連載小説 「異土に焦がれて」 82 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

                     

 担当の看守が迎えに来て取調室へ行くようにと扉を開けた。看守は啓に付き添いもせず

手錠も掛けないので不思議に思いながら取り調べ室へ入ると、担当の刑事が言った。

「起訴はされないことになった。所有者が、盗られた絵を、一枚はあんたに預け、一枚はあ

んたが渡した二人に贈与したって証文を書いた。あんたは無罪だよ」

 啓が信じられない言葉を聞いたような顔をしていたのか、刑事はお愛想を加えた。

「おれには最初からあんたが金目当てで盗んだんじゃないとわかってたよ」

 彼の顔が余りに開けっぴろげで明るいので、啓は担がれているのではないと知った。

 拘置所を出て、その足で、パリまで電車で行き、どんよりと曇った空の下を、アトリエへ向

かった。アンナとダニエルが啓を頬付のキスで迎えてくれた。

 早い再会のからくりをアンナが語ってくれた。

 モジリアニのデッサンを持ってロロザ邸を訪ねたアンナは、啓がどうしてロロザの絵を盗む

ことになったか、知っている限りのことを二人に話した。啓が、絵が欲しいからでも金のため

でもなく、ロロザが犯した不倫のダシにされた代償を兼ね、啓が信じた、本来の所有者ダニ

エルとアンナに贈ろうとした事を知り、夫人は、ロロザに二枚の絵をダニエルとアンナに贈与

する旨の証明書を書くよう要求したという。


「さ。はやく。あなた。この二枚の絵をあげるって証明書を書きなさい。藤田の乞食の絵はダ

ニエルに、モジリアニのデッサンはアンナに無償で贈呈するって」

 ロロザは半分泣きべそをかきながらも紙を取って証文を書き始めた。

「いいんですか? 奥さま」

 アンナが恐る恐る夫人に聞いた。

「いいわよ。夫は私より商売の方が大事なんだから。この家をロロザが買えたのはあたしの

財産があったからなの。この人はあたしの言う事ならなんでも聞くわよ。この家を手放さな

きゃならなくなったら、商売は終わりってことくらい良くわかってるわ。アジメって日本人、あ

なたのお友達ね。夫の浮気のためにアエロフロートで窮屈な思いをして日本まで行って、そ

の上に、あなたとダニエルに絵を贈ろうとしたのね。警察と検察には、あたしから良く言って

おくから大丈夫よ。絵はダニエルとあなたに贈られたもので、それをちょっぴり手の込んだや

り方で届けただけだった……。どうお? ……これなら、アジメも無罪放免ね」

「寛大なお志しを伺って感激しております……。なんと申し上げていいか……」

「いいのよ。あたしは、ロロザの妻。アルゼンチンにはペロンって偉人がいたわ。国を建て直

した英雄よ。ペロンの妻、エピータは偉かったわ。三十三歳の若さで死んでしまうまで、副

大統領になって財団を作り、慈善事業をどしどしやったのよ。社会福祉政策を推し進め、とり

わけ女性の権利の拡大に努めたわ。国民からは今も聖女と崇められてるわよ。私はエピー

タみたいに慈善事業はやれないけど、アルゼンチン人の夫を持つフランス女よ。これくらい

の善行がやれなくっちゃ女がすたるわ」

 ロロザ夫人は誇らしげに幾分紅潮した顔を鳥のように擡げて言った。ロロザ夫人の言葉を

聴きながら俯いてもじもじしていたアンナは急に毅然とした顔をロロザ夫人に向けて言った。

「ペロンは独裁者だったんじゃないでしょうか?」

 夫人はせっかくの高揚した気分の腰を折られ、とまどったが、すぐに言い返した。

「そうね。多少そんな傾向もあったわね。でも工業化が遅れていた南米では独裁者が出ても

仕方がないとも言えるわね」


  (つづく)


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