学問のすすめ 初篇 その③ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

この項では、福翁は「個人の自由と分限」「国の自由独立と国際間の交わり」について「我儘=自由放蕩と分限=法律」さらに、日本の開国と中国(支那)の攘夷とを比べて中国が自国だけが国のように考え外国を蔑視するのは、国の分限というものを知らない自由放蕩と同じで却ってそのために外国に痛めつけられている。大事なのは一国の本当の自由と独立なのだ、と説きます。

第一段では「学問をするにも分限を知らねばならない。男も女も人間は本来自由に違いないけれども自由自在ばかりを唱えて分限(自制)を知らなければ、我儘放蕩と同じだ。分限とは「他人の妨げを為さず、己が一身の自由を達成することだ」と定義しています。↓

フランスの田舎暮らし-すすめ1

解り易く喩えを引いて「自分の金を使い、飲んだくれて女色に耽り、放蕩を尽くす男が、自分の金で遊ぶんだからなにが悪い、おれの自由だと言うかもしれないが、それは間違いだ。一人の放蕩は多くの人の手本となり世間の風俗を乱し、教育の妨げになるから良くないのだ。費やした金はその人のものだけども、その罪は許されない」と福翁は自身の倫理観を示します。

福翁は次に「自由独立は一個人だけにあるものではなく、一国の上にもあるものなのだ」と言ってから日本の開国に触れ、さらに中国(支那)と比較をして国際間の貿易と交際が大事なことを唱え、分限を弁えながら、つまり端的にいえば国際法を尊重しながら理のある場合はアフリカの黒人奴隷にも頭を下げ、欧米が先進国だからと言って理不尽な仕打ちを仕掛けてくるならば、軍艦も恐れず、国の恥辱となる場合は、「日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落とさぬ覚悟こそが、一国の自由独立を保障するのだ」と激しくも厳しい意見を唱えます。↓


フランスの田舎暮らし-すすめ2


上で美しい表現だな~と思うのは福沢の普遍=ユニヴァーサルを目指す精神が吐露される部分です。「日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海を共にし、空気を共にし、情合相同じき人民なれば、云々」というくだりですね。

そして貿易の必要性を易しい言葉で「ここに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互いに相教へ互いに相学び、恥じることもなく誇ることもなく、互いに便利を達し互いに幸を祈り、」と互恵の国際関係を謳い、さらに「天理人道に従て互の交を結び……」と天の法則と人道に従いと、まあ具体的には国際法に則りということでしょうね。

原文がレイアウトとスキャナーの関係で3つに分かれてしまいました。へたな現代語訳をしなくても、原文のままでも解り易い表現なので、最後の段に移ります。


フランスの田舎暮らし-がくもん3

中国人のように、自分の国以外に国は無いとでもいうように、外国人を見れば夷狄夷狄(いてき)と、四足の動物みたいに蔑視して嫌い、自国の実力を知らないまま、妄(みだり)に外国人を追い払おうとして、却ってその夷狄に苦しめられているなどの有様を見ると、まったく、国の分限を知らずに、一人の人間に例えるならば、天然の自由を達せず我儘放蕩に陥ってるといわねばならない。

王政一度新なりしより(王政復古、明治維新)以来、わが日本の政治のやり方は大いに改まり、外は万国公法(国際法)を以て外国と交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、(中略)今後は日本中の人民は、生まれながらにその身についた位などというものはまず(原則として)無く、ただその人の才能と仁徳と、その居処(地位=役職)によって位があるのみだ。

政府の官吏を敬うのも、その身が尊いからではなく、その人が担当している役目と職務、国民のために貴い国法を取り扱っているから貴ぶのであって、人が貴いのではなく国法が貴いからだ(とまあこれを敷衍すれば福翁の考えは天皇機関説にも通じるといえる様に思います)。

 
  (つづく)

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