「きけわだつみの声」 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

日本戦没学生の手記と副題がほどこされた本は、先の大戦中、学徒動員に駆り出され特攻隊に編入され、二十歳を過ぎたばかりで国のために死んでいった若者たちの手記を集めたものだ。読みすすむうち、抗いようもない悲しみで胸が塞がる。明日は特攻隊として出撃という前夜に書かれた手記は、事実のみがもつ迫力で読者の胸を打つ。

「さて、俺はニッコリ笑って出撃する。今夜は満月だ。沖縄本島の沖合いで月見しながら敵を物色し、徐ろに突っ込む。勇敢に、しかも慎重に死んで見せる」
(大塚晟夫。一九二二年生まれ。一九四五年四月二十八日、沖縄嘉手納沖にて特別攻撃隊員として戦死。)

 同じ人が数行前にこうも書いている。
「はっきり言うが、俺は好きで死ぬんじゃない。何の心に残る所なく死ぬんじゃない。国の前途が心配でならない。いや、それよりも父上、母上、そして君たちの前途が心配だ。心配で、心配でたまらない。皆が俺の死を知って心定まらず、悲しんで、お互いくだらない道を踏んで行ったならば、俺は一体どうなるんだろう」

死にたくもなくて国のために死ななければならなかった若者たちは、自分が死んだ後に残って生き続ける者、つまりめのおを含め、いま生きている日本のすべてのひとびとや、自分の家族や国の前途を心配しながら死んでいったのだ。

いつかは全部の手記を読もうとページをめくりながら最後の手記をみた。
それは、戦争も終わった一九四六年にシンガポールのチャンギー刑務所で、上官に口止めされたために事実を証言できず、そのため死刑に処せられた木村久夫上等兵が死刑の数日前に書き残した手記で、そこには、上官の罪を被り無実で処刑される無念さを乗り越える木村上等兵の心が、その後の日本を生きる僕たちへの思いとともに、直接伝わってくる。

「しかしこの日本降伏が全日本国民のために必須なる以上、私一個の犠牲のごときは忍ばねばならない。苦情をいうなら、敗戦と判っていながらこの戦を起こした軍部に持って行くより仕方がない。しかしまた、更に考えを致せば、満洲事変以来の軍部の行動を許して来た全日本国民にその遠い責任があることを知らねばならない。
我が国民は今や大きな反省をなしつつあるだろうと思う。その反省が、今の逆境が、将来の明るい日本のために大きな役割を果たすであろう。それを見得ずして死ぬのは残念であるが、致し方がない。日本はあらゆる面において、社会的、歴史的、政治的、思想的、人道的の試練と発達とが足らなかった。万事に我が他より勝れたりと考えさせた我々の指導者、ただそれらの指導者の存在を許して来た日本国民の頭脳に責任があった」

「あらゆるものをその根底より再吟味する所に、日本国の再発展の余地がある。日本は凡ての面において混乱に陥るであろう。しかしそれでよいのだ。ドグマ的な凡ての思想が地に落ちた今後の日本は幸福である。『マルキシズム』もよし、自由主義もよし、凡てがその根本理論において究明せられ解決せられる日がくるであろう。日本の真の発展はそこから始まるであろう。凡ての物語が私の死後に始まるのは悲しいが、私にかわるもっともっと立派な頭の聡明な人が、これを見、かつ指導して行ってくれるであろう。何といっても日本は根底から変革し、構成し直さねばならない。若き学徒の活躍を祈る。・・・父よ母よ妹よ、どうか私の死に落胆せずに、朗らかに平和に暮らしてください」


  (つづく)

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