国を統治し英仏戦争の原因になり、文学上では宮廷風恋愛やアーサー王伝説など韻文で物語を書いた吟遊詩人たちのメセナとなったアキテーヌ地方の王妃アリエノールとその娘マリーの家系だ。
百年戦争の間、この丘は要塞として重要な役割を果たした。
頂上には城があったが破壊され、今は1380年建造のドンジョン(主塔)が残っているだけ。塔の頂上へは階段を歩いて登れる。見晴らしはすばらしい。
宗教戦争の間、サンセールはプロテスタント側に立ち、
国王軍に反抗し、聖バルテレミーの虐殺の後1年間抵抗を続けた。
プロテスタントはフランスでは「ユグノー」と呼ばれる。
1573年3月から8ヶ月間、丘はカトリック側の国王軍7000人に包囲され
丘の上の町は5915発の大砲の砲撃を受けた。
サンセールの町にもカトリック信徒が居たが、逃げずにプロテスタントと連帯して
国王軍と戦った。城攻めは220日続き、餓死者は500人に上った。
人々は飢えをしのぐ為、革靴の皮を食べ、パンの代わりに藁を食べた。
降伏後、国王軍の報復は厳しく、城壁は破壊され、町の門は焼かれ、
鐘楼の鐘は没収された上、4万ルーブルの賠償金が課された。
1621年、城が最終的に解体された。
フランス大革命に際し、ヴァンデ地方と同じように、サンセールは王党派として革命政府に反抗し「小ヴァンデ・サンセール」と呼ばれた。
訪れるたびに必ず寄るワインの老舗↓
2年前はお婆さんが独りで店番をしていたが、新装成ってからは若い女性が販売担当。訊いてみると、やはりお婆さんは、ワインヤードのオウナーだった。
歳をとり過ぎて引退したが、家では元気にされてるとのこと。
サンセールの白。「火打石(シレックス)」の多い畑から採れた白ブドウのワインと、ロワールのずっと下流のシノンにもワイン畑を持ってるので、赤も一本買った。ついでにソムリエ・栓抜きを2個。
隣の入口のドアの上に葡萄のレリーフがあったので一枚↓
カミサンがお菓子を買う間、周囲の写真を撮る。
はやくも夕暮れが降りはじめた。
2012年も終わり。
ご訪問いただき、コメントやメッセージをくださった
たくさんの読者の皆さま、今年一年、本当にありがとうございました。
良い大晦日と新年をお迎えくださいますよう。
2013年が皆様にとりまして充実した良い年でありますよう。
本年も宜しくお願い申し上げます。

